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「真面目」な性格

私は子供の頃から「真面目だねえ」といわれたりします。

【真面目】(まじめ)
1、本気であること。うそや冗談でないこと。
2、まごころをこめること。誠実なこと。
(Oxford Languagesの定義)

言葉の意味はこんな感じですが、人はこの言葉にどういった感情を込めて言うのでしょうか。

真面目といわれる時

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「昨日テスト勉強2時までやってたわ」
「テストは来週なのに真面目だなあ」

「先日はありがとうございました!」
「いちいちお礼なんていらないよ。真面目だなあ」

「そんなゴミなんて拾わなくていいよ。真面目だなあ」

不思議と

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血まみれの人が路上で倒れて苦しんでいたとします。駆け寄って介抱する人にむかって「真面目」だとはいいません。

スペースX社で民間初の有人宇宙ロケットの打ち上げに成功した、イーロン・マスク氏は「真面目」というのとはちょっと違います。

頑張って資産を稼いだお金持ちは真面目でしょうか?

社会的権力をもつ政治家のことも「真面目」とはいいません(笑)

美意識

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「真面目」という言葉自体にはポジティブな意味があるはずですが,なんだか最近では逆の意味で使われることのほうが多い気がしています。

そこには揶揄(やゆ)や妬(ねた)みの感情が込められているのかもしれません。

テスト勉強もお礼もゴミ拾いも、動機は行為者の信念や価値観によるものです。私はこれを「美意識」だと思っています。

揶揄や妬み

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ここからは勝手な妄想です。

私達は普段から美意識に従って行動したい、けれどなかなそうはいかないというジレンマを抱えています。そのため,他人がその人自身の「美意識」に従って行動しているのをみると無意識にうとましく感じてしまいます。

そこで、その人の評価をするとき「真面目ですね」という表現になってしまうのだと思います。

言われる方も言う方も,「真面目」という指摘がピント外れに感じるのは、「本来の言葉の意味」と「込められた気持ち」とのズレが原因なのかもしれません。

真面目の危うさ

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揶揄や嫉妬の気持ちはさておき、自分の「美意識」に対する真面目さというのは、危うさを含んでいるように思います。

美意識に従って生きることは、心身の健康に大事なことです。
しかし、その美意識というのが何かの影響でいびつに歪んでしまっていたとしたらどうでしょう?

心身に有害な美意識というのもあって、過労や人間関係のストレスなどがその代表選手ではないでしょうか。「真面目な性格」は,「こうあるべし・こうでないとだめだ」そんな美意識に忠実にしたがってしまうことで、逆に心身の健康を損ねてしまいます。

真面目かどうかというより「何にたいして真面目であるのか」を問うことが大事なのだと思います。みなさんは何に対して真面目でいたいと思いますか?


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