「死ぬのは寂しくない。僕たちは大きなつながりの一部だから」
若い友人(コミュニティの仲間)が急に亡くなった。
まだ31歳だった。
ショックに動転しながら、彼女のことをつらつらと考えていて、松村先生の言葉をふと思い出した。今回はそれを書いてみたい。
ボクの長い友人であり主治医でもあった松村光芳先生(愛称はマークさん)は、2014年5月10日に、脳腫瘍で亡くなった。57歳だった。
脳腫瘍が発見されてから亡くなるまで約2年あったこともあり、彼の病室でふたり、患者と主治医という枠を超え、友人として生や死についていろんなことを話し合った。
ふんわりした不思議な時間だった。
彼は(医師ということもあり)自分を客観視していて、その死も確信していた。自分は確実にここ数年で死ぬだろう、と。
でも、闘病し始めて1年くらい経ったあたりからは、なんだか吹っ切れた明るさがあった。
何か人生の意味がわかった、というのである。
悟ったに近い、と。
ある日、病室で、そのことを話してくれた。
死を前にして、わかったことがあるんだ。
僕は大きなつながりの一部で、僕たちの存在は、それぞれつながりあっているってこと。
さとなおくんのような友人だけじゃないよ。
まだ会ったことのない見知らぬ人とも、遠い外国に住んでる人とも、お互いにつながりあっている。
僕はいま、病室に閉じこもってずっと寝てるでしょ。
でも、僕が病室に閉じこもっている、ということそれ自体が、街を歩く見知らぬ人に影響を与えてる。
わけわからないよね(笑)
でも、本当にそうなんだよ。
僕は、病室に閉じこもってなければ、いま街を歩いているかもしれない。
歩いていて、ふと道を右に曲がったら、前からきた女性と軽くぶつかって、「あ、ごめんなさい」って謝って、その女性の歩みを数秒間止めちゃうかもしれない。
そうしたら、その女性は、次の角でたまたま出会えたかもしれない懐かしい男性と、数秒差で出会えなくなるかもしれない。
幸いにして、僕は病室にいる。
その角を右に曲がらない。
だから、その二人は出会う。もしかしたらその出会いが恋に発展するかもしれない。家庭を持つかもしれない。
そして、その二人の孫が、100年後に大きな発明をするかもしれない。
・・・つまり、僕は、病室に閉じこもっていることで、その出会いを作り、その発明に協力したんだよ。
僕は、その場にいないことで、その女性とその周りの人の「何か」を変えたんだ。
んー、うまく伝わるかな・・・
ボクはなんとなくミスチルの『彩り』という曲を思い出していた。
♫ 僕のした単純作業が、この世界を回り回って
まだ出会ったこともない人の笑い声を作っていく
ベッドから半身起こして、ちょっと照れながら、彼は続ける。
なんか、うまく説明できないけどさ・・・ぼんやりした大きな球体の中に組み込まれている感覚なんだよね。その中の一部みたいな感じ。
みんな、その球体の中でつながっている。
つながっているから、影響を与え合っている。
さとなおくんが道を歩いていて、次の角を左に曲がるか右に曲がるかで、誰かの運命を変えてるんだよ。
今日、ここに来る電車の中で立っていたのか座っていたのかだけで、誰かの人生に影響を与えているんだ。
さとなおくんが何かの本を書いたことで、誰かの仕事や生き方を変える、というのはわかりやすいよね。
でも、本を書かなくても、ただ毎日生きているだけで、見知らぬ人を変えて行っている。
極端なことを言うと、何百年前のロンドンの街角で人と人がぶつかったことが、回り回って、日本に住んでいるこの僕の人生に、大きな影響を与えている、なんてこともあると思うんだよ。
とっくに死んじゃった無名のその人のおかげで、僕は今日こうして生きているのかもしれない。
だから、死んでも、同じだと思うんだ。
僕がこの世界からいなくなることで、どこかで誰かと誰かが出会う。
この世界から僕の席がなくなることで、誰かがそこに座り、誰かが幸せになる。
僕は、「ずっと死に続けること」で、これからも多くの人生に長く影響を与え続ける。
だから、死ぬのは寂しくない。
僕たちは大きなつながりの一部だから。
ボクが亡くなった彼女とラボで出会ったのも、もしかしたら「松村先生がずっと死に続けていてくれたこと」が、回り回って影響を与えてくれたからかもしれない。
彼女も、亡くなることで、どこかの誰かに新しい出会いを生み出し続けるかもしれない。
それらすべてが、この世界を形作っている。
そんなことを意識しながら、そしてもっとそのことを深く考えながら、これからも生きてみたいと思っています。
※冒頭の写真は、松村先生の手です。ベッドの上で強い意志を伝えてくれました。
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