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大人に出された宿題をやっておけばいい18年間

「ショーシャンクの空に」という有名な映画があります。刑務所に入れられた二人の男の友情と人生の物語。

出典:Amazon

そのワンシーン。主人公と仲の良かった一人の高齢の受刑者が、任期満了で釈放されることとなります。ただ彼は頑なに釈放を拒もうとします。なぜなら彼は50年近く刑務所で暮らしてきたのです。外の世界はもはや異世界。

実際に釈放された彼は、初めて目にする自動車の群れに驚きながら、すぐに首を吊ってしまいます。

50年過ごせば、その環境が、その暮らしが当たり前になります。人は長い時をかけて過ごしたとき、そこから変化することは難しい。

この映画では50年も刑務所で暮らす、という極端な例として言えるかもしれませんが、もう少し柔らかい身近な例は、実はたくさんあって、僕らには、知らず知らずのうちに、10年、20年と入り浸ってしまっている暮らしや価値観がある、と言われて、ピンとくるでしょうか。

例えば、勉強。

僕は18歳で高校を卒業するまで、人生の努力は勉強をがんばるという1つのモノサシ以外にあると思ってもいませんでした。勉強を頑張ればその先になにかあると思っていた。先生が示すように成績を上げれば何かあるんじゃないかと。

大学に入学してはじめて、僕は人生で何も「選んでこなかった」事に気が付きました。物理の研究者になると思っていたけど、それ以外の道をなんら経験してない、何ら見ていない。どんな道に進むのが「正解」なのか、教科書にはのってないし、先生も教えてくれない。

幸運なことに出会いに恵まれた僕は、20歳で初めて「自分の人生を自分で決める」ということをはじめましたが、その頃はまだまだ多くの同期たちが未だに「正解志向」で生きていました。働きだしてからも未だに覚醒できていない人もいるんじゃないかな。

「大人に出された宿題をやっておけばいい」
「出された問題にはすべて正解があって、それを覚えればいい」

そんな「宿題志向」「正解志向」を18年間をかけて僕らに植え付けるショーシャンク刑務所。

大人になってから釈放されたとしても、外の世界はまるで異世界。

自ら選択して進む同世代たちに驚きながら、最後には…。


教育とは「洗脳」だと、そう言っている人の本を以前読みました。
ある意味、的を得ていると思います。幼少期、思春期に得たあらゆるインプットはその人の血肉となり、その人を形成します。実際に富国強兵の名のもとに平均的な兵隊を量産をしようと始まったのが軍国教育でした。

ただ、これから必要な教育は「洗脳」ではないはず。ショーシャンクに閉じ込めてショーシャンクの中だけでしか生きられない人間をつくることではないはず。

刑務官の言うとおりにしていれば正解で、刑務官から出された仕事をこなしていればいい。そんな世界で過ごす18年間。
これは本当に根本から変えていく必要があると思います。

そう思ったときに、一番問われるのは僕ら親の世代です。ショーシャンクで育った僕らは、未だにどうしても宿題が出たほうが安心だし、先生に正解を教えてほしいと思ってしまいがち。

当たり前ですが、社会にたくさん転がっている問いに正解なんてありません。「今日は何を学ぼうかな」という選ぶ体験が、その子がその子にあった教育を選べる環境が、「今日は**をする」という自分だけの回答を導き出す力をつくっていくように思います。

僕も二児の父親ですが、娘たちを叱りながら、自分が正解志向に陥っていることにハッと気づくときがあります。「こうすべきだ」という大人の正解を僕は持っていて、今度は僕がそれを押し付ける刑務官側になっているのです。

ショーシャンクの空に。

まずは僕ら大人から、ショーシャンクの空に飛び出す必要があるんだと思います。

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