歩き飲み考現学・改

皆様は『歩き飲み』という言葉、ご存知でしょうか?

コンビニでお酒を買って、1〜2駅先に向かって歩く行為のことです。

(都内でいう1〜2駅なので、30分ほど飲みながら歩くというイメージです)



一見はしたないことに聞こえはしますが、それが体験的に真新しく、楽しいものであるということをこのnoteを通して伝えたい。

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厚労省が提唱する「こころの健康を保つ生活」として、

①休養

②ストレスへの対応

③睡眠への対応

の三つが必要とされているので、飲み歩きの場合②に当てはまる節がいくつかあるのではないかと思っています。

と、試しに厚労省のエビデンスのしっかりした言葉を入れてみましたが、こころの健康というワードに飲み歩きを直接的につなげてもイマイチなぁ、というところもあるし(ほどよい飲酒はいいと言いますが)、

そもそも自分の経験則によるものをお話ししているので、あまり公的な文献などはないので、公的文献は取り入れないという方針で行こうと思います。





歩き飲み≠飲み歩き

「歩き飲み」はネーミング的に「飲み歩き」と混同されがちですがまったく違います。

・ストリートアルコール 通称ストアル、

・アウトドアセイク(Outdoor Sake) 通称ODS、

・路上飲み・路飲み

など様々な類語があるが私は『歩く』という行為を主体としているため『歩き飲み』という言葉を使います。


まず、飲み屋をはしごするわけではないので居酒屋には寄りません。


実際にやってみるとわかりますがニュアンスとしては、

各・到着地を楽しむ旅行的感覚の飲み歩きと比べて、歩き飲みは流れゆく街並みと経過を楽しむ放浪に近い部分があります。

楽しみはあるんだけど、若干修行的部分が強い。

その果てしなさが面白かったりします。これに関してお話ししていきます。

その果てしなさが面白かったりします。これに関してお話ししていきます





歩き飲みはビュッフェ車のような面白みがある!

このnoteは歩き飲みに関して私の知るかぎりと、世界の歩き飲み好きが書いたコラム(記事の数的には10人もいない)を駆使し魅力を伝えてみたいという、卒業制作の一環として行っています。

ゼミで教授に相談するにあたって、

「これはビュッフェ車みたいな楽しみがあるよね」という言葉をいただいた。

そこから思考して話を進めてみる。



小田急電鉄は「走る喫茶室」というネーミングで1949年にシートサービスを始めた。昭和の結構直接的なネーミング、なかなか好きだな。


ロマンスカーは当初、観光地へのゆったりとした楽しみが目的であったものだったが、通勤にも多く使われることも増えるようになった。通勤で利用する方としてはありがたいけど忙しないよね、という雰囲気+さらにコンビニの普及も伴って撤退。

今はワゴンサービスという規模に落ち着く、という感じになったよう。

通勤とかの用事なのに移動時間で気持ちがオフになっちゃうと仕事時間オンになるかわからないものね。



景色を楽しむという目的では近いが、違いがあるとすれば

飲み歩き:定まった線路上を一定速度で走りながらあったかい車内でビールと柿ピー頼んで…と景色を楽しむのと比べて、

歩き飲み:自ら選んだ道筋を愛でたり時に悔やみながら景色を楽しめる(悔やむというのは、うっかり歩きづらい道に出てしまって無駄に疲れたり)という行為が歩き飲み。全ての選択責任が自分にのしかかること。

各々の体力や嗜好しだいでどちらが面白いと感じるかは半分に分かれるかと思いますが、私はやはり歩き飲みのが好きです。

(ビュッフェ車は経験したことがなくて、一番近しい新幹線のワゴンサービスしか触れたことがない私ですが。スジャータの固いアイスとかしか食べてない。)





話題の作られ方

居酒屋のコミュニケーションの取り方として、 飲む量が次第に増えていくにつれ気持ちが熱くなり、相手との話に深みを増していく。目線の先には相手の顔しかないのでその人の話を振りたくなってしまう。

