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余命宣告後の現実(第2話)

SNSで大反響だった実話
小5と余命宣告」続編(第2話)です。

父ひとり、子ひとりの家庭で育った娘が
小5の時に、その父の余命宣告を受け
その後の覚悟と成長を描いた実話。

脚色は一切なし。
むしろ、各方面に配慮し
わざわざ抑えて書いているくらいです(笑)

ということで、
これは長く続く連載ものです。

初めての方は、1話からどうぞ。




わずか小5で

親の余命宣告を受ける。

というショッキングな
経験をしたわけだが

現実の生活は、
それまでとあまり変わらない。



父は、今まで通り で

退院すれば、毎晩
ビールを炭酸ジュースのように飲み
野球中継を見ている。

父の入院中、私は他の家に預けられ
一時的に転校していたので
元の家と、元の学校に戻ってきた。

今までと大して変わらない
生活が戻ってきた。

ように見えたが


私の感覚は、

全然違う…

もう無邪気に
はしゃぐ小学生ではいられなかった。



6年生になったら
行く修学旅行。

学校で、
どこに行きたいか?
というアンケートが配られた。


クラス中が

「やっぱディズニーランドでしょー!!」

と盛り上がっている中

一番近くのリトルワールド(名古屋)に
丸を付けて提出した。

旅費が一番安かったから。


これって、
行かなくちゃダメなのかな。

出来れば、行きたくないなぁ。

こんな旅行なんかに使う金があるなら
今後のために蓄えておきたかった。



「働きたくても、病気で働けない人」

「収入がない家」

に、支給される生活保護。


我が家の収入源は、それだけ。

といっても、実はそれだけでもない。


県営住宅に入居できて、

しかも家賃だって激安!

医療費もタダだった。

学校の給食費も
免除してもらっていたような?

他にもたくさん
生活保護世帯が受けられる恩恵は
あったはずだ。


今でこそ、
なんだか悪いイメージが
ついているカンジがあるけど、
ありがたいことだらけだった。


ありがたい。って
思えるようになったのは
それから、
ずーーーっとずーーっと
先の話だけどね。


とにかく当時は、必死だ!

後さき、短い自分勝手な病人を
アテにする訳にもいかず

かと言って、

ここでお世話になろう!

と思うような場所も人もなく。。。


でも、、、

哀れでかわいそうな親子を
不憫に思って
気に掛けてくれる人は
いっぱいいた。


ほんとにいっぱい。。。


保育園児だったころにも

小学生になった後も


「うちの子になる?」


って声を掛けてくれた
父の友人が何人かいた。


「いやだ!ならない!」


誰に何度言われようが、
自らの意思で、
すべて、はっきり断ってきたのを
今でも覚えている。


理由はただ一つ。


お父さんといっしょにいたいから…





病人と思春期(第3話)



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