見出し画像

倫理的にどうなの?って思うこと沢山あるよね

病院では、患者さんの状態が急に変わり(急変)、もしかしたら死んでしまう可能性がある場合、家族に延命処置をするのか、どこまで治療をするのか確認することになっている。

急変時のコード(ABCDの四段階やDNARかそうではないかなどと表現する)があり、医療者はそのコードに合った対応をする。

医療側から見ると、患者さんの権利のためであったり、医療安全的に必要なんだけど、聞くタイミングであったり、聞き方によっては倫理的にどうなの?って思うことがある。

信頼してる医療者ではなく、初めて会った医療者に言われる家族の気持ちは?
時間に余裕のない中で揺れ動く家族の気持ちは?
元気なときと患者さんの気持ちは本当に変わってないの?
他に今何かするべきことはないの?
時間が足りない・・・

その時はすぐ過ぎてしまうけれど、最善を考えて、どの医療者も動いていると思う。

限られた時間で答えを出さなきゃいけなかったり、家族が高齢であったり判断力が無かったりすることが多く、業務として片付けていないか?十分に検討されていないのではないか?と思うことがある。
すごく気持ちが悪い。

また、身寄りがいない場合も、本人の意思が代弁できているのか?身寄りがいない=何もしないになっていないか?助けてほしいと思っていても、見捨てていないか?とかね。

人の生き死にを判断するなんて神の所業で、自然な看取りの方針が決定した後に電話がかかってきて、「やっぱり全部やってください。助けてください」と言われたこともある。

私たち看護師は忙しい業務の中で、倫理的に十分に考え続けることができないまま亡くなり、次の患者さんが亡くなり、というループがあり、看護師は家族や本人の気持ち、医療者の後ろめたさと妙な安心感、看護師としての倫理観の中で彷徨い、いつも傷付いているのではないかと思う。

私は、看護師ひとりひとりの倫理観が、すべての看護の鍵になるんだと確信してる。

倫理という難しいものは、特別なものではなくて、もっと日常にたくさんある。

看護師が向き合う倫理についてイメージ化・言語化して、わかりやすく人に伝えていきたいな。

そしたら、もっともっと看護について、AIには替われない看護の仕事をたくさんの人に知ってもらえるかな、と思う。

のぶこ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?