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比べてしまう

他人と自分を比べてしまう癖がなかなか治らないもの。
その「癖」に時間やエネルギー使っても「いいことはない」ってのはわかるんですけどね。とりあえず、どんな症状でどんな害があるのか。それは治るんだろうか?少し考えてみた。自己分析ってほどでもないけど。 

どんな症状なのか
自分より「高い・優れている・幸運・多い・恵まれている・幸せそう・良さそう」などと感じる他人を羨ましく感じる。さらに、その人のアラ探しをして溜飲を下げる(ルサンチマン的な、いやもっと直接的な妬みかも)

一方、自分より逆に劣っている人(と、勝手に思い込んでいるだけ)を見下し、優越感を持つ。そうすることで、自分の足りなさを見ないふりをする(足りなさを痛感した過去があるにもかかわらず)
総じてやな感じだ。

どんな害があるか
違う人間であるにも関わらず、自分と同じ土俵にのせてしまう。結果、同じ方法を試して上手くいかず失意を味わうことになる。自分なりの成功について考える機会を失い、盲目になっていく。
人を見下すことで現状の自分に満足してしまい、努力をしない。他人と自分を比較することは、結局のところ自分自身から目をそらしていることになる。

ちょっと冷静に考えれば、違う個体を比較すること自体無理だと解るはずが気付かない。どちらも実際の自分と向き合うことか逃げる行為であり、成長や変化の道を自ら閉ざしている。

治りそうか
不治の病ではないにせよ「お医者様でも草津の湯でも」レベル。ちなみに、いっさいトキメキはない。

唯一の望みは「考える力」を身につけることだと思う。
考える力とは(他人と比較するのではなく)他人から学び、(他人とは違う個体である)自分に活かせるようにカスタマイズできる力ではないだろうか。カスタマイズするには、他人の行動や考え方を抽象化し構造化できなくてはならない。

たとえば、「成功者は朝5時に起きているから真似をする」ではなく、なぜ成功者は5時に起きるのかを考える。5時に起きない成功者もいるはず。
行動をコピーするのではなく、その本質を理解し抽象化する。
早起きするのは時間を確保のためか?朝は脳が働くからか?モーニングサービスがあるからか?子供がまだ寝ているからか?
そしてこれらの取り出した要素を自分用にカスタマイズする。
クリティカルに物事を考える力が治癒の鍵となるのではないだろうか。

自己認識・自己理解
自分向けにアレンジするということは、まず自分自身の性能を知る必要がある。もとの形もわからないままではカスタマイズできないからだ。

科学的なエビデンスに基づく研究結果が、自分に当てはまるとは限らない。被験者が全員同じ結果だったわけではないからだ。研究結果は「相関係数からすれば、こうするとこういう結果が出やすい」というだけであって、「自分が同じ結果になる」かどうかは別問題。生活スタイルによっては、朝8時に起きたほうがパフォーマンスが発揮できるかもしれない。

もし、自分の基本性能を知らなければ、パフォーマンスを下げるような行為を、エビデンスがあるからという理由で続けることになってしまう。当然「その手法が自分に有効なのかを検証できる力」も必要になる。自分の変化をフィードバックできることは必須ではないだろうか。

治療のヒント
ところで、「現実を見ろ」というのは自分という現実を見ない人のセリフだ。この人たちは、自分の事をわかるよりも先に他人と自分を比べろと言っているようなものだからだ。自分の現状を受け入れることと、他人と比べることは違う。自分を受け入れるということはつまり、「自分はこういう人間だ、じゃあ理想になりたいならどうするのが有効か?」とい考えることだ。

自分の価値観は?能力は?好きなものは嫌いなものは?なりたい自分とは?足りないものは?できることできないことは?補うには何をすればいい?時間は残りどれだけある?持っているリソースは?自分に合ういい方法はないか?

自分から逃げずに向き合っていこうと思う。

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