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ノウハウからオカルトへ

とあるアーティストが悪魔に魂を売り渡し,手に入れた才能で成功していくのだがその後・・・という感じの物語や映画があります。みなさんも一度や二度は読んだり観たことがあるのではないでしょうか。

物語の登場人物は(必ずしも全員ではないですが)自分の望みを叶えるために経験を積みノウハウを学ぶなど,人並み以上に努力をしています。「やがて」または「ある時」自らの限界を感じてしまうのですが,叶えたいという欲望に抗うことができずダークサイド踏み込んでしまう,というのがこの手の物語の構造です。

僕はこの物語の登場人物にちょっとだけ羨望を感じます。

極端だけど例えば,

あなたが「人の心を動かすような文章が書けるようになりたい」と思ったとき,いきなり神頼みで「お百度参り」を始める人はいないと思います。実際に書いてみたり,お手本になる人の文章を読んだりするのではないでしょうか。文章が上達するためのコツや方法があるに違いないとおもえば,ノウハウ本を買ったり関連した記事を読むこともあるでしょう。

オカルトに走る人

私が羨ましいと感じるのは,物語の人物が常識的で論理的な努力や研鑽を重ねるだけでは足りず,目的のためには手段を選ばないという強い意志をもって行動を起こすという点です。是非についてはなんともいえませんが,物語で描写されている以上にその時,その人は情熱に目を輝かせ充実した気分を味わっているのではないかと思うからです。

目的はなんだろう

素晴らしい文章を書けるようになるために,祭壇を作って仔羊を生贄に差しだすことが必ずしも良いアイデアだとは思いません。ただ,人や物事はそれほど単純ではありません。合理的に行動できないのが人間ですし,非科学的なものがその人にとって目的の効果を与えることだってあります。どんな恐ろしい手段を用いても構わないとは思いません。とはいえ,目的を叶えるためにあらゆる手段を考えて挑戦するという姿勢は,「生きかた」に対する一つの答えであるように私には感じられるのです。

ダークサイド

よく「ダークサイドに堕ちる」なんて表現をしますが,私にはちょっとしっくりきません。人は何かを望んだ時点で、片足を暗黒面に突っ込んでいると思うからです。「手段を選ばない」というのは,目的を叶えるための有効なノウハウの一つなんじゃないかなと思っています。
(是非はさておき)

ノウハウからオカルトへ

平凡な私は今日も本を読んだり,人と会話をして生きています。本を読みふけるだけというのももったいない気がするし、かといって祭壇を作るのもどうかと思います。けれど,目的のために「振り切った」選択ができる人たちのことをちょっとだけ羨ましくも感じます。自分の叶えたいものはなんだろうか?ということを自覚しながら,広い視野で叶えるための手段を選択できる自分で在りたいと思います。

Amazonならノウハウ本を買うことができます。電子書籍もお手軽です。ちなみに仔羊の骨付き肉も買うことだってできます(笑)


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