見出し画像

つながりと挑戦

昨日は色々な場所で色々な人と関わりが持てた

福祉施設のレクの日でもあり、久しぶりに会う人もいた
いい形で仕事の継続ができていたり、ステップアップの転職を考えている人もいた。

その後はリカバリーカレッジに行き、数人の人とお酒を飲んだ
合間で色々な人からSNSでやり取りがあった一日だった

仕事も生活面も体調も何もうまく行っていない感じが続いている。

生活面では追われ続けている日が10年近く続いていることも課題なのだろう。体調も不眠や理由のよくわからない頭痛は継続している。ストレス起因だと思うが、ひどくなってくると左の耳が聞こえなくなったり、吐き気がひどい時もある。

昨日絡んだ人たちは、何かの大変さがある人が多く、精神的な病や発達的な特性があったり、生活面で家庭内で休める状況があまりなく良くない人もいた。SNSで少し話したり、連絡をくれた方もいた

妙に安定している人たちの共通項は、大変な状況にないから安定しているのではなく、「挑戦している」「フラットなつながりがある」という事かもと話しながら思った

今の仕事からステップアップするために勉強や転職活動している。体調に合わせた生き方を考えている。→無理をしているのではなく自分の丁度で取り組んでいる。何でもかんでも挑戦しているのではない。

誰かが困ったことを話しているけど、次の場面では聞いてアドバイスをしていた人が困ったことを話している。そんな感覚。世話を焼きたい人が「支援しています!」という感じではなく。悩み事の深い人が「困っているから優しくしてもらって当たり前!」という感じではない→一人の人間としてお互いにやり取りできる部分がある

自分から不安の相談をして、色々と話すけれど、解決策の提案をされても行動できない。なので「やらなくていいよ」「今は無理しなくていいよ」という言葉だけをただ待ってる人もいる。僕自身もそうだったけど、誰しも色々大変な時には、何もせずに休むことが本当に大切だと思う。

でも、自分が落ち着いてきたと思ったときに(薄々自分ができるけど逃げているとわかっている)挑戦を避けたり、つながりもフラットにかかわれない場所しかない人は、妙にしんどいループに入って、抜け出せない。悪く言うとそのループから抜けたくないと思っている人もいるように思う

僕自身も目の前に立ちはだかる課題の高さや量は圧倒的に増えた
それに比例して、不安になるのではなく
自分がやれる範囲で取り組めているのか、
それを共有できる場所や人がいるかで変わる

お金やステータスではなく、如何に人生を生きるか
この人の「うれしい」が自分の「うれしい」につながる人のいることの喜び
この辺りの充実感は、挑戦や適切なつながりがないと体験できない

この充実感を感じて生きるのか
知らないまま死んでしまうのか
これは人生の意味が大きく違う。

取り組む勇気は、僕も人からもらったのだ。
人からもらったので、また誰かに知ってもらいたいのかもしれない
頑張ることはつらく楽しい。人生をかけて取り組むテーマなのかもしれない

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?