佐藤・文学関係史

最近、文字を書いている瞬間にのみエクスタシーを感じるようになった。
なので自分を顧みるついでに佐藤と文字の関係性を語る。


保育園時代

だじゃれが好きだった。

だれに影響されたでもないけど、

保育園の時、なぜか保育園での会話の8割がだじゃれだった。

忙しい先生を呼び止めてまで、
先生!だじゃれできた!
とだじゃれを披露した。

それほどにだじゃれを言う自分にアイデンティティーを感じていた。

しかし、他クラスの担任のこむろ先生の足を止めさせて
「ブーツがブツブツ言ってる!」と言ったら、「はぁ?ブーツ?」と言われてとてもショックだったのを、風景含めて覚えている。悲しかった。あの人はきっと元マイルドヤンキーだよ。そうに違いない。その件からこむろ先生をちょっと嫌いになった。

逆にいつでもだじゃれをニコニコ聴いてくれる担任のゆうこ先生は神だった。大好き。

-当時から絵は好きだったのでガンガン描いてたんだが、保育園児で左右対称に描ける子はいないらしく、自分の絵が『ほいくうぃーく』という小さい冊子の表紙になったことがある。この経験が自分の肯定感に今でも繋がっていて、「絵の仕事とかいけんじゃね?」と軽率にデザイン学科を目指すのである-

こういう甘い考えはほんと甘いけど、時に自分の道を大きく決めてくれることがあるので、そういうぬるい軽率な動機から何かが決まるのはいいことだと思う。自分の中の軽率さは時に大事にすべきと思う。

小学生

小3の5月まで神奈川。それ以降は父の転勤で大阪に。中学で神奈川に帰ってきた。
転勤で家族もろとも移動するって物理的に考えたらこんな分の悪りぃものはねえな。(大阪に四年行って楽しかったけど!)

大阪に行ったらすぐ友達ができた。
うえちゃんは、初めて登校した日に家に遊びにきてくれた。
「今日友達くるんだけど、家に呼んでいい?」
マ「いいよー、誰くん?」
「わかんない」
わかんないってなんやねんな。

親もこの溶け込みの早さに安心しただろうな。
うえちゃんとは時々連絡もとる。
いつからか、誰からもうえさん呼びになった。大人になる一歩だな。

変わらず絵を描くのが割と好きだった。
うえさんと漫画工作クラブに入って、一緒に絵を描いていた。翌年、うえさんが運動クラブに入りおったので、あれ?となった。運動なんかして面白いか?もっと漫画とか描こうやん。

わりと自由帳の消費が早かった。
ポケモンの絵を描くのが好きでただ模写するのも好きだったが、ポケモンの一部分を同士くっつけて新しいポケモンを作る『合ポケ』にハマっていた。


夏の絵画コンクールに向けて飛行機の絵を綺麗に模写して描いた。あまりに上手くかけたので、
「クラスのみんながド肝抜くぞ、しめしめ」とワクワクして9/1に登校した。「しめしめとワクワク。」語感がいい。すぐ語感の良さについて考えてしまう。

そしたらどうやら作品テーマがあったらしく、テーマ違うだなんだで担任にエントリーすらさせてもらえなかった。
ただ、本当にのびのびと綺麗な絵を描いたので後味悪くはならなかった。
この頃から、「右から左へ受け流す」ムーディ勝山的マインドは育っていたように感じる。


それと同様に、替え歌を自由帳にまとめるのが大好きだった。
うんことかちんことか、しょうもないので見せられないが、結構なプロ意識でやっていた。

とある同級生が、あまりに下手な字余りの替え歌を歌うので、「替え歌はそんなんじゃ、いかん!」と憤りを感じるほどに私は替え歌に対してのプロ意識を抱いていた。

小学生ながら、字余りする友達をぶん殴りたくて仕方がなかった。替え歌はただでさえ音楽に無礼をしているというのにこれ以上無礼を働いてどうするのだと。文字というものに敬意を持っていた。

ゼロから物を作ることも好きだったけど、編曲や替え歌のように誰かが仕上げたものを自分なりに手を加える行為も結構価値が高いな、とふつふつと感じていた。
人のものを自分が手がけて外に出す、という一種の侵略的精神。これがわりとたまらない。

