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ラーメン凪 創業記 第18章:香港編②出店準備

ラーメン凪 代表 生田悟志が高校卒業から凪創業に至るまで、その後までの波乱万丈な創業記!?前回まではこちらから👇

前回に引き続き香港出店編。

2010年7月
味確認のテスト営業を終えて、ラーメンの可能性を感じながら日本へ一時帰国。

本格的に香港出店をするためだ。
日本には凪5店舗あるそれをどうするかも決めなくてはならなかった。

香港と日本の距離は飛行時間などで考えると福岡に行くのとそんなに差は感じない。
香港に行く前の2月、福岡のキャナルシティに出店をした。
東京からの移動はドアtoドアで3時間ちょっと。香港と比べれば2時間ほど少ないだけだった。

であれば「魅力ある海外市場へ行かない手はない」ってことも感じていて、すぐさま香港出店へ踏み切った。

視察の中で見つかった物件は、ほとんどが家賃50万~100万と日本でもやったことのない物件ばかりだった。

商売の勉強をした時にまず教わったのが、”1人でもできる形にする”こと。

1人でやれるということは、自ずと店舗スペースも決まってくる。
だいたい10坪以下になる。そうなれば家賃も安く済み、また基本1人でやれるので人件費も心配しなくて良い。

それを日本では実践してきたので、僕がいなくなってもほぼ赤字になることがない。(ただしこれはスタートアップの時であって、あまり堅実に続けていると人材育成の面で苦労する)

香港もこの考えに沿って物件を探し、7坪30万のセントラルの物件をゲットして、いよいよ開業へと進んだ。

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しかしそこで....

パートナーのA君が一杯の値段を30香港ドルにしたいと!?
日本円で300円ぐらいですかね。

席数が15席程度しかとれないのに「300円って!おい大丈夫かよっっ!」てことで意見衝突。
1杯300円でこの立地と席数だと、いくらがんばっても200杯から300杯が限界。1日売上6万から9万です。月300万程度の売上げからすると利益は70万前後。

これを持ち株で折半するなんてことになれば、1カ月30万から40万。
わざわざ香港に来てやる意味はないなーと。

あっ、夢のないような事を言いますが、
一番大切にしていたのはラーメンの「味」です。
日本の「心」です。
それと同じぐらい「利益」も意識していました。
ここに1つの基準をつくりました。じゃないとなんの為に来たのか、となりますよね。

結局この話の折り合いがつかず、このパートナーA君とは分かり合えないまま、僕は日本に帰ることにしました。

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こんなこともあろうかと会社名に凪は入れず(ま、漢字表記ができなかったのもありますが)豚王にしておいてよかったと思いましたが。
これが後々ボディーブローのように効いてきます。

帰国を控えたある日。
最後にパートナー A君のお父さんがお目見えに。何度か会ってはいました。「Aのことでご迷惑をおかけしたと。もう一度お願いできませんか?」と言われました。

僕もお父さんはとても好感がありましたので、
「あなたとパートナーとなれるなら話をしましょう」と伝え、もう一度ラーメンをつくることに。

ラーメンの価格は大衆向けとしては現地で一番高い800円を提示しました。
そう、実にA君がやりたい金額の倍以上です。

でもそれぐらい本気でやらなきゃ意味がない!と思っていました。

今思えばかなりチャレンジャーですけど、それでも確実に時代にマッチする大切なポイントだったと思います。
今日(2021年)の香港のラーメン価格を釣り上げたのは、この時(2010年)の凪だといっても過言ではない!

さてそんなラーメンが受け入れられるのでしょうか???

ハラハラドキドキしながらも、次号へつづく!

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