『挨拶終わり』じゃない。いつも『板付き制限時間終わり』。

「ロクな人生ではないな」と最近思い始めている。

しかし、しかしである。
そもそも、私の人生は小中学生の時点でロクなものではなかった。

小中学生の半分近くを不登校児で過ごした末、ロクな目標も持たぬままなあなあに定時制高校へ進学。二年生で自主退学。一年間の引きこもりニート生活。その後清掃のアルバイトをはじめ、通信制に再入学した。
この時点で、もう既にロクなものではなかった。

にも拘わらず、通信制高校卒業の間際に「友人から誘われたから」という理由だけでお笑い芸人を志した。

この頃から、「もしかしたら自分のしょうもない人生が変えられるんじゃないか?」「人にも胸を張って誇れるような良い人生が待っているんじゃないか?」といった淡い期待を抱くようになってしまった。その後の私の思考はこれまでのものとは正に百八十度と言っていいほどに、考え方が一変した。

仕事なんか元々自ら望んでまでしたくはなかった。
だから通信制高卒を間近に控えても、何の進路希望も提出しなかった。

この頃に「俺は芸人としての道を生きるのだ」と固く決意した、はずであった。
「最悪売れなくたっていい」と開き直ってもいて、「楽しい日々さえ続いていればそれだけいい」と、世間知らずに楽観的な考えを持っていた。

しかし、その後数年間、芸人として何の成果も見いだせぬまま、二十代半ばを迎えた。にもかかわらず、日々は全く楽しくなかった。

「漫才がしたい」のに、「漫才がやりたい。その一心だけで田舎から遥々出てきた」のに、その漫才をさせてすらもらえない数年間だった。

「久しぶりに、ようやく漫才がやれる」と思ってライブ当日を迎えれば、相方は会場に来なかった。
もちろん私も悪かった。相方の指示通り役割を果たすことが出来た試しが殆どなかったから。

何よりしんどかったのは『漫才の練習』を禁じられたことである。
『ネタを覚えられないから練習する。台本を読み込む。』
その努力を禁じられた。
なので、もちろんセリフを間違えることも多かった。
「お前はポンコツである」と日々相方から念仏を唱えるかのごとく刷り込まれ続けた。
にも拘らず、その頃の相方は私以上にもっとポンコツだった。
ネタは書かないし、ライブにはこない。終いにはアルコール依存症だ。
私のコネで幾人かの先輩や同業者、業界の人から前向きな誘いを受けた。
しかし、それらは相方の独断的な考え、それのみで全て白紙になった。
白紙になるだけだったなら、まだ良かったのかもしれない。

それら殆ど人との繋がりが、白紙になると同時に切れたのだ。
相方の独断的考えや言動、人柄で、私は幾人もの知人から信頼を失った。
頭のおかしい相方が私のバックに控えているという理由で、私も相方と同様に頭の可笑しな奴だというレッテルを貼られ続けたのだ。

こんなことを何百何千回と繰り返しているうち、「俺は芸人としての道を生きるのだ」という決意は忘れてしまった。気がついた時にはもう、過去の決意など全て放り投げて日々を生きる人間に、私は変貌していた。
そして、いつの間にか『今日』になっていた。
それぐらいあっと言う間で年数が流れたように感じる。

私は、ただ『安全な場所まで逃げてきた』という訳ではないと思う。
その時々で、自分なりに決意を新たにして、進べき道を変えてきた。
とはいえ、『進むべき道』を変えることを、安易にし過ぎてしまったのだと思う。

私は、最初に決意した道をただガムシャラに進めば良かったのだろうか?

今、「過去の自分が行ってきた選択の中で何がいけなかったのか」、を自分なりに再解釈してみた。

まず、現在の私は、上手くいかない日々の中で『新しい挑戦をすること』を躊躇するようになってしまっている。
自分の出来ることを最後まで頑張らなかったから、だから『未練』が残ってしまったのだと思う。
『未練』が、いつまでも私の身の周りをまとわりついているのだ。

相方から解散を申し出られた時に、「いやだ」という本音を自分の意思でハッキリ伝えればよかった。
本心を相方に全てちゃんとぶつけて、その後、最終的に改めて解散を選択すればよかったのだ。
これが私の中に未だ残り続けている『未練』だ。

思い返してみれば、私はどんな事柄においても『最後』という物事のピリオドを、いつも自分の意志で決めていないような気がする。
誰かからきっかけを与えられて、それに対して「自分がどうしたいか」を初めて考える。
発端が、全て他人切っ掛けなのだ。
 
『挨拶終わり』じゃない。
いつも『板付き制限時間終わり』なのだ。

『制限時間』という括りに縛られ過ぎている部分もある。

相方から一方的に突き付けられた『解散』制限時間宣告を一度ぐらい拒否してみればよかった。
そうしていれば、こんな未練は残らなかったのだと思う。

あの頃から『制限時間』の宣告を恐れ始めた私だから、今自分がなんでこの場所にいるのか分からないのだと思う。
これが『制限時間』を素直に受け入れてしまった人間に生じる『弊害』である。
残念ながら私の中に、この『弊害』の治療法はまだない。

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