この辺にエクスタシーを感じていたから、
クリエイターをやること以上にクリエイターのマネジメントに大変興味がある。ずっと表舞台の人を手助けするエンタメのマネージャー的なことをしたいと思ってたんだけど。
もしかしたらいやらしい侵略精神からなのかもしれない。



しかし、小学生当時は夏の読書感想文が大嫌いだった。今では文字書きが好きな佐藤なのに。読書感想文アレルギーだった。
泣きながら書いていたんだけどありゃ現代の拷問だ。読書感想文か釜茹で地獄なら釜茹で地獄を選ぶね。

けれども、佐藤はある一冊の本に出会った。
『チョコレート工場の秘密』。
小学校四年の時、チャリチョコ(『チャーリーとチョコレート工場』)の金曜ロードショーがやってて、とてつもなくハマった。本気で本気で録画を毎日見ていた。
「ビデオが擦り切れるほど」という言葉がぴったりだった。

それがあったからこそロアルドダールの原作『チョコレート工場の秘密』で、初めて泣かずに読書感想文を書けた。

おそらくそれ以前は文字書きなんて嫌いだったはず。

中学生

大阪から神奈川に帰ってくる。

謎かけにハマった。
小野くんと田代くんくらいしか聴いてくれなかったけど、少しずつ上手くなっていった。
まあ、ライトにやってただけなのでそんなに思い入れは無し。


また、小学生から買い集めていた『浦安鉄筋家族』というギャグ漫画があり、

それに出てくる擬音が面白くて、言葉に発して楽しんでいた。

るるるるるるる

ざーまーん

みたいな。

サモハンキンポー似のキャラクターがぶん殴られた時はキンポォー!って言いながら吹っ飛ばされたりするのがなんか面白くて。



高専生時代

お母さまも面白くて優しい方なのに、
その息子としてはやけにひねくれてて、皮肉を言うのがうまい森くん(名前を出すのはしのびないので仮名)と親しくなった。

彼と親しくするうちに皮肉とブラックジョークという分野を知った。
それはそれは不謹慎でここでは言えることはなにもないが、彼から不謹慎を学んだようなもの。
不謹慎学という講義があったら、ぜひ彼に教鞭をとってもらうべき。

その森くんとまーた中身のない会話をするんだ。

スプーナリズムってわかりますか?語音転換という意味。


ゴツゴツのアハン!みたいなやつ。

これを森くんとずっとやっちゃう。
課題制作で疲れてる時にやるとマジでツボに入っちゃう。

ウィリアム・モリス(デザイン史に出てくる有名な人)
→モィリアム・ウリス
→モムリリ・アィスウ…………ギャハハハハハ!!!

みたいな。
これの面白さは実際やらないとわからない。


そんないろんなしょうもない話ばっかしてるから、脳がそうなっちゃって、
バイトでお客様に向かって、
「お客様ー!」って言わなきゃ行けないのに
「おカスタマー!」って呼んじゃった経験がある。
意味は合ってるけど。

あ、森くんの進学に向けて、エントリーシートの校閲も少しやってあげた気がするな。

あとは高専2年の時に有志参加の英作文コンクールに英作文を出した
なんかおばちゃんの英語の先生で、その人が押しが強いのなんの。半ば強制的に参加した感はある。笑
A4で3枚くらいの内容を翻訳し、英語の先生に推敲してもらって出した。参加賞で終わったけど。良い経験だった。あれが人生で初めて公に向けた、自分で作り上げた長文だったかもしれない


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大学

高専を5年満了したのち、多摩美術大学情報デザイン学科情報デザインコースに3年次編入学。

単位互換が効くんだけど30単位くらいは講義をとらなきゃいけない。
ほかの友達はもう講義取り終わって実習だけ〜卒業制作だけ〜みたいな人がいる中、
講義を取りまくらないといけない。

これだけ文が好きだったから、
レポートを書くのも苦じゃない。
やべえやんなきゃ!って締め切り二時間前にレポートを書き始めても30分で終わるなどもよくあった。

だから”講義を取りまくらないといけない問題”は、そんなに問題じゃなかった。

おまけに四年はリモート講義になったので、般教でやけに簡単にポンポン単位が取れてしまった。

結果的には124単位とらなきゃいけないのに、137単位も取れてしまった。ブックオフが単位も取り扱っていれば、今ごろ大儲けなのに…。


卒制も、「歩き飲み考現学」というテーマで、歩き飲みのコミュニケーションを分析したものをnoteにまとめた。
4万字くらい書いたんだろうかね。おそらく。
あと倍書けば単行本に出せるレベルらしいので、もっと続けたい。
まだ見ていただけていない場合は、是非とも見ていただきたい。

