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自分を大切にするということ

みなさんは自分を大切にできていますか?
それは身体も心も魂も。
すべてを含めた自分を。


意外とむずかしい、と感じませんか?

全部〇(まる)だよといったって

ああ今日も失敗した~
うわぁあ
となることもあるし
こんなふうにダメな自分も〇
って言ったってダメって言ってるじゃんとか笑

ループですよね笑

全部〇だと決める

まるっとOK出せない原因に
幼少期の親との関係がある…
とも言いますが
もういい大人だし
いつまでも親のせいにしていても
そのループから抜け出せません。

結局今自分がどういたいのか。
この先の未来に自分がどうでありたいのか。

それを決めるだけです。


この「決める」がまた慣れるまでは難しくて。

決める=もうそうであると振る舞う

と言い換えてもいいと思います。


だから
親の影響を受けずに自分の人生を生きる
と決める。

全部に〇をする、と決める。


慣れないうちは
「今日もダメだったな~
 ああ、なんでいつもこんなんなんだろ・・・」
ってなっている自分に気づいたら
「なんちゃって」とか
「と思ってしまう自分もまぁいっか」とか
「と思っちゃうけどやっぱそんなところもチャーミング!」とか
付け足してダメ出しした自分をキャンセルしてください。

PCのESC(エスケープ)ボタンを押す感じで笑


自分の人生なんだから
自分くらいは自分のことを好きでもよくない?
って仰っていたかたがいて。


本当にそう!
それなんですよ!

他の誰に否定されたって
自分くらいは自分のことを肯定してあげて
いつでも味方でいてあげて
好きでいてあげたらいいですよね?


どうしても〇できないとき

そんなときは
・深呼吸
・呼吸に集中
・手足を動かす
・好きなことに没頭する
・細かい作業に没頭する
などなど、思考しないで済む手段をとってください。

手っ取り早く
呼吸に集中するのは
道具もいらないし
家の中でも道端でも会議中でもできるので
オススメです。

基本的に現代人は左脳が強くて
思考が強い生き物です。

思考は「自分がダメな理由」を探して
「生き延びるための策」を考えるのが得意。

人間は、ほかの動物と比べて
力も身体能力も高くない分
知力で生き延びてきました。

この知力の発達した形が【思考】。

人と協力しないと生きていけない
現状を維持しないと生きていけない
と感じさせます。


でも実際は
今の人間はよっぽどのことがなければ
普通の生活していて
何かに襲われて死ぬということは
ないですよね。

だから本当はそこまで
命を守ろうとする防衛本能を
働かせなくても大丈夫なんです。

って思うと今の時代ってすごくいいですよね。


でも、だからこそなのか、
余計なことに考えを巡らせるのかもしれません。

「生きる」ということ以外のものに
目が行き
やれ自分はダメだとか
やれあの人はすごいとか
あいつはずるいとか
そんなことを考えてしまうように
なったのかもしれません。


これから私たちが目指していく生き方

何度も書きましたが
これからは
なにかに依存するのではなく
自分で自分を救い
自分を生き
その才能を解放し
争いの世界ではない世界へと
変わっていきます。

なんだか高尚な感じにも聞こえますが
結局そのための基本は
「自分を大切にすること」です。

それぞれが自分を大切にしたときに
初めて自分ではない誰かを大切にすることができます。


お互いにお互いを大切にした世界では
争わずに済むと思います。

そもそも私たち1人1人は
積極的に争いたいと思っている人は
おそらく少数派だと思います。


この約2000年間
私たちは戦争の時代に生きていました。

混乱と混沌と
救いとなる宗教と科学と。

でもたぶん
一般市民は戦なんて望んでいなかったと
思うんですよね。

もしかしたら戦士たちすらも
望んでいなかったかもしれない。

支配の中、
あるいは混乱の中、
何かに対抗しなきゃ
勝たなきゃ
支配される側になって自由を得なきゃ
金銭面・物質面で優位にならなきゃ
と思い込まされて
戦い続けてきました。

