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知的ですか。はい知的です。

美容院で髪を切った。

待っている間に持ち込んだ文庫本を開く。

ウィルス状況を踏まえ美容院でもマスクをしたままの施術だし、待ち時間に読む雑誌も撤去されている。

そのことは知っていたので読みかけの本を席まで持参していた。

「本読んでるの、知的ですね」

ヘアカラーの様子を見に来た美容師が私の手元を見て言った。

30代前半の男性美容師である。

ふむ、ほかのお客さんらは待ち時間にスマホを見ている。

紙の本。携帯と違って全然融通が利かない不便な紙の本。

携帯と違って用途が一つしかない紙の本。

あえてそれを持参して読むことを選んだ自分は、この言葉を待っていた部分が0%ではないかもなと思ってどこか気恥ずかしく。

(帰りに図書館に返す予定なので)か?

(携帯の調子悪くて)か?

(道端で拾ったので)か?

(自分、不器用なんで)か?

(いまこれを読まないと子供の命が危ないんです)か?

もっとも恥ずかしくない言い訳がどれなのか迷っているうちに私の口をついて出たのがこちら。

私「本、読まないですか?」

質問で返してしまった。

美容師「読みませんねー」

30代男性美容師に対する私の偏見を1mmも裏切らない爽やかささえ漂わせる彼の返答に、(そうだよそうだよ、本なんか読む人間にはこんな爽やかな返答はできやしない、本なんて読んでる私は馬鹿だ、大馬鹿だ)とまで思いつめ、「はー」みたいな「ほー」みたいな文字にしにくい反応をしているうちにすかさず次のパンチが来てしまった。

美容師「どんな本ですか」

私が持参した本よ、せめてドラマ化されているベストセラー小説であれ。

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『世にも美しい数学入門』だった。

ちくまプリマー新書だった。プリマーってなに。

困った。

私「数学入門と言っても数学の勉強の本じゃなくて、数学者の人生にフォーカスした・・・」

美容師「数学者っていうとどんな人が有名ですか」

連打。え、え。アラン・チューリング? ハミルトン? 関孝和? 

私「あの、名前聞いてすぐわかる有名な感じの人はいないんですけど、す、す、数学者は難問に向き合うときの執念深さを恋愛にも向けてしまうことが多くあり、そういったストーカー的な資質がないと当然数学的難問を解くなんてことはできないわけで、結果悲劇的な最期を迎えることが多いのです、はい」

美容師「ふーん。数学者って・・・めんどくさい人たちなんですね」

私「ぐっ。そう、そういう理解でけっこうです」

ノックアウトーー、カンカンカン。試合終了。

そうして私はヘアカラー材を流しにシャンプー台へ向かった。

(ああ、さっきなんで堂々と「はい、本が好きなんです」って言わなかったんだろう)

顔にタオルをかけられながらそんなことを思った。

・・・・・・

『世にも美しい数学入門』(藤原正彦・小川洋子)

ちくまプリマー新書のプリマーには入門書と言う意味があって、ヤングアダルトを対象とした新書シリーズなのだそうです。

かのベストセラー「博士の愛した数式」の著者小川洋子さんと数学者・藤原正彦先生の対談集。

「博士の愛した数式」に魅了された人も、まだ読んでいない人にも、ヤングアダルトでない人にも美容師さんにも面白いからとぐいぐいおすすめしたい一冊。数学と数学者の神秘とロマンをわかりやすく美しくユーモアたっぷりに解説してくれていて、読むと数学ひいては世界に興味が湧いてきます。私もヤングアダルト時代にこの本読んでたらちょっと人生変わってたかもな。



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