【エッセイ】悔いは残しまくれ。

 私は何かの失敗を糧にして、その何かに再チャレンジしたことがあまりない。何かに失敗して悔しい思いをする機会があった場合、通常はその悔しさをバネにして「次の時はもっと頑張ろう」、なんて思うのが通常なのかもしれない。だとすると、私は通常ではない。

 私は悔しい思いをすることがあった場合、それを他のことで何とか発散しようとしてしまうのである。
 もしかすると、これはとても非効率な行為なのかもしれない。本来、失敗を乗り越えるためには、その失敗の原因となった出来事を克服するべきである。もし私のように失敗を乗り越えない道を軽々しく選択してしまった場合、失敗した事柄に対する『後悔』の感情が自身の血肉の中に残留し、中々消すことができないだろう。

 私の人生は後悔ばかりである。今日三十二歳まで悔いてばかりの日々を歩んできたと、堂々と宣言できる。

 何か一つの物事で失敗してしまったとしても、再チャレンジを選択することは殆どない。もちろんすることもあるのだが、基本的には自分の中で「失敗」と受け入れてしまった場合、被害が少ないうちの早めに諦めてしまい、とっとと次の物事に鞍替えをするのだ。私のこの行動を軽蔑する者は多いだろう。決して世間一般的に称賛されるべき人間ではないことだけは重々自覚している。

 例えば、私は「小学生の頃からクラブ活動をしていればよかった」とこれまでに何百回も後悔している。

 私は小学校五年生で不登校に陥ってしまい、中学校も三年間の殆どを『適応指導教室』という地域の不登校児たちが学校の替わりに通室する施設で過ごした。その結果、私が部活動で野球に初めて携わることができたのは定時制の高校に入学してからになってしまった。
 定時制の部活動は、平日の練習時間が授業1限分よりも少なかった。最たる不運は入学時に自分を含めた部員の全員が野球素人に等しい経験値しか持っていなかったことである。入学後初めて行われた練習試合は、近隣の中学校の野球部の二軍と対戦し、18対4でボロ負けした。ダブルヘッダーでコールド負けレベルの大敗を喫してしまった我々は、自転車に跨った中学校球児達から「頑張ってくださいー」と励まされた。舐められていることにも気づかずに「ありがとーまた試合やろうな!」と素直に感謝するような有様で、大敗した悔しさも皆無に等しかった。そして大敗を期した部員たちのその後はというと「このあと公園でサッカーしようや」「その後はカラオケやな」「あれ財布の小銭が無い、盗まれた!」などの低能な会話を部室内でダラダラ繰り広げた後に各々上がっていくだけであった。

 定時制高校の部活動とは、それまで部活動に熱心に打ち込んできた人間共の気を狂わせる要素が集約されているまさに奇々怪々な環境である。

 常人なら気がおかしくなってしまっても可笑しくないような環境ではあったが、それまで部活動に在籍した経験のない私は、なんとかギリギリで適応することができていた。だがなんとも恥ずかしいことに、私はその後高校二年生の途中で部活に行かなくなったことを皮切りに、そのまま中途退学をして一年間の引きこもりニート生活を行ってしまうという、なんとも酷い末路を迎えたのである。

 私が部活動に通わなくなった原因は、『野球経験者で構成された後輩部員たち6名の入学』と『足のケガ』、そして『女子マネージャー相手に片想いをしてしまったこと』である。不登校歴が長くクラブ活動を含めてチームプレイをすること自体が初体験だった当時の私には、この3つの壁を乗り越えるための『社交性』という一般常識の経験値が著しく不足していたのである。
 
 世間一般からするとどうってことはない思春期あるあるな失敗で、生まれて初めての傷心を経験した。その後は、社会生活をなんとかギリギリのところで続けてきたが、私の頭の中ではいつもこの言葉が滞留を続けていた。

『人が社会で生きていくために必要な社交性は団体生活でこそ磨かれる』
 
 誰が言ったか全く定かではないこの自己啓発本の一文のようにくだらない一文が、その後の私の頭の中で長年不快感を宿したまま残り続けたのである。

 この失敗によって生じた私が長年し続けている後悔は「小学生の頃からクラブ活動をしていればよかった」である。
 これは私が精神的に落ち込んでしまった時によく浮かんでくる後悔の念であり、その詳細は「小学生からクラブ活動や習い事に打ち込んでいれば」「その活動の中でまともな指導者に出会えていれば」「切磋琢磨できる仲間の存在があったら」などの全てはタラレバの後悔である。

 その後の私は、女性に積極的なアプローチをした試しは一度もないし、クラブ活動や習い事を行おうと思ったこともない、挙句の果てには今年で三十二歳にも関わらず未だに自分よりも年下や後輩の人と接することが大の苦手という、正にクソ野郎である。

 クソ野郎の私には「過去の苦い経験やトラウマに立ち向かってこんな自分を変えたい!」と一念発起するような気持ちはまるでなく、「努力はいつか報われる」とか「人間は変われる」などの励ましの常套句が知人や職場の上司から投げつけられようとも心底一切真に受けることができないままで、今日までなんとか生きながらえてきた。

 私は、今でも過去の失敗から始まる後悔のタラレバを、いつでも純度100%に近い状態で頭の中に思い浮かべることができる。『できる』などと、こんなことを胸を張って言われても困ってしまうとは思うのだが、しかし私は、後悔のタラレバの純度が高いままの状態にありながらも、過去のそれら失敗やトラウマを乗り越えることには成功している。

