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GRITと岐阜高校

GRIT。

「やり抜く力」を意味するアクロニムで、成功者の共通点としてアンジェラ・ダックワース氏が提唱した。僕はダックワース氏がGRITという概念を発明する何年も前に、GRITとは何かをまざまざと見せつけられた出来事を体験している。

中学時代の親友(Mと呼ぶ。イニシャルと実名は無関係。)の話。小学1年で同じクラスになったことをきっかけに知り合い、中学で偶然同じ部活に入ってから意気投合した。

Mは所謂オタクで、ボカロ、東方、ドナルド、歌ってみたや弾いてみたは全てMから教わった。僕はすっかりニコニコ動画にのめり込んだが、僕もMも変に真面目なので、毎日部活終わりにお互い家でニコ動を観ては、翌日学校でボカロの歌詞考察や東方の世界観考察の議論をやっていた。いま思い出せばだいぶ恥ずかしいが、それはもう、楽しかった。


Mは地頭が良かった。一方でおそらく勉強に対する愛情はそれほど無く、テスト期間中以外は怒られない程度に宿題をサッと終わらせ、テスト前に一気に詰め込むことを繰り返していた。

そんな勉強の仕方だったので、彼の定期テストの成績は5教科400点とか、もしくはそれを下回ることも頻繁にあった。

3年に進級し志望校を決める段、Mは岐高に行くと宣言した。岐阜高校。県内最難関の高校だ。僕はMの成績を知っていたのでかなり驚いた。なにせ学校の定期テストで5教科450点を当たり前に取ってくる奴らが更に競った末に入学する学校なのだから。

春先にそんな話をしてからも僕とMは2年次と変わらず、夏までしっかり部活に打ち込んだ。

引退試合になった大会の帰り道でMは僕に、今日でニコ動は辞める、これから全ての時間を勉強に使う、と言った。

僕は受験勉強中も息抜きにニコ動を観るつもりだったので何だか悲しくなって、高校入ったらまたニコ動の話をしようとカラ元気に振る舞ったが、心の中ではMに対してぞっとしていた。
Mは最初から全部分かっていたのだ。学校の定期テストで何点取ろうが入試には何の関係も無いこと。高校入試とは、少なくとも僕とMが中3の頃のシステムにおいては、3月の試験当日の仕上がりのみを競うゲームであること。彼が自分の能力と今までの積み上げを客観的に分析した結果、夏からやり始めれば十分間に合うこと。彼が自分の性格とスタミナを客観的に分析した結果、夏から3月までのスプリントなら走り切れること。

それからは有言実行。本当にMは1秒もニコ動を観ずに部活引退後の夏休みを過ごし、秋からも人が変わったように勉強した。その変化に呼応して実力テストの偏差値はうなぎ昇りで、校内で秀才と言われていた同級生たちを次々追い抜いた。人間離れした異常なスピードで吸収し、12月には東海、ラサール、開成などの超難関校の問題に取り組んでいた。つい3か月前まで定期テストで1教科80点取れれば御の字だった彼がだ。そんなことをやっている同級生は僕の学年にはM以外にいなかった。そもそもその過去問、どうやって仕入れてたんだよ。

Mは年明け以降は相当疲労して参りかけていたが、結局そのまま一度も集中を切らさず3月まで走り切り、岐高に合格した。


MはGRITと、GRITを最大限に発揮するための分析力に優れていた。希望的観測や楽観的な発想を捨て、才能、実績、性格を現実的に直視し(これがもう本当に辛い)、自分がどこまで到達できるか、到達すべきかを先読みする力。加えてその分析に忠実であり続けようとする、自分の自分に対する分析が間違いないことを結果によって証明しようとする姿勢。

僕も相当GRITがある方だと自認しているが、それは(少なくとも現時点では)あくまでも、労働の対価としてサラリーを受け取るという働き方に守られている範囲においてのみだ。しかもそれにしても、Mから影響を受けた側面は多分にある。

彼は違う。ナチュラルボーンのGRITサイコだ。大勢の人の上に立ち、新しいことを考え、無理難題を突破し、ライバルを粉砕し、唸るほどの大金を手にする資質がある。あれほどのGRITフリークは後にも先にも見たことがない。

結局高校に入ると僕らは疎遠になり、またあの頃のようにニコ動の話を楽しむことは結局ついぞなかったのだが、きっと彼は更に先鋭的で狂気的なGRITを獲得し、元気に過ごしていると良い。

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