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未来を信じる心がないと不眠の改善は厳しいのではないか…と眠れぬ夜に考えた話

睡眠リズムを整えようとして、「刺激統制療法」なるものを始めた。

シンプルに言えば、

・眠気が来るまで布団に入らない

・同じ時間に起きる

これを繰り返して、「布団は寝る場所だよ」「この時間に寝るんだよ」ということを身体に叩き込む…らしい。

結果、眠れない夜を繰り返している。


「眠れない」という苦痛を抱えて日々を過ごせば、いつかは眠れるようになるのだろうか。

でも、そもそも私は苦痛を抱える力が乏しい。


これまで、苦痛を感じたらすぐに、アームカット・お薬・お酒といった方法を使って、切り離して、心の押し入れにぎゅうぎゅうに詰め込んで、ガムテープを貼って封印してきた。

たまにガムテープが剥がれて、あふれ出して、大惨事になる。

惨状に唖然として、しばらく絶望したあと、もう一回押し入れに詰め込む。

年齢を重ねるほどに詰め込むものが増えていっぱいになっているので、整理した方がいいのは分かっているけど、開けるのはなかなか勇気がいる。


どうしてこうなった。


たぶん、毎日、苦痛が降り注ぐ中で「苦痛を抱える」なんてことをしていたら、すぐに心が苦痛でいっぱいになって破裂しちゃうからだと思う。

苦痛で破裂するっていうのは「死」ってこと。自分の死か、他人の死のどちらか…あるいは両方もありえるか。


苦痛を抱えられる人は、「苦痛を抱えていれば、いつかは良い方向にむかう」っていう体験を積み重ねてこれたんだと思う。

私は苦痛を抱え、乗り越えることで、何か良いものを得られた…という体験が希薄だ。

むしろ、苦痛を抱えていても助けは来ないし、親からは『あんたより私の方がつらい』と責められたり、叔母からは『お母さんを支えてあげて』と無理難題を言われたり。

包丁振り回したり、夜中に叫んだり、彼氏との喧嘩で警察を呼んだり、自殺未遂を繰り返したり…そんな親に高校生・大学生だった私ができることってあったんかな。

親が手首切って入院した時、叔母が家事をしに来てくれて、それはありがたいけど、親がそういう状態って知ってて「助けなきゃ」とは思ってくれんかったんやなぁ。

叔母も、母親の彼氏も、何もできてなかったけど、私には何かができると思ってたんやろうな。まさか、口先だけはいい人ぶって押し付けていたわけではないでしょう。さすがに。

「助けて」を言わずに、「お母さんってほんま困った人やで」と笑ってたのがあかんかったんかなぁ。でもネタにもできんかったらただただつらすぎる。


目の前の家事とか受験勉強とか、そういうものをこなすためには苦痛を抱えている余裕もなく。

というより、高校生の頃は家事とか受験勉強とかに「依存」することで、苦痛を忘れてたんだと思う。

家事も受験勉強も毎日やらなきゃいけないことがたくさんある。それが現実逃避としてうまくはまった。母親の調子が良ければ、家事や受験勉強によって母親の機嫌が良くなる可能性もあったし。

だから、受験勉強に関しては「苦痛」とかじゃなかったし、「乗り越えた」という感慨もない。

卒業後に高校から「受験体験記を書いてくれ」と依頼されて、私は「受験なんてRPGみたいなもん」と書いた。友達からは「あれ、ふざけて書いたやろ~」と笑われたけど、やっぱり現実逃避のためのゲームになっていた部分が大きい。

「臨床心理士になりたい」とは思っていたし、そのために「志望校に行きたい」って想いも絶対に嘘ではなかった。かなり真剣に取り組んでいたと思う。でも、それは音ゲーとかを極めている人と同じような感じなんじゃないか。


「苦痛を乗り越えれば、何かを得られる」っていうのは、将来の展望は明るいって無条件に信じられるくらい、世界に愛されてきた人の感覚なんだと思う。

自殺を止めようとして「生きていればいいことがある」「死んではいけない」という人は、きっとそういう人だ。

でも、そういう明るい展望を描いてほしいなら、苦痛を減らす手助けがないと無理だ。それがないんなら「生きていればいいことがある」という言葉さえも、心の押し入れ行き。自殺したい人をより一層「死」に近づけるだけ。

無邪気な幸せを見せつけられると、見ないようにしてきた不幸がありありと見える。図と地みたいなもの。


話がめちゃくちゃに逸れた。

眠いのは眠いからね…眠いのに布団に入ると眠れないのが問題で。

窓の外が明るいよ。

新しい朝が来た。希望の朝…だ…。うん。

閑話休題。


要するに、私は苦痛の可能性をほぼ信じていない。

特に母親という苦痛と向き合うくらいなら、一生会わない。

それは「逃げ」なのかもしれないし、「万が一にも良好な関係を取り戻せる可能性を捨てている」のかもしれないけど、それでいいと思う。

勝算のないギャンブルだ。

私は「嘘喰い」は大好きだけど、ギャンブルをする気にはなれない。


こうやって人生最大の苦痛を切り離すことで、「ほかのことなら多少苦痛でも抱えてやってもいいかもしれん」「今なら乗り越えられるかもしれん」と調子に乗っている部分はある。

そして、見事に耐えられそうにない。困ったもんだ。




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