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小説:見える人 6-2
部屋の片づけは最終段階にさしかかっていた。小物のあらかたは元の場所に収まり、認識のあやふやな物だけがキッチンボウルに残ってる。あとはその処分を考えるだけだ。
日曜日にはデパートへ行き、鍋や皿を買った。いい鍋があれば米だって炊けると考え、炊飯器は買わずにおいた。電子レンジも必要だけど、それもよく吟味したかった。どうせ買うならいいものにしたいし、予算の問題もある。金を盗られた後なのだ、一気に揃えたら大変なことになってしまう。
僕はスーパーマーケットにも立ち寄った。パスタでも食べようと考えたのだ。こういうのはいいものだ。過不足なく働き、休日には無心に料理をつくる。それこそが人間らしい生活でもある。重たい荷物を抱えながらそのように考えていた。こうなれたのも篠崎カミラのおかげかもしれない。きっと、あの女は恐怖だけでなく、悲しみを消し去る力も持ってるのだ。
はあ? なに考えてんだ?
ちょっと魔が差したな。なんであんな女のことを考えなきゃならない? もし仮に「すごいの」が憑いてても、とり殺されるわけじゃないだろう。「最悪の事態」というのだって脅しに違いない。そんなのに屈するなんて馬鹿げてる。そりゃ、結婚はしたいけど相手はちゃんと選びたい。電子レンジよりきちんと吟味すべきなのだ。
僕は溜息をついた。気がつくと思考はあの女を中心にまわってる。その時点で負けたような気分だった。突然消える街灯やなぜか見つめてくる犬、左肩にできた謎の痣を取り除いて、ごく冷静に考えれば、わけのわからないことを一方的に言われてるだけなのだ。
鍋にオリーブオイルとニンニクを入れ、僕は挽肉を炒めはじめた。寸胴には水を張り、火にかけた。茄子を輪切りにしたところで、「あ」と思った。パルメザンチーズを忘れていたのだ。挽肉の色が変わったところで僕はガスをとめた。
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コンビニはそこそこ混んでいた。レジに向かうと学生らしい女の子が並んでる。カゴには大きなペットボトルが入り、スナック菓子の袋も五つほどあった。会計が終わった後で一人が「えっ!」と叫んだ。
「ね、すごくない? お釣りが777だよ」
「ほんとだ! なんかすごいね」
「こりゃ、いいことがあるんだわ。――ああ、思い出した。昨日もすごいの見たんだ。車のナンバーが誕生日だったの」
僕は首を振った。それはお前たちがたまたま千二百二十三円の買い物をして二千円払ったからだろう。車のナンバーだって同じこと。そういうのはよくある。すべて説明できることなのだ。
「ハイ、六百六十六円ノオ返シデス」
は? 666? こりゃ悪い数字じゃないのか?
