お葬式の話2

※前回のnoteの続きです。長かったので分けました。よかったら、認知症、葬式の話1を読んでから読んでみて下さい。


葬式の幹事

私は当日の参加者の名簿や、葬儀場から火葬場に移動するまでのタクシー手配、当日払うお金の管理の全て任されていました。

参列者は家族葬なので16人くらい。うち9人は毎年会ってるような身近な親戚で、グループラインにいる三等身までの親族です。

残りの方の参列者の続柄と名前を待ち受けにしました。正直誰か全く知らない親戚ばかりでした。

ちなみに、私は葬式の作法がわからない。

あの粉はなんだ?なにをするんだ?と、不安でいっぱいでした。ただ、ばあちゃんから「当日の朝集まってから練習あるで!教えてくれるで!だから早め集合なんやで!」と言われ、なにも作法を勉強せずに安心して向かってしまいました。

葬儀前なのになんだか実感が沸かずぼんやりしながら向かいました。

身近な親戚は1時間半前に集合で、ばあちゃんは早めに行動したがる生き物なので、2時間以上前に葬儀場に行きたがりました。待合室みたいな場所で葬式の始まりを待つことになりました。


誰だ?

参加者の方がだんだん来られました。まず、1つめに来るのが早すぎる。私たちですら相当早めに来ているのに、私たちが来てすぐくらいにもうすでに知らないおじいさんがやってきました。

まず、このおじいさんは誰なんだ?

そこから続々と参列者が来始めました。

正直、全員、誰かわからん!ばあちゃんのなんの親戚なのかが全くわからん!家族葬だから受付のようなものはなく、みんな待合室に直で通される形だから、名前も誰かもわからない!

ばあちゃんは久しぶりの親戚との出会いに、挨拶周りでバタバタしていました。とりあえず私は誰が誰なのかと、人数を把握するため、親父(長男)にとりあえず私を紹介してくれと言いました。親父は「俺も誰かわからん」と言うので、とりあえずジャブみたいに挨拶をしていくことにしました。

親父「この度は遥々、、、こちらは娘の〇〇です」
??さん「この度は、、、〇〇です。こちらは妻です。」

参加者リストにいた名前でした。よし!把握!ただ、妻も参加することは全く聞いていませんでした。おや?1人増えたぞ?

そこからも続々とやってくる参列者たち。なぜかペアで来がち。人数がどんどん増え始めました。

私は、まさかお葬式というものがこんなにゲリラで来る人が多いとは思っていなかったのです。(有り難いことですが)。結婚式のように、参列者は決まっていて、来れないかどちらかわからない人が来ることはあっても、増えたり参列者にいない予定の人をゲリラで連れて来るのは予想外でした。

とりあえず親父は長男で喪主?なので、しれっと挨拶をしにいき、名前を把握、そこから続柄を把握するという作業を繰り返すことになりました。

人数が増えたら献杯の食事も追加になるし、火葬場までタクシーが追加で必要かも知れない。

当日払うお金は私が管理していました。葬儀屋さんにも支払いは全て私に請求して、なにか手続きが増えた場合も私に言うように事前に言ってありました。そのため葬儀屋の人には私に全て聞いて下さいと言ってありました。

人数の変更、食事の追加。タクシーの追加。葬儀がはじまるまで泣く暇もない。ハンパない忙しさでした。

まじでみんな誰なの?

リストにいるのに来てない人とリストにいないけど来てる人。続柄もわけわからない状態で、もうパニック状態でした。葬儀屋さんから「葬儀が始まります」と言われ、葬式場に移動するまでひたすら私はバタバタしていました。


お葬式

やっと葬儀が始まりました。喪主の席にばあちゃん、隣り親父(長男)。後ろに私、隣り空席。妹は私の後ろで隣はあまり知らない親戚でした。
反対側におじさん(次男)、おじさん(三男)、その後ろにおじさんのお嫁さんや親戚が座っていました。後はよくわからないけれど、バラバラでした。

綺麗に飾らせた葬儀場、予想よりたくさんの参列者、おじいちゃんを見たら涙が出そうになりました。

棺の近くには、じいちゃんと一緒に火葬する愛用の帽子と、アルバム。そして手紙が置いてありました。手紙を書いてきたのはばあちゃんと親父と私と妹だけでした。

あれだけ口を出しておいて、私に前日夜にアルバムを作らせておいて、自分は手紙も書かないんだ。

おじさんに対して、そう思ってしまう自分の心が汚くて、自分を嫌なやつだなと思いました。お見舞いに一度も来なかった従姉妹も、当然手紙は持ってきませんでした。

あれ?ちょっと待って、練習はどうなったのだろう?

