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何事にも文脈がある

毎日ちょっとした気付きを書いています。

【文脈】ぶんみゃく
文章の中での文の続きぐあい。また、文の中での語の続きぐあい。
 「―をたどる」
(Oxford Languagesの定義)

我が家のお正月
何事にも理由があるのに、どうしても感情に先を越されてしまう事が多い。
「正月は昔から、お雑煮におせち以外はダメだと父にいわれていたから」という母の愚痴にふと、どうしてそうなったのだろうと疑問が湧いた。

母に聞いても、なぜ父がそう考えたのかについてはまったくわからない様子だった。本人はクリスマスもお正月もないところへ行ってしまったので、もう聞きようもない。

職場の同僚
すこし前から、なんでそんな仕事のやり方をするのか気になる同僚がいる。その時はどういうわけか、感情に負けることもなく純粋に「君の様子を見ていて感じたのだが、こうしてみたらどうだろう」と声をかけることができた。否定的な感情のないことが伝わったのか(そう思うことにしよう)、同僚は一通り話しを聞いたあと、実は…と以前の大失敗の話をしてくれた。

なるほど。

やり方の是非はさておき、理由がわかった。
ほんの短いやり取りだけど、僕にも同僚にも大事な雑談だったんじゃないかと思う。僕も同僚に対してこれ以上否定的な気持ちを抱くことはないし、同僚も客観的な意見を聞くことができたからだ。
お互いを少しだけ理解できたのではないだろうか。

習慣やルール
いまやその習慣は跡形もなくなっているけど、我が家の「正月はお雑煮とおせちだ」というルールにも理由があったのだと思う。
孤児だった父はお正月に思い出があったのかもしれないし、「こういう家族にしたい」という理想をもっていたのかもしれない。

母によれば「なくてもいいじゃん」という意見は一蹴されたそうだが、それで終わっていてはただのワガママや亭主関白になってしまいかねない。
けれど、想いを言語化するのは難しい。「理由をきかせて」といわれても、解るように説明するためには訓練が必要だと思う。

何事にも文脈がある
当たり前のことだけど、どうしても不満や怒りなどの感情が先に走ってしまう。たしかに納得の行いく説明はもらえないかもしれない。想いを言語化するのは難しいからだ。
それでも伝わるものはあるはず。
何事にも文脈があるように、想いには理由がある。
そう自分に言い聞かせながら、今日も想いを伝える力と相手を思いやる気持ちを育てていこうと思う。

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