「ドウカシマシタカ?」
「いや、なんでもない」
店員は顎を突き出してる。背後ではでっぷりした男が身体を揺らしていた。――うん、これだって説明はつく。パルメザンチーズが三百三十四円だったんだ。千円払えばどうしたってそうなるもんな。そう考えながら僕は日の暮れた道を戻っていった。
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ただ、その直後に説明のつかないことが起こった。マンションに着いた途端に入り口の電球が消えたのだ。眉をひそめながら僕はテレビのボリュームをあげた。それからキッチンに立ち、ふたたびガスをつけた。茄子の切り口は色を変えている。それを見てると部屋中の明かりが消えた。当然のことにテレビの音も失せている。ガスの火が青く輝いてるだけだ。
「もうやめてくれよ」
僕はそう呟いていた。外には明かりが見える。ということは、この一帯が停電したわけじゃないのだ。そう考えてるうちに明るくなった。テレビもつき、笑い声がけたたましく聞こえてくる。Tシャツを捲ると手のような痣はすこし移動したようにみえた。それは心臓の方へ伸びている。僕は電話をかけた。
「あっ、あっ、あの、どっ、どっ、どうかされましたか?」
「どうかされてるんだよ。まったくヤバい状況だ」
「そっ、そっ、それで、どっ、どっ、どのような、」
「部屋全体が変なんだ。僕の部屋だけ明かりが消えた。マンションに入るときは入り口の電球も切れた。なあ、これも守護霊様がやってるのか? どうもそうは思えない。だいいち怖すぎるだろ」
「そ、そうですね。え、え、ええと、そ、それで、い、今は?」
「ついてる。だけど、マジで怖すぎる。この前までは街灯だったろ? それがだんだん近づいてきた。で、今度は部屋だ。これは君の言う『すごいの』が近くまで来てるってことなのか?」
「い、いえ、そ、そ、それは、やっ、やって、く、くるのではなく、い、いつも、さ、佐々木さんに、つ、つ、憑いてますから」
その場に座り込み、僕は髪を掻き回した。――さらっと嫌なこと言うな。いつも憑いてるって。
「ああ、そうだ。それで思い出した。痣も変なんだ。指みたいなのが伸びてるんだよ。それは心臓へ向かってるようにもみえる。これって、」
息を吸いこむような音が聞こえてきた。その後は無音だ。
「おい! 黙らないでくれよ。怖くなっちゃうだろ。な、これってどういうことなんだ?」
「あっ、す、す、すみません。だ、だけど、そ、そ、それは、ちょっ、ちょっと、わ、私だけの、は、判断では、」
「お母さんは? お母さんはいないのか?」
「は、はい。い、い、今はいません。も、も、もうすこしで、も、戻って、く、くると、お、お、思うんですけど」
「そうか。いないのか」
僕は天井を仰いだ。視界は歪み、身体の力も抜けていく。
「なんでこんなことになった? 僕がなにしたっていうんだ? 悪いとこがあるなら改めるよ。どんなことだってする。だから、こういうのはやめてくれないか」
「だ、大丈夫です。わ、私が、さ、佐々木さんを、ま、ま、守ります」
「だけど、君の力は完全じゃないんだろ? どうやって守ってくれるんだ」
「そ、そ、それは、そ、そうですけど、――あっ、あの、ちょっ、ちょっとだけ、じ、時間をください。す、すこし、だ、黙りますけど、は、は、話しかけないでいて、も、もらえますか?」
「わかった」
僕はゆっくり立ち上がった。なにが起こってるかわからない。理解するための手がかりもない。テレビには初老の夫婦と大型犬が映ってる。それを見てると震えてきた。犬がこっちを向いたように思えたのだ。黒い瞳がちらっと憐れむように見たのを感じた。
「わ、わ、わかりました」
「は?」
「い、いえ、こ、こ、これは、ちょっ、ちょっ、直感のような、も、ものなんですけど、」
「で、なに?」
「あっ、あの、も、も、もしかしたら、ま、ま、間違ってると、い、い、いうことも、あ、あるかも、し、しれないのですが、お、お部屋に、な、なにか、ち、ち、小さい、キ、キラキラした、ほ、ほ、宝石みたいなものが、あ、ありませんか?」
「小さくてキラキラした宝石みたいなもの?」
「そっ、そっ、そうです。きっ、きっ、きっと、お、お近くに、あ、あるはずです。お、お、思い当たる、も、ものは、あっ、ありませんか?」
「そんなこと突然言われてもな。もっと具体的に言ってくれよ」
