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aiko聴きたいのにJhené Aikoぐはぁ


とある事情でaikoにハマってます。大体米国ヒップホップorR&B、たまにエレクトロかジャズっていう性癖は、結構周知の事実かと思います。

でもaikoにハマってることに対して一ミリも羞恥心は抱いておりません。なぜか。

それはaikoが素晴らしいからだっ!!

なぜ僕がこのタイミングでaikoにハマってしまったのか。

それは夏が来たからだっ!!

嘘です。

夏が来たくらいでaiko聴きたくなるほど単細胞じゃないってかaiko=夏のイメージが定着してたわけじゃない。夏なんて大嫌いさ。この話にはまず、僕の愛する同居人が登場します。

僕の三つ上、28歳PR会社勤務の男性、というハイスペックな同居人。彼は人を好きになれない状況が続いています(シスヘテロで性欲はあります)。ブスのくせに生意気な状況。

タコス作れるし、キャンプサークル主催してるし、シーシャ持ってるし。とにかく武器の数は多い彼は、女性にその清潔感と容姿を度外視させる特殊能力を持ち合わせている。要はモテるわけですわ。ブスのくせに生意気だ。

そんな彼はこれまで家にいろんな女性を連れてきてくださいました。ここで敬語を使ったのは、僕にとって人に会うということは、それが永続的な交友関係に結びつかなくとも、財産だからです。

「彼女」というカテゴリーに属す女性もいれば、そうでない女性もいた。けれど「一夜限りの関係」は数えるほどもなくて、むしろ繰り返し家に遊びに来てくれる人の方がが多かった。なんならもはや家に住んでるくらいの頻度で来てくれる人も何人かいた。

その人たちがあくまで「彼女」ではなく、なんであいつは「彼女」だったのかっていうほど、僕が苦手な人もいた。基本的には僕とも仲良くできる人が多かったし、その人たちと関わることで学べたことも多かったのだが、一人だけマジでクソつまらない奴がいた。

去年の夏を同居人は取るに足らない人物に捧げたんだ。本当に馬鹿な奴だよ。二度と同じ過ちは繰り返さないでもらいたい。

(私も同居人もヘテロセクシュアルの男性ですが、例えば男性が家に来る機会も多いわけで、その場合に我々があまり合わないなと思ったとして、自然な流れで付き合いが少なくなることが多いのだが、交際している異性の場合まずは本人がその交際関係を解消する手続きが必要なので私側が頭ごなしに「もう連れて来るな!」とは絶対言えないため、私にとって学びのない苦痛な時間は長期化してしまった、ただ同居人が悪いわけでもその人が悪いわけでもなく、単に私とその人が合わなかったことと、私のエゴが大きいだけです)

頼むから僕にとってつまらない奴は家に連れてこないでくれ。。
僕が話してて楽しくない奴を家に連れてこないでくれ。。

これってとんでもない傲慢に聞こえるかもしれませんが、ただ男二人で住んでるわけじゃないんですよ。人生を楽しむために、更新して3年目に入ったんだから。僕には同居人にふさわしくないパートナーをぶった斬る権利がある。もちろん最終的に誰を選ぶかは、結局彼次第ですよ?

話が逸れましたね。なんで自分の嫌いや奴に数行も奪われないといけないんだ胸糞悪い。駆け足で話をaikoに結びつけたいと思います、つまるところ同居人の最新ガールが、aiko好きだったんですね。それで家に来なくなってしまってからも、インスタのストーリーとかに結構aiko聴いてるのをあげてて。

同居人の熱が一気に冷めて、連絡を返さないようになって、家にも来なくなっちゃった。これが二週間前くらいの話。断っておきますけど、彼らは付き合っていなかった。同居人が誰かと付き合うかどうかの判断基準には、ロジックもなければ、熱いパトスもない。

とにかく彼女とは付き合っていなかった。それでも週に3回くらいは家に来てくれて、その期間が数ヶ月続いて、僕も楽しかった。普通に話してて楽しかったし、去年の夏を棒に振ったあいつとは比べものにならないくらい、人間として大好きでした。

でも同居人は、なかなか人を好きになることができない。好きじゃなくても嫌いじゃなかっただろうし、家に来てくれるのも遊びに行くのも嫌じゃない、しかし嫌いとは別に面倒臭いという感情も存在して、それが適度な大きさまで肥大化したとき、冷めるというメカニズムらしい。

まあここら辺は好き同士で付き合ってるカップルとあまり変わらない。けれど付き合ってないから都合がいい。別に付き合っていないから「別れる必要」がない

僕はとても気になりました。

どんな気持ちで彼女は今、aikoを聴いているのか。aikoなんてテレビから垂れ流されているか、誰かがカラオケで熱唱しているかを聞いたことしかなかった。自分から聴いたことなんてなかった。

僕は自分にない要素を取り入れて新たな自分を形成したい。自分から今一番遠いものに手を伸ばしたい。そういう傾向があるんです。

聴いてみると、なんだかいいメロディだった。分かりやすくて、10年以上前の曲でも、全然2021年の僕の生活にあって尚健康的なサウンドだった。

反応をみたくて、同居人のいる前で流すようになった。彼女がメンヘラだという乱暴な仮定で、aikoを本気で聴いているメンヘラなのだと仮定して、そうして僕らの生活の中にメンヘラaikoを馴染ませた。メンヘラの毒々しい紫色の空気が、家を充満し始めた。

