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石の歌う森(第9回) ~星は風にそよぐ イシアス篇~


 集会は、月に1度開かれるコミュニティの懇親会だ。スーワに暮らすほぼ全員に会えるので、みんなこの日を大切にしている。当番の3家族が食べ物を準備する。
 みんなが車座になって囲むプレートには、鹿の干し肉、炒ったくるみ、梨やぶどう、ブルーベリーといった果物が盛られている。山盛りのパンが載ったプレートには蜂蜜のたっぷり入った木の鉢が添えられていて、下で会ったあの子たちが満足そうに蜂蜜パンを頬張っている。
 セシルのところへは次から次へと人が立って挨拶に来てくれた。その誰もが
「おいしいもの、食べてるかい?」
と訊いてくるので、セシルは「ロビンめ」と心の中で舌打ちした。隣でミオが笑いをこらえている。
 挨拶に来てくれる人が途切れたところで、セシルはほうっと息を吐いて部屋を見回した。年配の女性たちが小さな輪を作っておしゃべりを楽しんでいて、その中におばあさんがいた。おじいさんとカイトさんは、狩人の仲間や毛皮の職人さんたちと肩を叩き合いながら談笑している。
「みんな、家族みたいなものなんだ」
隣でミオがそう言った。
 部屋を見渡してみて、セシルは子どもが少ないことに気がついた。ブランコで遊んでいた子どもたち6人と赤ちゃんが2人だけ。
 セシルの前に若い夫婦が来て座った。奥さんは大きなお腹を抱えている。背の高い穏やかそうな旦那さんが
「私たちは居住区から移住してきたんですよ」
と言ったので、セシルは驚いて「えっ!」と声を上げたまま、次の言葉が続かずふたりを見つめた。
「僕はケン、妻はソラ。ここに来て3年になります」
 相変わらずセシルが黙って見つめているので、ケンさんは続ける。
「慣れるまでは大変でしたけど、ずっと夢見ていた暮らしだったので何とか乗り越えてきました。後戻りはできませんでしたしね。でも、戻りたいとも思いませんでした。みなさん本当に親切にいろいろ教えてくれて、今ではほとんどここの人間です」
「私、そんな人たちがいるなんて知らなかったので、驚きました」
セシルは正直にそう言った。
「イシアスの国民であることをやめて、権利も保障もすべて放棄した、ってことですよね。それは、勇気ある決断ですね」
と言うセシルに、ソラさんが
「両親や友人たちには強く引き止められましたけど」
と言って笑った。
「でも私は、ここで子どもを産めるのがとても幸せです」
そう言ってお腹をさするソラさんのエネルギーは、本当に満ち足りているように見えた。ミオがソラさんの隣に正座して
「みんなの宝物だよね」
と言いながら、ふくらんだお腹にやさしく腕をまわす。
 何人かの男の人たちが歌いだした。スーワの人たちはお酒もお茶も飲まない。飲むのは川や泉の澄んだ水だけ。それでも歌いだすのだから、もともと根が陽気な人たちなのだろう。どこからか「カイト!」と声が上がり、カイトさんが懐から篠笛を出して吹き始めた。
 心安らぐ温かい空気が流れる。ここで子どもを産めることが幸せだと言ったソラさんの言葉は、セシルの胸にどっしりと根を下ろした。