「そ、その、え、ええと、な、なんて、い、言ったら、――あっ、そっ、そう、ひ、ひ、ひとつの、い、色でなく、い、幾つかの、ま、ま、斑に、み、見える、い、色の、」
「それで、それがなんだっていうんだ?」
そう言った瞬間に部屋全体が明滅しだした。ゆっくり消え、もったり点いている。
「おい、電気がちかちかしはじめたぞ。これはどういうことだ?」
「ね、ね、念が、つ、強まってるんです。か、か、考えてたのとは、ぜ、ぜ、全然、ち、違ってたかも、し、しれません」
それだってなに言ってるかわからないよ。そう思ってるうちにテレビは無軌道にチャンネルを変えはじめた。天井からはパシンっという音が聞こえてくる。入り口の電球が切れたときと似た音だ。
「とにかく、そのいろんな色にみえる宝石みたいのがなんだっていうんだ」
「そっ、そっ、それを、さ、探して、く、ください。きっ、きっ、きっと、さ、佐々木さんの、た、助けに、な、なるものの、は、はずですから」
ん? と思い、一直線にキッチンボウルへ向かった。これか? オパールの嵌まったネクタイピン。それを手にすると明かりは安定した。
「ふうっ」
「どっ、どうですか? みっ、見つかりましたか?」
「ああ、見つかった。明かりもちゃんとついた。これのおかげってことか?」
「た、たぶん、そ、そうです。わ、私にも、よ、よく、わ、わかりませんが、そ、そ、そういうものが、み、み、見えたんです。お、お、お助け、し、しなきゃと、お、思っていたら、み、み、見えてきたんです」
「それで、これからどうしたらいい?」
僕は髪を掻き回した。完璧にこの女のペースになってる。だけど、こればかりはしょうがないのだろう。
「と、と、とりあえずは、そ、それを、は、肌身離さず、も、持っていて、く、ください。き、き、きっと、しゅ、守護霊様と、か、か、関わりが、あ、あるはずの、も、ものですから」
「これが?」
僕は古めかしいネクタイピンを見つめた。いつから部屋にあったかもわからないってのにか?
「え、ええと、と、ところで、そ、そ、それは、な、なんですか?」
「ああ、そこまではわからないのか。ネクタイピンだよ。オパールの嵌まったネクタイピンだ。だけど、これを肌身離さずってもな」
「で、でも、は、離さない、ほ、方が、い、いいですよ。は、母が、も、戻ったら、き、聞いておきます。そ、それで、お、お電話、い、い、いたします」
「わかった。ありがとう」
「い、い、いえ、そ、そ、そんな。あっ、あの、も、もし、ふ、ふ、不安に思うことが、あっ、あったら、い、いつでも、お、お電話、し、し、してください。わ、私は、す、す、すぐ、で、出られるように、し、しておきますので」
僕は重ねて礼を言った。それから部屋をぐるりと見渡した。脚は震えてるものの少しは落ち着いてきたようだ。これはやはり彼女のおかげなのだろう。
シャワーを浴び、僕はパスタを食べた。そのあいだずっと彼女のことを考えていた。恐怖を紛らすためでもあった。しかし、それだけではなかった。大きな目、薄く高い鼻、鋭角な顎、それに、しゃべり声。それらはしっかりと僕の中にあった。なにひとつ欠けた部分なく存在していた。
遅い時間に電話があったときにはいつもの状態に戻っていた。彼女はこう言った。
「あっ、あの、は、母が、い、言うには、や、やはり、ね、ね、念が、つ、つ、強まってる、み、みたいです。で、でも、そ、そ、その、ネ、ネクタイピンは、さ、佐々木さんを、ま、ま、守る、も、もののようですから、あ、あ、安心しても、い、い、いいだろうと、い、言ってました」
「わかった。あれからなにも起きてないし、だいぶ落ち着いたよ。君のおかげだ」
「い、い、いえ、そ、その、あ、ありがとう、ごっ、ございます。そ、そ、それでですね、は、母は、こ、こうも、い、言ってました。い、い、一度で、い、いいから、み、み、見てもらいに、き、きなさい、と」
「そうだな。そうしてもらった方がいいかもしれない。理解できないことが多すぎるからね。一度きちんと教えてもらった方がいいんだろう。ま、明日にでも相談するよ。ほんと、いろいろありがとう」
僕たちは「おやすみ」、「おっ、おっ、おやすみなさい」と言いあって電話を切った。スマホの画面には《篠崎カミラ》と出てる。それを見つめながら理解なんて必要ないのかもな――と思った。
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