同居人としても、彼女のストーリーをたまたま見たり、あるいは僕が彼女のストーリーの内容を報告したり、もちろん前提として彼女がaikoのことを好きなのは知っていたし、とにかくaiko=彼女の音楽という等式は成り立っていたから、「やめろよ」ということになる。

「思い出だからいいじゃん」

別に彼女が僕たちの家でaiko流してた記憶はないので、aiko流すのが思い出になるってのは、暴力的な発想なんだけど。ただ、記憶は簡単に作り変えることができる。連想部分をちょっといじくってあげるだけで、新たな記憶が生まれ、古い記憶を侵食する。もはや同居人の頭の中には、彼女とaikoを聴いた記憶さえ生まれていたのではないか。

「なんでお前が流してんだよ」

 本当に疑問だ。なんで俺がaiko流してんだよ。2021年夏を完全にaikoに預けてしまった、俺。俺はaikoの音楽に酔っているというより、aikoを流す俺に酔っている。

 数日に渡りaikoを流し続けると、もはやaikoの流れない空間にこそ、違和感が、よどみが、生じるようになった。aikoが流れていないなんて我が家じゃない!!

「もういいよ!」

そう言う同居人も、実は嬉しそうな表情を抑えつけているだけ。ほら、口角が上がって、にんまり。笑顔が可愛いでちゅねー。

 同居人をおちょくるために流し始めたaikoが、毎日のBGMになった。「ストロー」が、俺たちのアンセムになった。

 二人でシーシャ吸ってる時も、酒飲んでる時も、朝起きた時も、aiko、 aiko、aiko。なんならお互いに缶ビールをたった二本飲む間に、ユーチューブでaikoのライブを一時間半近く流し続けるっていう間延びしたチルまでした。

「どうやったら彼女のことを好きになれたんだろうね」

 突如同居人の口から放たれた言葉は、間違いなくaikoの歌詞の世界観に影響を受けていました。その瞬間僕は思いました。

勝った・・・。

 同居人の心をaikoが動かしたのならば、それは先にaikoにハマった僕の勝利と言って差し支えないでしょう。まあaikoにも、同居人に人を好きにならせることはできなかったわけだが。

 (最近の曲である「磁石」を彼女がインスタにあげたとき、僕はすぐにそれを聴いた。ああなんていい曲なんだろう。最近の曲を好きになれたことで、一気にファン度が増した気がして、嬉しかったな)


  そんな風にaikoにハマって調子に乗っていた頃、僕に悲劇が訪れました。
Apple Music内で「aiko」と検索をかけました。もちろんaikoを聴こうとしてのことです。

 それがライブラリ内検索になっていて。

 出てきたのはaikoではなく"Jhené Aiko"。

 aikoはライブラリに入れずに聴いていたんです。どこかでちょっと、自分のライブラリにaikoを入れたくない気持ちがあったのかな? そうだとしたら、僕はその時の自分を殴ってやりたい。

 そしてJhené Aiko を久しぶりに聴いたときに、戻っておいでよと言われた気がしました。元の畑は米国 R&Bだろ?って言われた気がしました。身の丈にあったことをしろよ、お前が今更aikoを聴いたって、にわかファンにしかなれないんだよ。黙ってアメリカのR&Bだけ聴いてやがれ。そう言われた気がしました。

 本当にそうなのでしょうか?僕にはJ-POPを聴く資格はないのでしょうか。そんな時、aikoの声が、聞こえてきました。

誰が何を言おうと関係ないあたしは味方よ
そんなの当たり前の話よ                                    

   aikoのbe master of lifeという曲でした。

もう後戻りはできない。僕にはもう、aikoを聴くことしかできない!!

 こうなったら、全力でaikoを聴くのみである!!

 振り返ってみると、僕がヘビロテしていたのは全て「はじめてのaiko」に収録されている曲ばかり。こんなんじゃ、いつまでたってもaikoレベルが上がらない。スケボーも転ばないと上手くなんないんだぜ?ってことで思い切って聴いてみた。

全て聴き終えて、もう無敵だと感じた。僕は「通」なんだ!これで堂々と街を闊歩できる。お前俺よりaikoのこと知らないだろ?僕の顔にはそんな自信がみなぎっているはずだ。

 さあ、待ってろよ大塚愛!!次は貴様じゃ!!




※記事内では同居人に対し「ブスのくせに生意気だ」という発言が繰り返されていますが、実際にブス(ここでは容姿が劣るという意味)だと思っているわけではありません。また、同居人はブス(ここでは容姿が劣るという意味)ではありません。また、私は同居人以外の人に対して「ブス」や「イケメン」などの言葉を使うことはありません。これらの言葉を見境なく使うのは、控えるべき、そのような場面は減っていくべき、と考えます。また、同居人の容姿が他の誰にどう思われていようが、今後どう変化しようが、我々の友情の質には一切影響しません。成分が沈殿する場合がありますが、品質に問題はございません。

※また、同居人が「人を好きになれない」ことを小馬鹿にするような表現がありますが、人を好きになれないことや、恋愛できないこと、恋愛しないこと、に対してネガティブな感情は一切ありません。同居人のような、筆者にとって共依存関係にある唯一無二の友人以外の事情を、我が物顔で語ることはありませんし、同居人の事情に関しても心の底では尊重しています。また、筆者は多様なセクシュアリティが尊重されるべきだと考えています。

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