鈴木諭

地獄の詩世界と秋田弁ブルースを唄う、ただの秋田県人。じゅんさい王国(旧・山本町)出身。…

鈴木諭

地獄の詩世界と秋田弁ブルースを唄う、ただの秋田県人。じゅんさい王国(旧・山本町)出身。バンド「無善寺ドクダミ団」も営業中。noteでは只管に私の中にある憂鬱を綴ってゆく。

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生きててよかった。

社会人三年目くらいの頃だったろうか。 その時から急激にアトピーが悪化し始め、高校一年生以来の重症になった。 原因はと考えるに、結局仕事のストレスが大きかったのだろう。 自分で言うなという話だが、私は仕事が非常に出来る方で普通の新人社員が任されないような大きなプロジェクトも抱えたりしていた。 同期入社と比べても、所謂出世コースにいる程に。 色んな重圧がかかっていたのだろう。 で、アトピーはどんどん悪化する一方。 仕事も山ほどある。 首の部分が酷く苔癬化した。(グロ

    • 友川カズキを聴きにゆく。

      友川カズキを聴いた。いや、聴かねばならなかった。兎に角、今、聴かねばならなかったのだ。 約一ヶ月後に初の独演会を控えた状況で、どうしても聴かなきゃいけないと思った。衝動に理屈は無い。 --------私の友川カズキとの出会いの話をする。まだ、無善寺という居場所を見付ける前の話だ。 『僕は今日も無力無善寺で歌ってる』で登場する、野外イベントにおいての話。 まだ秋田弁ブルースという"発明"をする前だったのだが、とかく訛りの強い私は標準語でもイントネーションが秋田弁。 M

      • サンモールの恐怖

        "実は"と言うのも改まって何だが、秋田にいた頃から中野だけはしばしば来ていた。 仕事をしていた地域のアンテナショップがあったからである。 誰にも言ってない。言いたく無かったから。 まあ、言う必要も無いのだが。 私にとっての『地獄の四年間』時代は思い出したく無い事ばかりで、無論出張で中野に来ていた頃の事もあまり考えたくない。 が、何の因果か今は毎月のようにその中野で歌ってる。こんな事になるとは夢にも思ってなかった。 意思を殺していなければ、生きていられなかった。 何だ

        • 薄れゆく自己を求めて、秋田へゆく。

          半年に一回は、実家へ帰るようにしている。 東京にいると良くも悪くも"自己"が薄れ、それが楽な部分でもある反面、創作をする一地方人にとっては大切な事を忘れていく一因となってゆく。 田舎にいると、自分の意思に関わらず周りから性急に"自己"を押し付けられる。 ●●の家の孫 ●●の同級生 昔は●●で働いてた ●●の学校だった 至る所に知り合いがいる。知り合いしかいない。常に何処かに目線があり、気を抜ける瞬間というのは自室に一人でいる時しかない。 だが、だがその押し付けられる

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        生きててよかった。

          ささらの夜

          皆さんの音楽の原初体験は何だろうか。 私は"ささら"だ。 ささらと呼ばれる伝統芸能は日本各地にあり、私の出身部落のは『泉八日ささら』と呼ばれる。 祭りの目的としては、ごくごく一般的な五穀豊穣を祈るモノ。 毎年、お盆の夜になると部落に二軒しか無い商店の片一方、通称・酒屋さんの前のT字路でそのささらが行われていた。 自分が意識するしないに関わらず、最初に触れた音楽というのは間違いなくささらなのだ。 「ブルーハーツがきっかけで音楽が好きになった」とは言うけれども、大元の

          ささらの夜

          生きてるうちは、死にたくない。

          薬漬けの人生を送って来た。 小学校五年生の時にアトピーを発症し、一時は完治かと思ったものの高校一年生の時に再発。 爾来、好不調の波を繰り返しながら基本的に薬が手放せなくなっている。 先日のライブの際にW.C.カラスさんに『屈折してる』と評されたのだが、私の心理的屈折の最たる要因は間違い無くこの皮膚病から来ている。 心の陽と陰の振れ幅が、とかく激しい。 が、だからこそ創作が出来てると思ってるので、自分でもそれで良いと思ってるところが。 春先から、アトピーの調子が悪い。

          生きてるうちは、死にたくない。

          苛烈と穏当(2023.08.10)

          疲れが溜まってる状態で、19度の日本酒(原酒)を飲んだせいか矢鱈と眠い・・。 終電で寝たらマズい状況なので、眠気覚ましに文章を書く。 本日は初めて行って以来、大のお気に入りになってる「工房ムジカ」へ店主の葛原りょうさんのワンマンを見に行った。 ウクライナ戦争に関する短歌連作及び、広島・長崎の原爆投下に関する詩の朗読といった内容。 この数年で膨大な量の本を読んで来たのだが、戦争に関する詩には触れて来なかったので、知見が広がる良い機会となった。 知らなかった詩人を多く知

          苛烈と穏当(2023.08.10)

          佐渡山豊を見た。(2023.12.08)

          佐渡山豊を見た。 久しぶりに本当に感動した感覚がある。 体に穴が空いたんじゃ無いかと思う程、ザクザクと言葉が刺さってきた。 私はこれを浴びたいし、そして多分これをやりたいのだろう。 佐渡山さんは所謂フォーク世代のミュージャンで、郷里・沖縄をバックグラウンドとした歌を歌う方。 沖縄弁・標準語双方の曲があるが、いずれにしても土地の匂いが兎に角濃い。 私が初めて音源を聞いたのは恐らく半年くらい前だった気がするが、烏滸がましいが"スタンスとして"非常に近いものを感じ、一聴し