 寝袋の中からセシルはミオに言った。
「移住者がいるなんて知らなかった。森の暮らしに憧れてる人たちって、いるんだね。私なんて、ロビンに聞くまで森の人にまったく関心を持ってなかったよ。ごめんね。ずいぶん世間知らずだったなあ。名前負けしちゃってるよね」
 セシルは寝ながら肩をすくめる。
「セシルってそういう意味なんだ。世界を知る。かっこいいね」
「ミオは? どんな字?」
「船が通った航跡を澪(みお)っていうんだって。先人たちがたどってきた軌跡を大切に生きてほしい、みたいな願いが込められてるらしいよ」
「わあ、ミオ、お兄ちゃんとおんなじ字だ! お兄ちゃんはレイって読むんだけど」
「えーっ! すごい偶然。やっぱり私たち、ご縁があるんだよ」
「澪(ミオ)っていう字には、これから船が通る路の意味もあるって聞いたよ。水先案内人みたいな感じかな」
「へえ! それはうれしいな。私はそっちの方が好み。だけど、そういう願いは兄さんに託されたみたい。兄さんは開く人。新しい扉を開く人。本人は嫌がってるけどね。うまくいかないね」
「どっちかと言えば、カイトさんは古風な感じだもんね。あ、でも、ここは時間が逆向きに流れてるみたいなところだから、古風っていうのも変か」
「移住者はね、リュウさんが連れてくるの」
ミオが急に、話題を戻した。
「リュウさん?」
「ほら、遠い親戚。お父さんの友だちの。話したでしょ」
「あ、ミオたちにアメリア語を教えてくれた人?」
「うん。そういう活動をしてるの。イシアス中に散らばる森のコミュニティとつながっていて、居住区の暮らしから抜け出したいと願う人たちを紹介してるんだ」
 なぜか、またセシルの脳裏に兄の顔が浮かぶ。
「ケンさんたちの前にも移住者はいたの?」
「何人かいたけど、居住区に戻っちゃった。イシアスの国民としてもう認めてもらえないとしてもここにいるよりは、って。ここの生活は厳し過ぎるって」
「憧れだけでは乗り越えられないものもあるよね」

 次の日の朝、セシルは早くに目を覚ました。精霊術を学び始めてから毎日続けてきた鍛練を、ここ数日できていないことがとても気になっていた。
 セシルはそっと部屋を出て、台所の縄ばしごを降りた。うっすらと霧が漂っている。昼食時にみんなで火を囲む火床に目が留まった。ここに座ろうか。座って、周囲の精霊たちとしっかりつながりたかった。
 そのとき、カイトさんが縄ばしごを降りてきた。セシルが
「おはようございます!」
と挨拶すると、カイトさんは驚いた表情をしたが、挨拶代わりににっこりすると、取っ手つきの木桶を2つ持って川の方へ向かった。
 水汲みに行くんだとセシルは察し、自分も手伝いたくて、1つ残っていた木桶を持って後を追った。川へは洗濯のときにミオと行ったけれど、まだ道を覚えてはいない。見失っては大変、と必死で追いかけたのに、漂う霧のせいでカイトさんの姿が見えなくなってしまった。もしかしたら、風になったのかもしれない。
 セシルはゾッして立ちつくした。
「絶対にひとりになってはいけないよ」
というおじいさんの声が耳にこだます。
 落ち着こう。まだコミュニティの中なのだから大丈夫。意地をはったり、やせ我慢したりすると、状況はたいてい悪くなる。お手伝いをするどころかカイトさんに戻ってきてもらわなければいけないことは、本当に申し訳なかったが、セシルは風に乗せてカイトさんを呼んだ。
 1分もたたないうちに、セシルの目の前にカイトさんは現れた。
「ごめんなさい」
 セシルがしょんぼりして謝ると、カイトさんはセシルが手にしている木桶にやさしい視線を注ぎ、「わかってる」と言うようににっこり笑った。
「水汲みだけじゃないんだよ。毎朝、川で少し笛を吹くんだ。待っていられる?」
「私、カイトさんの笛、聴きたいです」
 セシルは心からそう思った。

