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父の人生 1

僕の父は脚本家だった。それなりに先生と呼ばれていたし、中高年の方がその名前を聞けばまず間違いなく知っている脚本家だ。最近では宮藤官九郎のドラマ「不適切にもほどがある」でも阿部サダヲが唯一知っている脚本家の名前として登場した。そこまでだと、僕はボンボンの金持ちの息子のように思われることも多い。

父は生まれてから敗戦するまでの少年時代を満州で過ごしていた。軍国主義の中で育った父は早く大人になって「御国のために死ぬ」ことを夢見ていたという。そういう思想を含め、父の少年時代は決して不幸なものではなかったようだ。だが、ヒロシマとナガサキに原子爆弾が投下され、太平洋戦争が終結する間際にソ連が日本に対して宣戦布告をしたことで父の人生は一変した。

父は生まれたばかりの弟を抱きながら僕の祖父、祖母、兄妹たちと満州から日本へ戻らなくてはならなくなった。中国大陸の真ん中あたりから歩き続けた僕の父とその家族。その道のりは険しく、ロスケ(ソ連兵)の蛮行を避けるため床下に家族で隠れて息を殺して時を過ごしたこともあるらしい。そのとき幼い弟がぐずって見つかりそうになったので、赤子の弟の口を塞いだこともあったと聞いた。中国大陸を渡っているとき、幾度となく戦死した誰かの死体を踏みしめながら歩いた記憶は今なお鮮明に父の中にある。

つづく?

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