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寄り添うという事

犬を飼い出した。
飼う前は、疲れた体と心と頭を休める為に、
ぼーっとする時間をあえて増やしていた時期だった。
人生と仕事と生活に、行き詰まった時である。
カウンセリングも受けた。

「なるだけぼーっとしてください。一般的な人以上にぼーっとする時間が、あなたには、必要な人です」

とアドバイスされた事がある。
私に取って、ぼーっとする事は大事なことらしい。
ぼーっとして時間が過ぎてしまったり、
ぼーっとして、何もできてない、
自分の周りが片付いていない、山積した問題事項を見渡すことは多々あるのだが、
自分はぼーっとしてよいと許可を与えてみた。

軽くランニングして、
公園の植え込みに入り込み
ぼーっとしてみた。
ぼーっとぼーーーーーーっとするのである。

中年のおばちゃんがぼーっとしている公園の片隅を見た事があるだろうか。
異様な光景かもしれない。
それでもぼーっとするのである。
流れる車を見る。流れるヘッドライトを見る。
時には、運転手が、訝しげに、こちらを見ている事もある。
それでもぼーっとするのである。

それでも、風を感じるのである。
それでも、自分の頭を空っぽにしてみるのである。

中年のおばちゃんが座り込む公園の片隅は異常であろうか。
自殺前とか考えるだろうか。
時に通りすぎる人は目を合わせようともしないか、通報されるだろうか。
まぁ、そんな雑音が頭に浮かぶと、笑いが込み上げて来た。
ハハハハ。そんな自分が笑える。
結局のところ、誰も、私なんかを見ちゃいないし、気に留めてもないだろう。
でも、変なおばちゃんに気づいた私は、笑えてくる。

そんな異様な光景の中にいる私は満たされつつあった。
何も、生み出しはしないけれど、
自分という溶液が下からポコポコと湧いてくる様だった。

そんな日々が過ぎた時だろうか。
犬を飼う事になった。
お互い初めての家族になるのだから、上手く行かない。
向こうは、ほぼ赤ちゃん犬なもんだから、
あれこれ、世話を焼くうちに、
公園でぼーっとする時間もなくなった。
慣れない犬散歩に戸惑うばかり。

それでも、だんだん、お互いに慣れていき、
犬に、ぼーっとする時間に付き合ってもらう様になった。

犬は
何を思ってか、
私のぼーっとする時間を邪魔してこない。
舌を出して、はっは言っているだけで、
何にも言わずに座っている。
こういう時は、静かである。
これを「寄り添う」というのだろう。

ああ、これで、中年おばさんの異様な光景は終わりを告げた。
犬と座っていれば、異様な光景も、
犬の散歩に付き合っている犬思いのおばちゃんの景色に変わるだろう。

犬に付き合ってもらうのもいいもんだ。
賢い犬だ
愛犬よ。ありがとう。


いつの日か、ぼーっとする自分は、いなくなった。
犬友も増え、日々の忙しいサイクルが始まりだす。
もう、私は、公園の片隅で
ぼーっとしてなくてもよくなっていた。


でも、どうだろう。
最近は犬が散歩途中で座り込んでしまう。
公園でぼーっとしたいらしい。
歩くでもなく、トイレするでもなく、家に帰りたいわけでもないらしい。
愛犬は座り込んで、ぼーっとするのを欲しているらしい。

ああ、そうか。
君は、私にいっぱい付き合ってくれていたね。
今度は、私が「寄り添おう」
何も言わずに、何もせずに、ただ居るだけでいいらしい。

実は、私にも、もっとぼーっとする時間が必要だと
神が言っているのかもしれない。

だから、今日も君と一緒に
公園に座ろう。
ぼーっと見ていた、ただの世界が
君との思い出の景色に変わっていくだろう。

こうして、ただの公園が
花園に変わっていくのだから。

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