          佐渡山豊を見た。(2023.12.08)

          裏日本後記(2024.01.21)

          凄く疲れてる筈なのに、あまり寝れなかった。 時計を見るとまだ五時半で、窓の外では雨の音がしとしと鳴っている。 雨の向こうから救急車の音が聴こえてきて、気づけば七時半になっていた。 ----------。 昨夜『裏日本』を終えた。 ツーマンを決めた昨年十月以降、ずっと「裏日本へ向けて」という想いを抱えながら動いていたので、緊張の糸が一気に切れたようになっている。 自分の事は後回しにして、圧巻だった片山さゆ里のステージについて。 本当に、本当に凄かった。 ムジカでのワ

          裏日本後記(2024.01.21)

          消えた盟友。

          「バスジャックをしよう。バスジャックをしよう。行きたいところへ行けるように、バスジャックをしよう。」 その歌が私の中に飛び込んで来たのは、昨年五月の事だった。 二月に初めて無善寺を訪れ、次から次へ現れる奇人変人に心を踊らせた私は全レギュラー日に出ようと思うように。 そして四月から色んな日に出始めて、五月に"酔っ払って"という第三木曜日へ出演する。 初めて片山さゆ里と会った日だ。 無善寺で出会った演者で好きな人間は沢山いるのだが、私にとって一番"分かる"歌を歌うのは同

          消えた盟友。

          ブルース夜話

          私は音楽が好きで音楽を始めた人間だから、普段からよく音楽を聴く。 しかし色々なミュージシャンと会うようになり、音楽を殆ど聴かないミュージシャンが一定数いることを知った。 私には無い感覚だから面白い。 著名な方で言えば、以前シバさんが聴くよりも先に弾き始めたみたいな事をMCで言ってた記憶がある。 何故に唐突にこんな文章を書いてるのかと言うと、文学の話題や絵の投稿ばかりで、私自身が「あまり音楽に興味の無いミュージシャンに見えるのではないか」と、なんとなしに思ったからである

          ブルース夜話

          2023.11.05 ムジカライブ翌日の日記。

          何だかずーっと憂鬱なスイッチが入ったままなので、気分転換に早起きして久しぶりに絵を描く。 どうも先週の木曜から続いてる気がする。 私は気分の高低が100か0かのところがあり、大体良い詩が生まれる時は0の時だ。 昨日も3つ浮かんで来た。 ここ最近は人と会ってる際は100の状態なので、今年に入って知り合った人にはよく「鈴木さんは落ち込んだりしないでしょ」とか言われるのだが、逆に問いたい。私の詩を聞いて本気でそう思うのかと。 ・・・ 日曜日のムジカのライブで『アトピーのう

          2023.11.05 ムジカライブ翌日の日記。

          私の山怪

          裏日本の際に、猫道さん(@nekomichic )からお借りした一冊。 山間部に残る不思議な話を集めたモノ。 読んだ後の率直な感想としては"どこかで聞いたような話が非常に多い"事である。 以下、類似した私自身の話を述べて行こう。即ち、私の山怪だ。 書き始める前の前置きとして一つ。 私は私自身の認識で、正気である。では本編へ。 1.青い二つの火の玉 正確な年齢は定かで無いが、保育園の年長くらいの頃に仏壇で青い二つの火の玉を見た事がある。 畳から一メートルくらいの高

          私の山怪

          卓球を清算したい。

          卓球を清算したい。文章を書くことで。 「音楽をやる」と決めて東京に出てくるまで、15年やっていた。 中・高・大・社会人と。だから音楽歴よりよっぽど長いのである。 そもそも何故に卓球を始めたのか、という理由にもアトピーが絡む。 小学校五年の時に発病し、入院するほどの重症状態に。 その後、中学に入るころには一旦落ち着くが"汗をかくと悪化する体質"な為に、極力汗をかかなそうな楽なイメージである卓球を選ぶ。部活が必須だったので。 が、ハマってしまった。それまで好きだった絵を放

          卓球を清算したい。

          ずっとブルーハーツを聴いていた。

          高校一年生の夏休み、小学五年の発病時以来のアトピー重症化により治療で引き籠もっていた。 汗をかくと悪化するので、丸一日クーラーのガンガン効いた部屋にいるだけ。 体は痒い、痛い。辛い。兎に角辛い。 そして何もする事が無い。 時間は丸一日ある。 ----------中学二年の時に「太鼓の達人」というゲームがきっかけでブルーハーツを知った。 世の中にゴマンと溢れる恋の歌が全て嘘っぱちに思えて、私は夢中になった。 流行り音楽を全く聴かなくなり、以来誇張抜きで二十歳頃まで彼

          ずっとブルーハーツを聴いていた。

          「もう秋田に帰ろう」と思っていた、という話。

          もう秋田に帰ろう。 そう思ってた時期があった。 2022年頃。 上京して最初に組んだパンクバンドは、ボーカルとのいざこざで逃げるように脱退。その後に組んだバンドも、メンバーとの関係がうまく行かず脱退。 人と関わるのが兎に角嫌になり、一人でネットを中心に活動を始めた。これが2021年春。 小賢しくマーケティングばかり考えていた当時の私は、自分の曲に人を流すための導線を作る必要があると考え、音楽系のyoutuber活動を始める。 わりあいに、上手く行った。登録者1,50

          「もう秋田に帰ろう」と思っていた、という話。