「おりる」という決断
「少しでも偏差値のいい大学に行く」あるいは、「大学にいける学力があるならば、いかなければもったいない」。私はそんな価値観の中に生きてきました。
自分自身のことを振り返っても、「少しでも高い偏差値の高校へ」「(学びたい学部の中で)少しでも偏差値の高い大学へ」という基準で学校選びをしたように思います。さらにいうと、社会人になり学校の取材を重ねる中で、「こんなふうに生徒たちを旧帝大に送り出しました(スゴイ!)」「昨年は実績が1ケタだったのに、今年は2ケタを国公立大に入れました(メデタイ!)」という取材をする価値観の中で、記事を書いてきたので完全にそういう思考になっていました。
実際に、一緒に教育事業に勤めていた同僚は子どもに「お受験をさせる」という選択をしていたりもします。それは教育の充実度とか、進路の幅が広がるとか、そういった観点で妥当な選択だとも思ってきたんです。
既存の流れに乗るのか
しかし、私はその流れに乗るのか?という疑問もあったんです。
私たち世代の場合は、有名大学の方が就職しやすい、年収も高くなりやすいというメリットが見えていました。しかし、いまの子どもたちが大人になる頃はどうでしょう。これだけ社会が変わっているのに、これまでの基準に従い続けることが正しい道なのでしょうか。
この悶々の答えは、正直な話「ナイ」んです。
既存の観念にどっぷりの私は、自分の子どもに対して(実際には出産していないので妄想の話ですw)、レールにぴっちり乗せるような教育価値観で話をしてしまいそうだな、と思っていました。
実は、『今選ぶなら、地方小規模私立大学! ~偏差値による進路選択からの脱却~ 』を編集している時、自分がどれだけ旧来型の教育のものの見方になっていたか気づいたんです。
もっと目を未来に向けて教育を考えていきたいと考えるきっかけとなりました。
価値観を変えるのは、怖くて苦しい
教育分野のライターの先輩と飲んでいる時、心のモヤを少し晴らすことができました。その先輩には小学生の息子がいて、その子はプロジェクト学習を中心に据えた小学校に通っています。
プロジェクト学習とは、「国語」「算数」などの教科ごとに学んでいくスタイルではありません。
「ベンチを作ろう」という課題(←これも子どもたちが決める)に取り組む中で「ズレがないように組み立てるには算数の知識が必要」と思ったら算数を学ぶ。「歴史演劇をやろう」というテーマに取り組む中で、「歴史を知らなきゃいけないな」と勉強するという学習法。
つまり、「やらされている学び」はない。すべて自分たちで選び取った学びなんですよね。
そうした学校ですから、一般的に言われている「知識中心」の学力がつくかどうかは非常に微妙なところです。
そのライターの先輩も私以上にズブズブに入試情報にまみれてきたはずなので、「(そうした学校に子どもを通わせることは)怖くなかったんですか?」と尋ねてしまいました。
すると、
「うん、怖かったし、苦しかった。子どもをそういう学校にいかせながら、『偏差値がこんなに高まりました!』という原稿を書いているからね。自分で自分の子どもがやっていることを否定しているような気がして」
と返ってきたんです。
あぁ、やっぱり苦しいのか…。
「おりる」決意
「でもね、もう『おりる』と決めたら楽になったの」
ライターの先輩は続けました。
「どんな教育が正しいか、あるいは、子どものためになるか、なんてわからない。だけど、自分はもうこれまでの教育から『おりる』。それで、子どもを通して大いなる実験をすると決めたの」
”実験”という言葉はともすれば、親の責任を放棄しているようにも映る。しかし、親が自分が生きてきた価値観と、子どもの人生を切り離すことができれば、子どもはもっと自由に生きられるという考えもできる。
「『おりる』と決めたら楽になったんだよね。
例えば、ある日雪が降って、子どもたちが『外で遊びたい』と先生に直談判したの。それで、その日は授業をせずに1日外で雪遊びになった。昔だったら、『ちゃんと勉強させろ!』とか思うところだけれど、もう『おりた』から子どもの話を聞いて『へー! 楽しかった? なんか発見あった?』とか言いながら聞いていられるんだよね」
なるほどな。自分の価値観で測ってしまったら、学校への不信感を抱いてしまうかもしれない。しかし、自分の価値観と切り離すことで、子どもたちの「充実」をそのまま受け入れられる。
ライターの先輩も「おりる」までに時間がかかったと言っていました。
私も、少しずつ「おりる」決意が固まっていくのかもしれません。自分の生きてきた軌跡は大事にしたいけれど、その価値観に縛られることはなく、「いつでも自由だよ!」と子どもたちの背中を押せる教育を考えていきたいと思うのです。
いつもありがとうございます!スキもコメントもとても励みになります。応援してくださったみなさんに、私の体験や思考から生まれた文章で恩返しをさせてください。