歩き飲み考現学の記事はこちら

そしてそれを作りっぱなしではなくもちろん、しっかりと展示をした。3月の頭に横浜赤レンガ倉庫1号館で。

卒業制作展は完全に学生有志で行うから、学生全員に1人一役、仕事が振られる。
自分はその中で、当日配布される作品の「図録」の中にある紹介文を校閲する仕事だった。

・作品の概要
・どういうきっかけでこれを作った
・製作中に意識していたこと

とか、いろんな項目がある。
これを複数人で手分けして70人分見るんだけど、なんか楽しくてパパッとやってしまった。
モヤッとする部分を赤ペン先生して、より精緻に作り上げる面白さ。
あとは、人によって書き方とかがあるから、その書いてる人の人間性を想像して、
「ここのニュアンスはこうした方がこの人らしい」とか、
「この人はこういう人なのに、語尾で軸がぶれちゃって勿体無いから変えよう」とか書き手の人間部分を勝手な想像を繰り広げて、会話をする
なんだかそれに取り憑かれちゃって…。

それで作業も前倒しになって、手持ち無沙汰だから他の仕事を振ってもらって、なんなく完了した。

どういう基準でここの役割を振られたのかはなんだか不思議だったんだけど、すごく自分に合う仕事をもらえて、参加できた感じがして嬉しかった。
やっぱり自分よりも幹部とかの負担は大きいから、なにか一つでも多く力になれることってあるだろうかと思ってた矢先のこの仕事だった。
校閲は楽しい。

人の作るものを磨き上げる面白さをあらためて感じた。


お笑いの観点から

保育・小中高大と古い順に並べてはきたが、
ここでスタイルを変えて書いてみる。

お笑いは好き。
べつにお笑いライブハウスに見にいくほどディープではないんだけど、
お笑いのテレビ番組は全録画。

キャッチーなフレーズのお笑いが好き。

たとえば永野が好きなんだけど、
永野のネタは、
「富士山の山頂から二千匹のネコを放つ人」
「前すいませんをやりすぎて、イワシになってしまった人」
「ノリノリで香水を振ります」
みたいにタイトルのインパクトから、ついつい顔を突っ込んで見たくなるタイトリングで、それが好き。

ももクロchanで出演していた時からジワジワきていたので、ブレイクする少し前から知ってはいた。ストーリーテリングが最高すぎる。


あとはハライチのコントみたいな、言葉のニュアンスで笑わす系も好き。
あれは文字単体の面白さ、美しさみたいなものがある。
純・言葉遊びというようなことは好き。

ZAZYの「きぬえにパン」も、意味はわからないのにキャッチーなものが好き。


反対に一文が長ったるいお笑いは苦手。

語感の良さはとても気にしている。

私の文

形式ばった論文調にも書くには全然書けるんだが、基本的には、一本の流れる映画にチャプターマークをつけるような感覚で、見出しをつけている。それが割と好きであったりする。

今回の論題はこちら、次はこちら。みたいな感じでくぎれがある書き方じゃなくて、
なだらかに繋がったストーリーに切り込みを入れるやり方。

ただ、友人のnoteやいろんな人のものを読むだけで自分に足らないものがあるなととても感じる。

いろんな顔で書けるようになりたい。




おわりに

このような自分史の中で、文章を書くことがどんどん好きになっていった。

サラサラと文が生まれてくる瞬間、なんだか自分はできる子なんじゃないかと思えたりもする。
日本語は英語に比べて、1文字あたりの言葉の情報の量が大きいと言われている。
たとえば、「音」という言葉は日本語だと1文字なのに、「sound」になると5文字もかかる。
だからTwitterでは日本語でものを打つ方が140文字あたりにたくさん言葉を詰め込める。とも聞いた。

だから英語でものを書くよりも、一文あたりものすごい量の情報を打ち込んでる感がとても楽しい。英作文大会でそれをすごく感じた。

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