忙しくて気づかなかったけれど、ばあちゃんに言われた「葬儀が始まる前に教えてくれるで!」はどこへいったんでしょうか。

私はなにもわからないまま、葬式が始まってしまいました。


葬儀場に坊主さんが入ってきました。

坊主はなにかを唱えながら坊主用の席のような場所に座りました。坊主の後ろ姿を見て「頭が青いな。ちゃんと剃れよ。」と思いました。

画像1

僕はあくまでビジネス坊主で剃ってるだけで実際は髪の毛ありますから

ナチュラル坊主の親父にマウントを取りに来てるように感じました。本物の意味で坊主と言ったらどちらなのでしょうか。

親父の後ろ姿と坊主の後ろ姿がちょうど視界に入って、やめてほしいと思いました。

私はお金や参列者や全ての手配も任されている!しっかりしなきゃだめだ!強くいなければ!

お葬式では悲しいよりも、しっかりしなきゃが勝っていました。涙は気づいたら流れていたけれど、ただしっかりしなきゃと、ずっとそう思っていました。

坊主「なむなむなむなむ〜  ライ!!!!ハイ!!!!」ゴーン!!!

突然の大声とゴーン!にびっくりしました。ライ!!!ハイ!!!

ライ!!ハイ!!がなにかはわからないけれど、そこだけは声がめちゃくちゃでかいのです。私はめっちゃびっくりしました。

そしてちょいちよいある「合掌をお願いします。」に私は手を合わせるだけかと思っていました。礼をするなんて知らなかったし、目を瞑らなきゃいけないのも知りませんでした。練習がなかったからです。

とりあえず、私はビジネス坊主がみんなが目を瞑っている間になにをしてるか気になりました。お菓子とか食ってんじゃね?とか思いました。だから私はみんなの代わりに坊主をずっと見張っていました。


あとから後ろにいた妹から聞いた話ですが、「みんな礼してるのにひとりだけ直立不動でめっちゃ怖かったよ」って言われました。私は「見張りだからな。」とドヤ顔で答えました。


あの粉の時がいよいよやって来ました。もう練習がなかった以上、見よう見真似するしかありません。最初は喪主のばあちゃんと親父がペアでした。私は三等身だからまだ先だと、ちょっと油断していました。

葬儀場の方「お次…」

え!?私!?
突然のことでした。完全に油断していました。しかもなぜか私はソロでした。私はとりあえずおでこらへんに粉を持ってパラパラ2回なんとなくそんなかんじみたいにやりました。正解かはわかりません。次におじさん(次男)ソロ。おじさん(三男)夫婦のペア。

その後の妹や従姉妹たちは、バラバラに親戚と適当なペアで粉の順番が回ってきていました。みんな粉のやり方が微妙に違い、結局見ていてもなにが正解かわかりませんでした。

そして2周めがきました。家族葬だから尺的な問題なのか粉が2週めに周ってきました。また喪主のばあちゃんと親父(長男)がペア。次に私ソロ。

なぜなんだ。なぜ私はソロなんだ。そしてなんで二等身のおじさんより先なんだ。

また雰囲気でとりあえず粉の順番を終えました。結局私が正しくできていたのかはわかりませんでした。


これも後から聞いた話ですが、私は葬儀のミーティングに毎回いるし、お金も名簿も仕切っているし、私は葬儀屋にじいちゃんの長女だと思われていたようです。だからなぜかおじさんより先に私の順番だったみたいですし、席も私が前だった理由がわかりました。いや、年齢考えたらわかるだろ!と思いましたし、葬儀屋のミスすぎると思いましたが、もう終わった話です。


そこからプチ休憩タイム?みたいなのがあり、火葬場まで行く人、その場解散の人の確認作業がありました。私は全然知らない親戚の方に「なにでいらしましたか?」「もしよければ」と相乗りを促したり、また忙しく働きました。車で来た方が多かったのと、火葬場の前に帰られる方がでて、タクシーが必要なくなりました。