 私の結論はこうだ。

「私のようなクソ野郎が小学生からクラブ活動に本格的に打ち込んでいたら、もっと早く野球が嫌いになっていただろうし、体育会ならではの上下関係とか才能の有る無しや生まれ持って授かった体格差などの不平等などにもっと面と向かって直面することになっただろうから、どのみち耐えることはできなかっただろう」

 過去の後悔を乗り越えるために私が導き出した結論は「どうせ無理だった」である。私は、今年三十二歳になっている今の段階でさえも、そういった体育会系の空気に耐えられる自信がないし、立ち向かおうという気持ちもないのである。
 これまでに後悔を無くすための努力をしたかしてないかでいうと、「してない」と100%言い切ることはできないが、結果、苦手は殆ど克服していない。

 所詮世の中は結果論である。結果として、私はこのような人間にしかなれなかったのである。
 残念ながら、私は元々なるべくしてこのような人生を生きているのだと結論している。「後悔したくない」とか「克服したい」とか「変わりたい」と抗った結果のそのすべてが当人にとって良い結果になるとは限らないのである。

 巷では「悔いを残さないように」とか「最後までやり切れ」なんて熱い言葉が氾濫しているが、私から言わせてみれば「悔いは残しまくれ」なのである。「悔いを残したら残した分だけ人生が豊かになる」とすら逆説的に考えている。

「過去の過ちには後悔や未練をしっかりと刻み込んでおかなければ、人生は空白と退屈で満たされてしまうだろう」
 これが、三十二年間後悔を溜め込んで生きてきた男の信条である。

 私は、悔いなく最後までやり遂げた経験を語っている人の話があまり好きではない。残念ながら、私にとって『最後までやり遂げた経験』というものはただの『過去の栄光』に過ぎないのである。

 なぜなら、何かを最後までやり遂げてしまった瞬間、その経験はその人にとってただの「良い思い出」になってしまうからだ。そしてその後は、内容の変化に乏しい『武勇伝』として当人の記憶の中で厳重に保護されてしまうだろう。「年寄りの話がつまらない」とよく言われるのは何故かというと、「最後までやり切ってしまったからだ!」と、私は大きな声で言いたい。

 一方で、最後までやり切ることができずに悔しい思いをした出来事というのは、それがどれだけ醜い出で立ちをしていようとも、新鮮なままいつまでも残り続けているものである。
 後悔している出来事はたとえ数十年前のことであろうとも、まるで昨日のことのように思い出すことができるし、悔いを残しているということはいつか再チャレンジすることだって可能なわけである。

「我が人生に一片の悔いなし」と言って死を迎えることが美談としてあるが、何故これが美談になっているかについて、逆説的に出した私の結論はこうだ。

「そもそもまったく悔いがない刺激に乏しい余生を生きてきた末に意識朦朧として死ぬ間際の人間が、「我が人生に一片の悔いなし」などと果たして本気で言えるものだろうか?」

 私が想像するに、その人は決して避けることができない死を迎える直前に、これまでの人生で溜め込み続けてしまった沢山の後悔を前にして、途方に暮れてしまったのだと思う。

 人が死を迎える直前というのは、もう自分の意志や力だけでは本当にどうにもできない。もう何も為す術はない。
 と、為す術が何もない状態に追い込まれたその人にも、唯一出来ることがあった。それは『沢山の後悔と一つ一つ対峙する』ことである。

 長年過去を悔いながら生きてきたその人は、死の直前に唯一与えられたその行動に対し「死ぬ前にこんなことしたくない」とは思いつつも、ついこれまでの習慣で無意識に立ち向かい続けることができてしまったのである。

 そしてその人が最後に導き出した結論というのが、人生最後の潔い強がり「我が人生に一片の悔いなし」の発言だったのではないだろうか。

 「我が人生に一片の悔いなし」
 この美談の実態はつまり、その人が行った『ただの最後っ屁』だったのではないかと私は結論した。つまりはただの強がりだったのである。

 なぜかと言うと、そもそも「一辺の悔いなし」という発言は自分の中に『悔い』が存在していることを自覚しているからこそ言えた発言なのである。悔いが存在しない人には言えない発言であり、そもそも言う必要がない発言なのである。
 意識朦朧として死ぬ間際に、すべての悔いに潔い敗北を受け入れることができたからこそ「私の人生も悪いものではなかった」という意味の強がりが最後に言い切れたのだろうと、私はそう考えた。

 上記の矛盾を掘り下げたことで分かったこと。つまりは『後悔』は沢山すればいいし、沢山の『悔い』を残した状態で死ぬ間際を迎えるぐらいの余裕があっても良いではないか、ということだ。なんだかその方が長生きできそうな気もするではないか。

 以上のことから、私はこれからの人生でも沢山の失敗と後悔抱えて生きていくだろう。そして、それらから生じた数えきれないほどの悔いが満たされることのないまま、人生の終わりを迎えることだろう。最後に潔い強がりを吐けるかどうかは、今のところ全く自信がないが。

 志半ばで死ぬ。これが本来の人間の生き方なのではないかと私は考える。なぜなら、全てをやり遂げた後に死んだって、正直あまり面白くないはずなのである。きっと死ぬ間際の余韻の時間も大分持て余してしまうだろう。

 勘違いされがちだが、私は自分の中に残してしまった後悔を、乗り越えた上でなお悔いているのである。
 いつか自分の中で「もう別にいいよ」と思えるようになろうとして、日々過ごしているだけである。たとえその結果が『諦め』という選択であろうとも、私は過去を乗り越えてはいる。最後までやり切る事によって、『過去の栄光』を作り出さないようにしようと心掛けているだけなのである。

 これが私にとっての未来の為にできることである。

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