でもだんだんみんな気づいていますよね。

戦争には必ず利権がからみ
市民の誰も戦いを望んでおらず
本当はみんな仲良くしたいと思っていること。
自由に自然体に生きたいと思っていること。


というのをこれからは体現していくのに
「自分を大切にする」
ことが必要になるんです。

自分を大切にする方法

自分に〇をする、という以外にも
いろいろとできることがあります。

自分が今している目の前のことに集中すること
身体を丁寧に洗うこと
ゆっくり休むこと
身体のサインを聞き入れて行動すること
やりたくないことをしないこと
食事に集中すること
食べたいものを食べること
着たいものを着ること
家事を丁寧にすること
眠るときに自分の重力をしっかり感じること
トイレに行きたい時に行くこと
あたためること
ゆるむこと


本来特別難しいことではないですよね。

自分の直感的本能的欲求になるべく忠実でいること。
誰にも迷惑かけず
誰の目も気にせず
自分の中で完結できることも多いです。

それをとにかく毎日毎瞬続けることが
確実に「自分を大切にする」ことに
つながります。

これを毎日続けていると
ふと気づくことがあります。

自分ってかけがえのない存在で
自分の身体があること
家があること
家族がいること
生活できていること
世界の全部がありがたいなぁ
ということに。

しかもそれら全部が一緒の
ような存在に感じるタイミングがあるんですよね。

幸せで満たされというか
何も足りてない物はなかったんだなというか
そもそも全部同じだったんだな・・
みたいな感覚ですね。


そしたら
ただ生きているだけで幸せなんです。


私はまだその境地にはないですが
おそらく死というものすらも
怖い感覚が薄らぐんじゃないかと思います。

だって全部が一緒なのだから
この世的な死は死でないので。

これって頭でわかっていても
まだ体感としては私はわかりません。


全部満たされているんだ・・!
の感覚は何度かなったんですが
言葉で言い尽くせない感覚がありました。
幸せというのにも何か違うし
満たされているという言葉もすべてを
表していない。

のですが、
無とすべての有がイコールになったような
不思議な感覚です。


でも多分この感覚を目指していくような
生き方にみんなシフトしていくと思います。


できることから始める

いろいろ書きましたが
できないことはできないし
でもやれる時期になれば
できるようになります。

全部完璧なタイミングで
起こるので
そういうつもりで
過ごしていたらいいと思います。

ただ、これは何もしなくていいってことじゃなく。

今何か気づいたことがあって
やってみたいことがあって
もういい加減自分を生きたい!
と決めるなら
やっぱりそのように生きていくしか
ないんだと思います。

そう思ってしまった自分をあきらめて
潔くその世界へ行くしかない。

がんばるのしんどいし
自分のことを見つめたり
掘り起こしたりするのが
きついなと感じても
光ある世界へ行くのに必要なら
やり続けるしかないんですよね。

しんどい自分
ダメな自分も
ああ~またやってる~
でもちょっとずつだな
って進むしかないんです。

ちなみに私は昨日
お客さんが家に来てくれたのに
コーヒーがめちゃくちゃ濃くなりまして(笑)
ほんとダメすぎるな!
私ってできることあるのかな!?
って若干落ち込んだんですが(笑)
まぁそれでもいいんです。
ちゃんと私には私にできることや
やりたいことがあって
こうして想いを綴るだけでも意味がある。
(ことにしておきます(笑))


なので、
「私は私を大切にする!」
と決めたけど
今日も自分はダメだったな・・・
とか思ってもいいんです。

でもちょっとずつできるようになるし
一度腑に落ちると
それが普通になります。

今できなくても
それはまだ今できなくてもいいからだし
そういう時期だから。

そういう心づもりに
決め切れていないから。

決め切れていないことが悪いのではなく
決め切る必要がない時期だということ。

それをわかっておくだけで
楽になるので
そういうもんなんだなー
と思ってくれたらうれしいです。


さいごに

自分を大切にするって
簡単なようで難しく
難しいようで簡単なこと。

一回一回
自分の行動をするときに
自分に聞いてみて下さい。
それは「頭の思考」に聞くのではなく
「感覚」に聞く。
「感情」を味わう。

これを続けていると
「直感」も降りてくるようになります。

おそらくもれなく誰でも。

人間がそういう仕組みだから。


1つ1つ
丁寧に。

味わって。

楽しく。


みんなで一緒に
過ごしていきましょう~。

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