見出し画像

世代論|同じように時を重ねると空間がスライドする。

定年後クリエイターの使い道:5

定年で会社を退くと、元いた会社のことを外から見ることになります。
情報は意外と伝わってこない。少し前まで自分のいたところなのに「こうなったのか」なんて報道で知ったりする。

で、びっくりすることも多いです。いつの間にか後輩が役員になってたり、社長になってたりもする。考えてみれば当然のことなんですが、なんかね。
その世代は後輩なんだ、ということで、こちら的には勝手に時間が止まっている。距離は変わらないわけです。自分の子供は成人しても子供のまま、じゃないですが、近い感覚かもしれません。

同じ距離のまま、空間がスライドする。

最近テレビで「昭和の歌」を取り上げる番組がやたら多いです。いま「昭和の歌のランキング」を発表することに意味があるのか?なんて思ってしまいますが人気があるんですね。(テレビは年寄りしか見てないってのもある)

80年代前半の歌が強いです。自分としては高校から大学、社会人になるまでの期間で、もちろん印象が強い。いろんな記憶と紐づいています。
思うのは、自分にとっての「あのときの歌」はずっとあのときのまま。自分と歌の距離感が変わることはない。その上でそのまま環境が今にスライドする。結果そこに別の価値が生まれたり、逆に消えたりします。

自分は昔とは明らかに違う。しかし一度作られた関係(イメージ)は変わらない。そのズレってなかなか面白いです。

たとえばお笑いの高齢化。還暦というイメージを若い人はどう感じてるのか。

同じようなことで、よく見るタレントのことがあります。昔から見てるから印象は変わらない。そこにいるのが当たり前のように思ってるけど、実は彼らも(僕と同じように)歳を重ねています。

ダウンタウンを年寄りと感じる人はあんまりいないと思います。ベテラン、大御所、なんて思っても、爺さんが無理して頑張ってるとは思わない。さすがに、さんま、タモリまで行くとちょい感じるけどね。

松本人志さんは60歳、還暦です。浜田さんも同い年。もちろんタレントに定年なんてないからサラリーマンみたいな区切りはない。ギャグにはするかもしれないけど。

区切る、という行為が感覚的に居場所を変えてしまう。

これ、単純に区切るかどうかなのかも。「区切らなければ衰えない」のかもしれないです。歳を取らないのではなく、歳で評価されない。その人を表す基準にはならない感じがします。

この「区切る」という行為が場所を作ってしまう、ということがある気がします。定年後、という場所を作ってしまったからそこに生きる人というラベルが貼られてしまう。

言い方を変えると、区切らなければ衰えないのかもしれないです。

と言いつつ、それはひとつのマジックでもあります。現実にはちゃんと歳を取っているので。で、いきなり死んでびっくりする。今年はそれがいっぱいありました。坂本龍一さんとか谷村新司さんとか、まあ自分より年上ではありますがずっと曲を聞いてた身からすれば感覚的な時間は止まっていて、突然感はありました。病気なので年齢とは違うのかもしれませんが。
彼らも歳を重ねていたということをあまり意識していなかったです。それはやはり自分も平行に同じだけ歳を取っていたからだと思います。

このような感覚は近い世代だから感じることなんですかね。若い人はどう思うのか。そもそも還暦なんてものをイメージする機会がない。身内にそういう人がいる、くらいしかないですね。しかも間違いなくどうでもいい。つまり彼らから見た還暦は区切りではない。ってことだと思います。だから「ハマちゃんも還暦だから一区切りだね」なんて思わない。まあ当たり前ですよね。

自分で勝手に区切りを付けていただけだった。

そんなふうに、つまりサラリーマン出身者は自分で勝手に区切りを越えた、別のステージだ、なんて思っている。なんか馬鹿みたいですね。ステージはひとつです。
何かを変えなきゃ、周りからどう見られるのか、なんて自分が思ってるだけなんだと思う。そしてそういう感覚が勝手に自分の見た目を変えていく。

前に「コピーライターは高齢でも第一線の人が多い」って話をしましたが、組織と向き合ってきたサラリーマンと仕事そのものと向き合ってきたクリエイターの違いなんだなと思ったりしました。

ということで、変わらない自分と向き合って、焦らずやっていこうと思います。ではまた

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?