理不尽な異動や転勤は、サラリーマン生活のありがたい部分である
10月。
異動や転勤の季節である。
意にそぐわない異動を申し渡されたヒトもいるだろう。
理不尽な転勤を命じられたヒトもいると思う。
今時そういうこと自体がパワハラになることもあるし、それキッカケで辞めるヒトもいる。それはそれでわかる。そういう時代なのだろう。
でも、少しだけ違う側面からも考えてみて欲しいと思って、これを書いている。
なぜなら、その理不尽に押しつけられた無理矢理な「変化」は、結果的にあなたを爆裂的に成長させる可能性が高いから。
というか、そういう風に自分の意志と関係なく強制的に環境を変えられてしまうことって、普通の人生ではなかなか起こらない、サラリーマンのありがたい部分だと思うのである。
ボクも「理不尽な転勤」や「理不尽な異動」を経験した口である(ボクは25年サラリーマンをやって、いまは独立してやっている)。
たとえば、東京生まれ東京育ちで東京採用なのに、なぜか関西支社に配属され、15年関西にいた。
オーバーなようだが、本当に絶望した。
若いときは世界が狭いので、そのくらいで絶望するものだ。
縁もゆかりもない、そして文化があまりに違う関西にイヤイヤ行った。
広告会社だったので、流行の中心である東京にいられないことがものすごいハンデだと感じた。都落ち感ハンパなかった。
でも。
関西の奥深い文化は、東京しか知らない見栄っ張りなボクに強い洗礼を与えてくれ、東京にいたら絶対に得られなかった学びを与えてくれた。人間の幅を広げてくれ、経験値もアップさせてくれた。
仕事面でも、東京本社にいたら「部分」しか受け持たせてもらえなかったであろうキャンペーンを、関西支社だと(人数が少ないこともあって)「全体」を全部ひとりで受け持たせてもらったりした。
その経験は、仕事的にも自分を爆裂的に成長させてくれた。
関西配属という「強制的な変化」がなければ、コミュニケーション・デザインなんて分野を得意にするなんてこと、絶対に起こらなかったと思う。
あの、理不尽に押しつけられた無理矢理な「変化」があったからこそ今の自分がある、と、ボクは自信を持って言えるし、当時の会社にとても感謝もしている。
それなりの年数を生きてきているので(今年で58歳)、若くして独立した優秀なヒトが、意外とその地点で立ち止まる例をたくさん見てきた。
たとえば、いい料理人とかが若くしてよく独立するんだけど、独立したときは美味しくても、独立して数年経つと、もう同じ人と思えないくらい「普通」になってしまうことがたまにある。
これは、才能の枯渇でも努力不足でも何でもない。
自分が得意な分野のことを、自分がやりやすい環境だけでやっていると、伸びないことが多いのだ。
伸びない自分に焦って、成功していたときのやり方を自己模倣し過去に戻る。そしてどんどん時代から遅れていく。
自分で環境を変えるとか、自分で変化を作るとかができればいいのだが、外部からの強制的な変化がない分、自分でそれを作り出さないといけない。
それはとても難しいことだ。
個人や小さな組織で仕事をしていると、そういう「強制的な環境変化」はほとんどない。
自分で自分を異動させたり転勤させたりするわけもないので、環境を変えにくい。
そうすると自分の得意分野や知っている知識だけで勝負するようになりがちだ。自分だけの「常識」に固まってしまいがちだし、「視点の変化」を得るのが非常に難しくなる。
異動や転勤を悲しんでいるそこのあなた。
なかなか受け入れがたいとは思うけど、会社員生活で起こる「強制的な変化」は、意外と貴重で有り難いことがある、ということは覚えておいて欲しいと思う。
そして、意外と「それを命じる側」も、それなりに考えている。
あなたの幅がより広がるよう、よくよく考えてあなたの人生を動かしていたりするのである。
異動とか転勤が理不尽に言い渡される。
そして思ってもみない方向に人生が流れていく。
ボクはその辺のことを「思ってもみない流れには乗ってみろ」という言葉で自分の心に留め置いている。
思ってもみない流れに不承不承でも乗ってみると、視点がガラリと変わり、わりとスムーズに新しい境地へいけたりする。
だから、悲しむのはやめて、ワクワクと転機を楽しんでみてください。
ぜったい、いい方向に変わるから。
古めの喫茶店(ただし禁煙)で文章を書くのが好きです。いただいたサポートは美味しいコーヒー代に使わせていただき、ゆっくりと文章を練りたいと思います。ありがとうございます。