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およそ事業に必要なのは、する力ではなく、やり遂げようとする決心である

物事をなし遂げるには、
それを行おうとする人の力よりも、
その人の決心の固さのほうが大切である。
(ブルワー・リットン)

リットン(1803~1873)は、
イギリスのヴィクトリア時代の作家であると同時に政治家である。
彼は日ごろ、「行おうとする意志があれば、道はおのずから開ける」ということわざを好んだという。

他にも以下の
同じようなニュアンスの
言葉があるが、
それはまた別の機会に。

『Where there is a will, there is a way』(エイブラハム・リンカーン
どんな困難な道でもそ れをやり遂げる意志さえあれば必ず道は開ける

『成功の秘訣は、断固とした決意にある』(ディズレーリ)

『精神一倒何事か成らざらん』(朱子)


【覚悟】【決意】【決心】の違い

ここで迷うのが、
この似たような
言葉の意味です。

どれも同じのような
ニュアンスにとらえられますが、
根本的に違いがあるのか
調べてみました。

人間の感情や行動を
織り成すの中で、
ある種の言葉はしばしば、
興味深く似ているようで
はっきりと異なる意味を
作り出すことがあります。

ここでは、
「覚悟」、「決意」、「解決」の
ニュアンスを掘り下げ、
それぞれの言葉を
ユニークなものに
している微妙な違いを
探ってみよう。


覚悟

【覚悟】とは、

潜在的な危険や
不利な状況に対する
認識であり、
心構えの状態である。

困難を予期し、
それに真正面から
立ち向かうための
精神的・肉体的な
心構えが含まれています。

覚悟とは、
啓発された心の状態であり、
個人が不確実な状況でも
一定の予期を持って
行動できるようにする
認知的な警戒心である。

それは、
逆境に直面したときに、
知識、記憶、戦略的に
考える能力を包含しています。

しかし、それは
必ずしも行動を
決断することを
意味するものではなく、
何が起こるかわからない
ことに対して
精神的、感情的に
準備しておくことを
意味しています。


【決意】とは
一方、「決意」は
より断固とした姿勢をとります。
重大な問題や困難な状況に
どのように
取り組むかについて、
明確な決断を下すことを意味する。

何かを決意するということは、
具体的な行動や態度への
コミットメントを意味し、
しばしば強い決意に
後押しされる。

決意に伴う感情とは、
揺るぎない献身と、
障害に直面しても
耐え抜く意志のことである。

内面的な不屈の精神が、
個人が断固とした
態度を取ることを後押しし、
選んだ道から
簡単に揺らぐことが
ないようにするのである。

写真素材:空に向かって手を突き上げる

【決心】とは

これらの糸を結びつけ、
特定の行動指針を
実行に移すという
正式な決定や
コミットメントを表します。

決心とは、意識的かつ
意図的に何かを
選択することであり、
多くの場合、
特定の目標や望ましい
結果を達成することを
目的としています。

それは単なる
精神状態や感情ではなく、
自分自身や他者に対して行う
正式なコミットメントである。

決心は個人的なもので
あることもあれば、
集団的なもので
あることもあり、
自分の人生の方向性を
形作るものであったり、
より広範な社会の変化に
貢献するものであったりします。


結論まとめ

「覚悟」、「決意」、「決心」の違いは
微妙だが重要です。

「覚悟」とは、何が起こるか
わからないことに対して
精神的、感情的に
準備することであり、

「決意」とは、
断固とした自らの意志で
困難に取り組もうとする心持のことである。

一方、「決心」とは、
選択した行動方針に対する
正式なコミットメント、
「責任を持つ」「約束をする」ことである。

これらの違いを理解することで、
私たちは人間の複雑な経験をナビゲートし、
それぞれの用語が
私たちの語彙にもたらす深みと
豊かさを理解することに繋がります。


エドワード・ジョージ・リットン伯爵
(初代リットン男爵)を紹介しよう。

1803年5月25日に
ロンドンで
生まれた彼は、
イギリスの小説家で
あると同時に、
劇作家、政治家、
貴族でもあった。

代表作『ポンペイ最期の日』や、
戯曲『リシュリュー』に登場する
「ペンは剣よりも強し」という名言は、
いまなお語り継がれている。

特に、1858年から1859年まで
保守党政権の植民地大臣を務めた。

生い立ちと教育

トリニティ・カレッジ (ダブリン大学)(Wikipediaより)

ケンブリッジの
トリニティ・カレッジと
トリニティ・ホールで学び、
キャロライン・ラムと交際。

1827年の『フォークランド』
出版を皮切りに、
ベンジャミン・ディズレーリ
との親交をはじめ、
さまざまな成功と交友を経験。

1831年に
わずか28歳で政界入りし、
さまざまな選挙区の
代表を務め、
1838年には男爵となった。

1841年の選挙では敗れたが、
その後も精力的に小説を書き続けた。

イングランド、ハートフォードシャーのネブワース ハウスの西ファサード(2007年)

1841年のドイツ旅行の後、
ネブワース・ハウスを相続し、
1844年に姓を
「ブリュワー・リットン」
に改めた。

その後、
"The Last of the Barons "や
"Confessions of a Water Patient "などの
重要作を執筆。

1852年、
保守党議員として
政界に復帰し、
1866年に
貴族院議員に
なるまで務めた。


リットンの著作物
小説「ポンペイ最後の日」
戯曲「リシュリュー」など、他多数



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