季節の変化
世代の問題だろうか。
近所では梅の花が満開だ。両親は「梅の花が咲いてるー!」と言いながらスマホで写真を撮り、その後も暫く花を眺めている。しかも一回だけじゃない。梅の前を通る度に立ち止まるもんだから、正直「もういいだろ」と思ってしまう。
自分は「あ、梅が咲いてる」くらいの感動だ。10秒もすればその感情は綿毛のようにどこかへ飛んで行く。
こういう感情は昔からのものか、それとも歳を重ねるごとに覚える感情なのか。世代の問題と一括りにはできなさそうである。
小学生の頃は
「今の時期、あそこの茂みにはバッタの幼生が多いから、カマキリのエサにはちょうどいい」
と考えながら虫取りをしていた。だから、工事で虫取りする場所がなくなるのは少し怒りを覚えた。工事が終わって元の場所に行ってみると、花壇ができていたり芝は刈られていたり。整備され過ぎてとても「虫がいそうにない」環境になる。こうして虫取りをする場所はなくなっていった。
昔は春が待ち遠しかった。虫が現れ始めるからだ。だが、周囲の開発が進み虫取りの場所がなくなるにつれ、その気持ちも薄れていった。代わりに、入学式や文化祭などの行事が季節の変化を意味づけ始めた。
「入学式の頃は桜が咲いている」
自然の変化は、学校に関わるイベントに後付けされる形で享受されてきた気がする。
学校を離れるとまた昔の気持ちを取り戻すかもしれない。行事がない分、季節感を感じるタイミングは、何気なく自然とふれあう瞬間だ。今年自分は社会人になるが、ふと桜を見た時に葉桜だったら「この前まで大学の入学式だったのになあ」と思うだろう。学校行事のような枠組みを失うと、自然の変化で季節を感じ始めるのではないか。歳を重ねて湧き上がる感情とはこのことだろうか。
大学4年の授業は全部オンラインだった。今までと違い行事で季節を感じることはほぼなかったと言える。
約7ヶ月前。4月からの外出自粛が終わり、久しぶりに外に出た時。外は蒸し暑く、蝉も鳴いていた。「もうこんな季節か」と思ったが、久しぶりに自然から季節を感じた瞬間かもしれない。
季節の変化を楽しむ。部屋に閉じこもってばかりいるとそんな変化にも気づかない。たまにはあてもなく散歩して自然の変化を楽しむ。そんなのんびりした時間があってもいいかもしれない。
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