見出し画像

繊細さを武器にする

最近、強迫性障害の症状が強い。
些細なことであっても感情を大きく揺さぶられるし、何かにつけて「〇〇しなければいけない」と義務の形で考えてしまう。

このnoteだって「毎日更新しなければならない」という自分の心の中に作り出した暗のハードルに引っかかって更新が途絶えてしまっていた。
何をするにも義務の形で捉え、考えすぎてしまうというのは生まれ持ったHSP気質の影響であったりするのかもしれない。

私は逃げるのが苦手である。もっと言えば適切に人の頼みを断ることが苦手である。

それは、言い換えれば「自分で決めたことは間違っているかもしれない」と、選択することに不安を覚えているのかもしれない。
与えられた物事には真正面からぶつかって、その度に不安に押しつぶされそうになりながらも辛勝してきた。

しかし、毎度辛勝の後に残るのは達成感でも喜びでもなく「今回は何とかなったな」という虚ろな感情なのである。

いつか勝てなくなるときが来る、超えられないハードルが来ることを恐れながら日々を過ごす。その惨めさと醜さといったらなかった。

繊細さは時に武器になる。
細かいことに気がつくし、共感力が高いおかげで表面化していない他者の内面の問題に気がつくことがある。

教育実習先の小学校は通常授業が始まっている。
そこには2月までボランティアとして関わっていた、支援学級の子どもの姿もあった。

彼と彼の保護者と言葉を交わしたのは、つい2日前のことだ。

内気だった彼は、私と過ごした1ヶ月という短い期間でクラスメイトを遊びに誘えるようになった。その変化は、指導教諭が教育実習簿に感想を寄せるくらい目を見張るものだった。

「先生、元気だった?」

4ヶ月程の間、彼が公教育における支援をほとんど受けられなかったことは知っていた。
だが彼は、そんな状態であっても他者の心配をする。自分のことだけでいっぱいいっぱいだった彼の姿はもうない。

私が繊細さを武器に、彼と真剣に向き合い、与えた影響が彼の中に変化を生んでいた。

繊細さを武器にする。
人の幸せを願い、ひたむきに行動することが自らの幸せに通づるかもしれないと感じた出来事だった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?