葬儀場の人に献杯のご飯が減ったのとタクシーがいらなくなったことを伝えたりと忙しく、またバタバタと動き周り、私の涙は引っ込みました。


最後に会場に戻ったらじいちゃんは真ん中にいて、みんなで花をいれました。じいちゃんが見えなくなるくらいたくさん花で埋め尽くしました。

涙でじいちゃんが見えなくなりました。じいちゃんのミトン越しじゃない手を握ってあげたかったけれど、意気地なしな私にはできませんでした。妹と肩を支え合って花をたくさん入れました。

箱が閉まる瞬間、妹が泣き崩れました。そんな妹の方を抱いて私はただ静かに握れなかったじいちゃんの手に後悔を抱きながら、立ち尽くしていました。


じいちゃんはたくさんの綺麗なお花に囲まれて運ばれていきました。


火葬場

そこから相乗りの誘導、ここで帰る方に挨拶などでまた忙しいタイムに入りました。もう感情が忙しすぎておかしくなりかけていました。記帳や色々必要な物は、全部私が葬儀屋さんから預かり、火葬場に向かいました。車内は静かでした。


火葬場に着いてからもまた坊主の「なむなむなむなむ〜…ライ!!!ハイ!!!」

でた謎の「ライ!!ハイ!!」
合掌(私だけ目全開直立不動)


じいちゃんの棺桶が焼くところまで持っていかれました。

「最後にお顔を見てあげて下さい」で、もうじいちゃんの顔を写真でしか見れなくなると実感が急に沸いてきました。棺桶の小窓から見えるじいちゃんの顔はやっぱり綺麗で、寝てるようにしか見えませんでした。

私がしっかりしなきゃ!しっかりしなきゃって頑張っていました。ずっと気を張っていました。でも無理でした。

「じいちゃんを燃やさないで!!!」

急にヒステリックに泣き喚き棺桶を止めようとする私を妹が支えてくれました。私は泣き崩れました。

そして、じいちゃんはベリベリウェルダンにされるため窯の中に入っていきました。


そこで時間的に帰る方がでてきました。(タクシーが1台必要になる。)さっきまで発狂していた私ですが、そこからじいちゃんが焼かれている間の献杯のご飯の席への誘導や、足りない席のドリンク注文、帰りのタクシーの手配など、また忙しく働きました。もはや情緒がおかしくなっていました。

ばあちゃんは喪主の挨拶をできないと言って、お葬式での喪主の挨拶は親父(長男)がしました。

献杯の挨拶はおじさん(3男)です。ただこのおじさんはくせ者で、絶対にやるなよ!って言うことをやりたがるタイプです。当然やらかしました。

「父がこんがり焼かれてますが、焼き魚でも召し上がってください。」

おじさんの火葬ジョークは尋常じゃないくらいすげースベりました。やりやがったな、と思いました。この後ウケたら、ウェルダンも言うつもりだったらしいがドスべりしてやめたらしいです。正解だよばかたれめ。

私は献杯がなにかもわかっていないし、じいちゃんを火葬している間にご飯を食べる時間があるなんて、今回初めて知ったレベルでした。暗い雰囲気になるのかと思っていましたが、お年寄りはお葬式に慣れているからか、むしろ同窓会みたいなでした。

みなさんの飲み物の注文などを終えたら、写真撮影係りに回りました。意外としんみりした感じじゃなく明るい和やかな時間でした。

「次会う時は写真から誰か欠けてる時だからね!」

なんて高齢者ジョークに苦笑いしながら私は写真を撮っていました。みんなもうお葬式くらいでしたか会わないからか、普通に結婚式かのようにいろんな人から写真撮影を頼まれました。


ドリンク代を会場に払いに行くついでにタバコを吸いに行きました。マナーとか気にせずおじいちゃんの手握りたかったな。って思ったら、なんだか涙がでました。一人でタバコを吸いながら、「じいちゃんは結構前にタバコも辞めてたな。」なんて思い出しました。


献杯が終わり、案内された場所には骨になったじいちゃんがいました。私はそれを見てもじいちゃんとは思えませんでした。涙は出なかったし、なにがおきているんだろうくらい、呆然としていました。妹は見れないと泣いていました。

みんなで箸で骨を運びました。壺はこんもりしてどう見てもサイズが合っていませんでした。

火葬場の方がたんたんと「後は頭蓋骨ですので私が入れさせて頂きます。」言いました。

てか入るの?