 川に出てみると、そこはミオと洗濯をした川原だった。だるまのような形をした大きな岩と、その岩の根元から川を覗き込むように生えている楓(かえで)の木に見覚えがあった。
「ここにはミオと洗濯に来ました」
「この辺りは、向こう岸に鈴縄を張りめぐらしてあるんだ。もうすぐ鮭が昇る季節だから、特に注意しなくちゃいけない」
「何にですか」
「熊だよ」
 カイトさんは涼しい顔でそう言うと、丸い岩に腰をおろして、篠笛を取り出した。
 熊がいるんだ。セシルの背中にぞわっと寒気が走った。身体を固くしつつ、少し離れただるまの岩に寄りかかって座る。
 篠笛の音が、水面から昇ってくる薄い靄(もや)の中に、やわらかく溶けていく。初秋の風が、楓の葉をざわめかせながら、何度も吹き抜けていった。
 セシルは、ロビンがカイトさんとどうやって心を通わせたのか、わかったような気がした。カイトさんは、ほとんど話をしない。でも、カイトさんの笛の音は、カイトさんそのものだ。言葉ではうまく言い表せないけれど、とにかくこの音色はカイトさんなのだ。
 そのとき、一羽のトビが舞い降りてきて、カイトさんの肩にとまった。鷹の仲間だというのに、そのトビはとてもやさしい目をしている。きっと、カイトさんの友だちなのだろう。兄弟のような仲なのかもしれない。そう思わせるほど、ふたりは同じ目をしていた。
 カイトさんの笛の音は、座って精霊たちとつながる支障にはならなかった。セシルは五感を開放して、笛の音に踊る精霊たちそれぞれと、しっかりつながり合えた。

 カイトさんが笛を懐にしまって立ち上がると、トビは空へと飛び立った。トビを追って見上げた空には、たくさんの赤とんぼが泳いでいた。
 水を汲み、帰路を歩きながら、セシルは自分がまたカイトさんに大迷惑をかけたことに気がついた。自分がいなければ、カイトさんは水を満たした木桶ごと、風になって帰ることができたのだ。自分が運ぶ満杯には入れていないこの水のために、カイトさんは歩いて帰ってくれている。
 セシルは大きなため息をついた。謝りたかったけれど、何度も謝られるのは煩わしいだろうと思い、我慢した。

「もーう! 心配したんだから」
 向こうから、目をつり上げたミオが、洗濯かごを抱えて歩いてくる。
「ごめんね。私、何も考えないで来ちゃった」
「おじいさんが、兄さんと水汲みに行ったんだろうって言うから、今から行こうとしてたんだ」
「洗濯なら、私も手伝う!」
「だって、今、川から帰ってきたんでしょ」
「私の洗濯物もあるんだし、ミオひとりにさせられないよ」
 だけどこの水の入った木桶をどうしよう、と思っていると、カイトさんが
「木桶はここに置いて行ったらいい。こっちの2つを置いたら取りにくるよ」
と言う。それを聞いてセシルは
「そんな! これ以上カイトさんにご迷惑をかけたくありません」
と泣きそうな声を出した。
「ここに置いてって、洗濯の帰りに拾って帰ればいいじゃない」
とミオが言ってくれたので、セシルがうんうんと何度もうなずくと、カイトさんは微笑を残してすっと消えた。

 川原では女性が何人か洗濯をしていて、セシルたちに気づくと、にこやかに手を振って挨拶してくれた。ソラさんもいた。
 自分の服を洗いながら、セシルはミオに話しかけた。
「熊が出るんだってね」
「うん。秋は鮭が昇ってくるから、この辺にも出てくるよ」
とミオが答える。
「だからなんだね。おじいさんが私に、ひとりになっちゃいけない、って言ったのは」
「おじいさんは、息子夫婦を熊に奪われたから」
「それ、ミオのお父さんとお母さんのこと?」
「3メートルの熊だったって。熊がコミュニティの中に入ってきたの。コミュニティに熊が入ってくることなんか普通はないんだ。突然襲われたからお母さんは水になれなかった。私たちはね、空気中の目に見えないような小さな水の粒とだって一体化できるんだよ。だけど、お母さんは、熊の手の最初の一撃で気を失ってしまったんだろうって。すぐに気づいたお父さんが、腰のナイフ1つで巨大熊に挑んだんだ。ここには猟銃なんてないし、普段コミュニティの中では弓も持たないから。おじいさんと仲間の狩人たちが駆けつけて、一斉に弓を放って熊を倒したけど、間に合わなかった」
「ごめんね。辛いこと、話させちゃったね」
「私がまだ3歳のときだったから、そのことはあまりよく覚えてないんだ。だけど、私たちは熊を恨みも憎みもしないよ。生き物はみんな、食べる食べられるの関係なんだから」

