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「コミュ障」そのひと言から生まれる障害

こんにちは。

今回は、日ごろ見聞きする一言についてお話したいとおもいます。
以前からなんとなく「取扱注意」と感じていた言葉のひとつ。

「コミュ障」

この言葉自体に病名が含まれていることもあり、
個人的にとても危険を感じる単語という認識です。

「コミュ障だから」「コミュ障っぽい」

こんな言葉を巷でよく耳にします。
特に最近、個人に限らず身のまわりの様々な場面で
頻繁に見聞きするようになった気がします。
コミュニケーションについての話題が増えたこともあるのかもしれません。

毎度出会うたびに内心ドキッとしながらも、
そもそもなぜ使われるのだろう?
そんな単純な疑問が湧いてきました。

個人的な言葉に対するイメージや本来の意味ではなく、
言葉を使う側の心理や意図、周りの影響について考えてみました。

ここでは「人と話すのが苦手」という意図で使われる場合の、コミュニケーションに与える影響についての私的意見です。医療の分野で用いられる本来の意味についての見解ではないこと、何卒ご理解いただければと思います。

聞き手側の理解・判断が難しい

「コミュ障」という言葉を使う側の意図として、少なくとも

「話を振って欲しい」と、
「話しかけないで欲しい」

この2つが考えられるとおもいます。

問題は、両者が対極にあり、文字では特に判別が難しいということ。
いったいどっちなのか。返す言葉も慎重になります。

自ら発信しているという点で言えば、前者である可能性は高いかもしれません。
ですがここで問いたいのは、事前にその前置きを提示することがコミュニケーションの充実に繋がるのか?ということ。

個人的には「あまり効果的ではない」と考えます。

「聞かれたことに反応する」では話題の起点や方向性が限定される方向に向かい、自由な意見交換が求められる場では特にマイナス面が大きい「前置き」になりかねないからです。

会話に対する自信の無さ、苦手意識から、口癖になっている人も多いのではないかと思います。「相手に自分のことを理解してもらいたい」そんな思いのあらわれなのだと思います。
しかしそれを相手に伝えてしまうことで、かえって悪い方向に進んでしまう可能性がある。とすれば、より良いコミュニケーションに必要なのは「言わない」選択なのかもしれません。

会話や議論の前に苦手を宣言する、これも同じ心理、効果になります。
私自身あまり得意な方ではないという思いもあり、言葉違いで同じことをしてしまっていたのかもしれません。

障害を生んでいるのは、その言葉や行動自体かもしれない。
避けていた言葉からの思わぬ発見でした。

生活のありとあらゆる場面にコミュニケーションはあり
デザインの現場においても言葉で意図を表現する機会は多くあります。
今後もこのような一言に気づき、考えていけたらと思っています。

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