#002 人で生きている

何かを書き綴ろうと始めたものだから
毎日続けたいところではあるのだが、
毎日何かを続けるのはもっぱら苦手で。
 
事実、初回からかれこれ1週間が
過ぎている。いとをかし。

それでも何かに自分の今を残そうかな、
なんて思考に至ったのは今年の年明けに
この世を去った祖母の影響か。

享年87歳の祖母は多分、おそらく、
早い段階で認知症を患っていた。

我が祖母ながら一人の女性として
キレイだったと生前の写真を見て感じた。
そんな祖母から

「あんた、誰や」

なんてセリフめいた言葉を聞いたとき
本当にこうやって言われるのか、
という発見に近い感覚だったのを憶えている。

なんとなく、なんとなくの予感があったからだろうか

親や祖父は受け入れるのに時間が
かかっていたようで、やる事なす事
“普通じゃない”状況に戸惑っていた。
し、その状況に苦しんでいた。

私はそそくさと変わりゆく祖母を
変わりゆく一人の女性として考え、
接していくことにしていたので
もう私の名前を呼んではくれないという
一抹の淋しさのような気持ちだけで済んだ。

これくらいで冒頭の『今を残そう』と思った
きっかけの話に話を戻そう。

祖母の症状もどんどん悪化し、施設に預けた位の頃。
部屋の整理をしながら祖母が毎日書いていたらしい
日記を母がパラパラっと捲った。

年を重ねる毎に少しずつ少しずつ
漢字の間違いや日付が合っていない日が多くなり
最後は平仮名しか登場しなくなる日記。

どんな気持ちだったんだろう…

明らかに病状の進行がそこにあった。
誰にも見せない様にしていた闘病の証のような痕。

ふと、日記の中に私の名前を見つける。

【さとりちゃんは何でも頑張る子だから】

と、書かれた日の日付をみると
高校時代に打ち込んでいた部活動で
手術をする程の怪我をした時の事だった

孫への慰めの言葉なのか
はたまた励ましの言葉なのか
真意を聞くことは遂に無かったけれど

この1文に祖母の中に記録されている私をみた。
もう、会えない祖母がそこにいた。

書き残すことが何かの拍子に
誰かの記憶に鮮明に残ることがある。
それを祖母の書き残した日記から知り
こんな行動を取っているのだ。




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