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恐怖の連続の子供時代

女性へのあこがれ

そしてイギリス留学によって克服した対女性恐怖心の原点を探ってみる。 以前ここで習い事の話をしました。水泳の習い事の記憶も結構ひどかった。 水泳クラブでは中年の女性に教わっていたが、あまりにも嫌で泣き出して母親のとこに駆け込んでいった記憶がある。 
 
彼女のなにが恐かったか覚えていない、怒鳴るわけでもなかったかもしれない。存在が恐かった。
 
大人が恐かった。 団体行動はすごい嫌いだった。 
 
なんでここに僕は一人で残されてるんだろうと思っていた。
 
そう、みんなまわりにいるけれど、それは「敵」にしか感じれなかった。すきをみればいじめようとするまわりがいる。
 
女の子はそんなことはなかったから、ぼくは出来れば女の子とあそびたかった。でも
僕の性別が男だという事で
 
彼女達は「遊んではいけない」という感じでちかづきもしない。
 
他の習い事はお習字?お絵かき教室。 絵は楽しかった。好きなように描いてよかったから。座って、時間の制限もないし。だれとも会話をする必要もない。
 
なんでだろうか、大人になって沢山素敵な、通じあう友達が出来たのに。僕はまわりが恐くてしょうがなかった。自分が心を開いていなかったから、子供達が悪者に見えたのだろうか。
 
美術の先生というだけで僕は尊敬していた。 おっとりした女の先生だった。近所に住む従妹も一緒に来ていたから安心して絵を描けた。 絵を描く同志がいることに励みになった。
 
両親は(父は一切関与しなかった)子供達に本気で楽しいかどうか、聞くべきである。
 
それをきかないで母は、好きでない習い事をやめようとすると
「またやめちゃうのね!」と怒鳴りちらす。
 
僕は楽しくないからやめるのだ、なんで我慢してやらなくてはいけないのか。母親が僕にただやってほしいだけなのだ。 
 
僕は楽しくなくただの苦痛だった。

写真:筆者

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