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ラーメン凪 創業記 第19章:香港編③香港店オープン!

ラーメン凪 代表 生田悟志が高校卒業から凪創業に至るまで、そしてその後の多店舗展開までの波乱万丈な創業記!?前回まではこちらから👇
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香港編 ①謎の香港人からの誘い②出店準備

2010年11月

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いよいよ開店当日!
最初の開店を志してから1カ月以上も経過し、本当に来るのだろうか?と不安に駆られながらもやるしかない。

後戻りできるわけがない。
準備は万端に。
当日の食数は150食ほど用意しておいた。

値段も界隈の倍以上という破格なラーメンはどこまで受け入れられるか?

期待と不安が入り乱れながらもオープンの11時を迎えた。
最初は来客がなく、少ししてチラホラと入り出した。

そして12時過ぎには行列に!

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いったいどこから聞きつけたのか分からなかったが、嬉しい悲鳴だった。初日の行列は15人程度であったがそれでも嬉しかった。
お客様も食べて満足して頂く顔が見れて少しだけ安心したのを覚えている。

パートナーとはそもそもそういうものだろうが、要は売上があれば良いのだ。いきなりノープロブレムになる。

ここからの3カ月はとにかく快進撃。
あっという間に200食限定のラーメンとなり、11時開店前には200人ならぶことも。開店5分で整理券を配り終えるまでになった。

お店が開店してからの半年はもうスープは毎日チェンジした。

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日本で”無鉄砲”というどろどろ豚骨のラーメン屋さんがあるが、そんなラーメンをやってみたり、逆に長浜系のしゃばい豚骨スープも作ってみたり。

そこでお客様に無理やりな英語や現地のスタッフに味はどうだ?と幾度となくリサーチを重ね、さらに商品力を上げていった。

香り

濃度

香港人の味覚のポイントは少しの甘さと香り。
またスープの熱さは相当気にする。塩気に対しても結構うるさい。

それを見極めながらスープなど工夫していった。
また見た目のイメージにも相当に注意して、日本っぽい袴をきたり、開店1カ月は雪駄を履いていた。

お店は6坪程度なので相当狭い。
その狭い空間に雪駄である。湯切りをすれば足にかかってダチョウ倶楽部のおでんネタのコントになってしまう。いい加減やめてしまったのだが。

このキッチンで豚骨は相当暑かった。それもそのはず!
わずか2畳ないスペースにスタッフ4人、100リットル寸胴が2本、冷蔵庫とチャーシューを作る寸胴、シンク、茹で麺機などなど…
もうスペースがないのだから。本当にやばかった。

客席もルール違反で外に追加で出して、幾度となく現地警察官に指導や警告を受けたが。。もうがむしゃらに結果を追い求めてまい進した。

この期間が全ての始まりだったように思う。

とりあえず全力を出し切っての開業。
一番の思い出は正月に香港の唐英年、前政務司司長にお呼ばれし、いわゆる官邸っぽいところのパーティーに呼ばれて、政治家さんや地元の名士さんたちへラーメンを作ったこと。

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和食やフレンチなど早々たる料理人メンバーの中っ!。仕込みはすべて店で終えて、湯が沸くまで立ち尽くすオイラ達。。

それはやべーと思いましたね。

ラーメンおかしいことになってると。。。で始まってみると大行列になるじゃないですか!!!

いやーさらに驚きです。
これが今の日本のラーメン、外食のパワー!

ご褒美に初めて一杯15万くらいのワインを頂きました!
味の分からない自分に涙が、、
あーいやいや一つの達成感で涙がポロリ。。。

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そして、次のステップに進むために、仕事を終えて香港で食べまくりな毎日。3ヶ月ぐらい仕事を兼ね、界隈を食べ歩きました。だんだんこちらの事情もわかってきてですね、狙いを定めどうしていこうかと判断ができるようになったのはよかった。

何よりもパートナーを納得させることにも成功。
そして区切りのいいところで「セントラルキッチン」を提案しました。これはレシピの流失を防ぐという目的と、もう一つ言われる大切な要素としても。

こちら側にもパワーバランス的にコントロールできる部分が欲しかったからです。コスト優先だけを考えれば、それはパートナーと一緒にセントラルキッチンを作るのがいいですよね?しかし、そうすると万が一にも持っていかれる可能性があります。現に僕のまわりにはそういった話は山ほどありました。。

ここは断固として譲らず、契約条件に加えてもらい、見事工場を凪側の独立資本の会社として立ち上げることができました。

とはいえこのファクトリー、家賃18万くらいなので安い!
立ち上げ費用も1000万円くらいですみました。

殆どのお金は保証金、冷蔵庫、スープ冷却設備などに使ったので、もし移動の際はどこかに持って行くことができます。まー安く作ったこと。
そのおかげで夏場は相当苦労しますけどね。

このファクトリーライセンスの問題などでいろいろ手間がかかりましたが、なんとか稼働していました。その後、食数も増えたので一部協力会社にお願いして味噌タレを混ぜてもらったりして追加投資を極力抑えるようにしました。

つづく!

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