ザクッザクッ
え??????!?!!!?

明らかに量が減りました。

この女澄ました顔でじいちゃんを平然とした顔で砕きやがった!!

びっくりしすぎて言葉が出るどころか戸惑いました。


最後に締めの挨拶は、おじさん(次男)がしやした。アドリブだったらしいがあまりにいい挨拶でまた泣いてしまいました。

でも私は全て手配や管理をしていたから、泣きながらタクシーを手配しました。泣いて化粧もボロボロで「タクシーで最寄りまでいかれる方はこちらへです」なんて案内しなが、タクシーの運転手さんにお金を渡したり、もうキャパオーバーどころじゃくて、ただの情緒不安定の多重人格者みたいになっていました。

ただ無事じいちゃんの葬儀は終わりました。


お通夜?

夜ご飯を、お通夜までいかないけれど、身近な三等身くらいの親戚で再度集まりご飯を食べたいというばあちゃんの希望で、再度夜に集まることになりました。当然店を予約したのも手配も全て私です。

私は元居酒屋店長の自分で言うのもなんですが、居酒屋においてはカリスマ店員です。更に現キャバ嬢であります。まずみんなのつまめそうな無難な料理をとりあえずいくつか頼み、みんなのドリンクを速やかに注文しました。(私は10人くらいなら別々のドリンクでも覚えられます)

そこで、あの「ライ!ハイ!」についての話になりました。やはりみんなびっくりしていたみたいです。

うちの家族は基本的にADHDやアスペの集合体みたいな人ばかりなので「かんぱ〜い!」のかわりに「ライ!ハーイ!」で乾杯しました。(不謹慎とかいうのはとうの昔に超えたレベルです)

喪主の挨拶もして疲労困憊のナチュラル坊主は意識不明になっていました。

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(これはその時の写真です。)

しかし、私の仕事はまだ終わっていません。そこからグラスが空いたらお代わりを頼み、邪魔な皿は下る。もはや完璧なバッシングと注文といえるでしょう。これが居酒屋全国1位で表彰された実力やで!と私は無駄なアルバイト人生を日常生活で久しぶりに発揮した気がします。


ばあちゃんは珍しくたくさん飲みました。じいちゃんの話でたくさん笑いました。明るい会だったと思います。

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今でもこのnoteを書いている間に、何回か泣いてしまうくらいには、私はまだじいちゃんの死を消化することができていないと思います。

ただ、それ以来リストカットをすることに抵抗を感じるようになりました。あんなに腕を毎日切っていたのになにかが違う気がしてしまったからでしょうか。

しばらくして私は、ODもリストカットも辞めた。


ただ一つ、今でも後悔しているとしたら、あの時じいちゃんの手を握れなかったことです。


続き

実はこのお葬式についてのnote自体は、1年近く前に書いた物を加筆したり改良した物なんです。

私は実際1年近くいたリストカットもODもやめていましたが、先週リストカットで自殺未遂をしています。

生きたくても生きられない人もいる。じいちゃんの分まで生きなきゃ。そんな気持ちも今ではなくなりました。私は早くじいちゃんと同じ世界に行けるなら行きたいです。

不幸な人間にとって、死とは無期懲役の減刑である。

米国のジャーナリストの言葉です。

私にとって生きているのは、それ自体がただたまつらくて、生きているだけでずっと辛いんです。なにがとか、悩みがとかではなく、私はただ全てをもう終わりにしたいのだと思います。


ばあちゃん、心配ばかりかけてごめんなさい。じいちゃん、生きたいと思えない弱い人間でごめんなさい。

私はいつまで頑張れるのかな。
ギリギリのラインで私はなんとか今日もという一日を生き延びたよ。

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だから、じいちゃん心配しないね。


早く会いたいけど、天国と地獄があるのならば私はきっと同じところには行けないんだったな。

なんてことを考えながら。

なんとなく今日も私は死にたい気持ちを持ちながら。

そんな自分をひたすら誤魔化しながら。


私は、今日もただ無駄な1日を生き延びた。


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