 ミオは背中にもかごを背負ってきていた。帰りはセシルがそのかごを背負い、昼食の食材を調達しながら帰った。ミオはウズラの巣穴がどこにあるかを知っていて、1つの巣穴から取りすぎないように注意しながら、卵を集めた。ブルーベリーと野ブドウもたくさん摘んだ。食べきれない分は、ドライフルーツにして保存しておくのだという。

 昼食のメインは、2日前に狩ったキジの燻製だった。ミオとセシルが湖に魚を捕りに行っている間に、おじいさんとカイトさんが燻製にしてくれたものだ。冷蔵庫がないから、保存のための燻製器が大活躍する。小さな木の家のような木箱の下に木のチップを入れて、上の方に吊るした肉や魚を長時間かけてじっくりと燻(いぶ)す。

 その午後は、おばあさんがナイフの鞘作りを教えてくれた。
「ここにはね、革の職人さんが何人かいてね、冬に履くモカシンや防寒用の羽織なんかは技術がいるからねえ、職人さんに頼むんだけど、こういう小物はね、簡単に作れるよ。この極太針でね」
 そう言って、おばあさんは大事そうに針を見せてくれた。
 まずは型を取る。ナイフの包まれた鹿の皮をそっと開くと、黒曜石の刃がキラリと光を放った。はあ、なんてきれいなんだろう。セシルはまた胸をどきどきさせた。
 皮の上にナイフを置き、おばあさんのナイフで、刃の長さよりも5センチほど長く、幅は刃の2倍より少し大きめにに痕を付ける。腰に吊りさげるためのベルト部分も必要だ。そして、ナイフを立てて力を入れ、しるしに沿って皮を裁断する。カイトさんが研いでくれたナイフは見事な切れ味で、気持ちよくすーっと切れた。これを筒状に折り合わせて錐(きり)で穴を開け、その穴に針を通して丈夫な糸で縫い合わせる。最後に鉄のやすりで端を滑らかにして、鞘は出来上がった。
 セシルは自分で作り上げた鞘をしげしげと眺めた。そして、その鞘にしずしずとナイフを納めた。達成感が沸いてくる。初めてなのに、とてもきれいに仕上がった。踊り出したいような気分だ。
「おばあさん、ありがとうございます。これを自分で作ったなんて信じられない」
 セシルは、おばあさんをぎゅうっと抱きしめた。
 カイトさんにも見せたくて、セシルは下へ降りた。カイトさんとおじいさんは、明日の狩りの準備をしていた。
「カイトさん、おじいさん、見てください! 鞘ができました!」
 セシルは、しっかりと鞘に納まっているナイフをふたりに見せた。
「ほお。初めてにしては上出来だ。セシルは案外と器用なんだな」
「案外と、って何ですか。これでもロータシアでは、料理上手って言われてたんですよ」
セシルが言い返すと、おじいさんは
「そりゃあ、一度ご馳走してもらわにゃ」
と笑った。
「で、でもここには調理器具もないし、食材も違うし…」
セシルは口ごもってしまう。
 日に干していた野ブドウのざるを抱えたミオもやって来て、
「へーえ、上手にできてる」
と誉めてくれた。
 カイトさんは何も言わなかったが、誰かがうれしそうにしているとき、カイトさんのエネルギーはとても明るくなる。

 夕食のテーブルでおじいさんがセシルに言った。
「明日はウサギを狩るよ。一緒にくるかい? 新しいナイフ、使ってみたいだろう?」
「私が行って、足手まといにならないでしょうか」
 ついて行きたくてたまらなかったが、何よりそれが心配だった。
「鹿を狩るときは何日もかけて慎重に追うから連れていけないが、キジやウサギはそこいらにたくさんいるからな」
とおじいさんは言う。
「それなら是非連れていってください」
「よし。明日は早起きして、まずは朝風呂に入るんだよ。悪いがミオも一緒に行っておくれ。セシルを1人にしたくないから」
「うん。わかった」




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