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自分の普通は他人の普通ではない

テレビである主婦がこんな相談をしていた。

「夫は、家中の扉をきちんと閉めてくれません。リビング、寝室、トイレの扉も開けっ放し。私は、夫が扉を閉めてくれるように直したいのです。」

「直したいのです。」という言葉が引っかかった。

奥さんにとっては、「扉はきちんと閉まっているもの。」ということが感覚として自然であり、当たり前であり、それが普通となっているのだろう。

でも、旦那さんにとっては、感覚的に「扉は開いてても閉まっていても気にならない」という感覚なのだろう。

こういう感覚って人それぞれ違う。

だからこれって、「直す」とかではない。

奥さんは、閉めて欲しいのならば、奥さんの扉に対する感覚を旦那さんに伝える必要がある。
なぜ扉を閉めて欲しいのか?という理由を丁寧に説明する必要があるのだろう。
例えば、冬であれば、温かい空気が逃げて、部屋が寒くなってしまう。
夏ならば、扉が開いていると冷気が逃げてしまう。など。

旦那さんが扉を閉めるようになるには、旦那さん自身の扉への「感覚」が変わり、旦那さんが「納得」して初めて閉めるようになるのだろう。

そうか、部屋の温度が保たれないな〜 → 納得 → 扉を閉めよう。

自分の普通は、他の人の普通ではない。
自分の当たり前は、他の人の当たり前ではない。

たまに聞く、
「普通さ〜〜」から始まる会話、

自分の普通は、他の人の普通じゃないよ。

このことを、私も簡単に忘れがちであらゆる場面でたびたび、自分に言い聞かせる。

私が心がけることとしては、
違いを話し合って、お互いがしっくり来る落とし所ポイントを見つける作業をしていけば良い気がする。

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