職場のメンツであれば、昨今の仕事の愚痴を言ったり、そこから「お前 はどんな野望があるんだ」という話になったり。「彼女はいるのか?」なんてのも。聞かれちゃったら答えるしかないし。


たとえば私の場合だと、

ライブの帰り、おじさん世代を含んだオタクと散々飲みに行ったりもしたが、最終的には終電前までだらだらと「このグループが売れるためには?」なんて重いテーマを投げかけてくることが多くて、いまいちパッとしない。私は「〇〇ちゃんがただただかわいかった」「今日のメイクが好きすぎた」みたいな単純な話をしたいんだが…

社会人として経営に物申したいだろうが、そうじゃなくてエンターテイメントを楽しんでくれる人と話をしたいんだ。


飲みニケーションによって深まるものがあるのは重々承知だけど、

飲みニケーションという言葉自体は、話をしたい側の人間の口から言われる極めて一方的な言葉な感じがして、飲む側の私からしてもしっくりこない。

コミュニケーションのための飲みとしても、『飲み』が先に来ている語感が「もう飲みたいだけなんちゃうか?」と思ったりその辺が気持ち悪い。

これに関しては社内BARな新しい形にして一方的なコミュニケーション形成にならない場の飲みニケーションを考えた方がよい。


飲み会離れなどと言われる以前からパーソナルスペースをしっかり設けたい という意志を持った人間は前からいたはずではないだろうかと思うし、むしろこのワードが運良く出てきてくれたことで、パーソナルスペースを大切にしたい人はとても過ごしやすい時代になったと思う。だからこそパーソナル空間を守る飲みニケーションは意外と歩き飲みが適していて、歩き飲みでの自分の目線の先は相手の目ではなく、景色。世界である。

ここのランチ安くて美味しいんですよ、から始まって、「ちょっとここ開拓してこっちの道歩こうか」まで。 同じ話を毎度掘り下げるよりも、世界を繰り出してその中から互いを理解するほうが刺激 があっていい。 もちろん、しっぽりと深みのある話はできるし、けどしつこさは生まない。

景色を見ながらする歩き飲みは、ざっくばらんに離散的な話ができると思われる。

ここから少し学んだことがあって、二人きりのサシ飲みであればカウンター席に行きたいと思うよう になった。意外とこの形でも、というよりこの形のが全然深みのある話ができるなと感じる。人間関係にライトな関係が好まれるこの時代にこそ、顔を見合わせない歩き飲みという手段をとるのはいかがだろうか。


自由に陣形を変えられるからこそ、8人席にも2人席にもなる

大人数での店飲みで、中盤に差し掛かってきて周りの人と少し遠くにいるあの人としっぽり話したい!と言う時が訪れる。


対面のテーブル越しで話してる人と深い話ができるかと言えばまあそうなんだが、対面の人よりも隣の人のがぼそぼそと会話しやすい。

なので宴が終わるまでに話したい人の隣に行きたいところである。


ちなみに個人的イメージだが、

人の目を見て熱い話をするのが対面、秘密や憂いを広げるのが隣の席。

というような感じがある。


これは私の話になるが、アイドルオタクでライブ後に複数人のオタクと飲みに行く。


ファン層は大学生から55前後のおじさんまで。

若いのと集ってで盛り上がるのも楽しいがそれは1時間も話すとやっぱり飽きてきて、席替えしたくなる。

その席替え後に誰と話したいかというと、信頼を寄せているじっちゃんとしゃべりたい。就活がどうだとか、こういう分野の勉強をしてるとか。


おじさん・じっちゃんと使い分けて言っているが、私の中でこの呼び方の使い分けは、


おじさん:人間としてとくに興味を引かないか、むしろ人間性に関しては尊敬できないこともある中年男性

じっちゃん:ほんとうに心から信頼していて、なんでも打ち明けちゃうくらいには信頼してる中年男性


みたいな分け方で、さらにその中間は

おっちゃん:人間的に悪い人じゃないけど、これといって深い話もしないけど一緒にいて居心地はいい

みたいな、自分なりの線引きがあったりする。



定義づけをしたところでまた話に戻るが、

自分の言う「じっちゃん」が10人クラスの飲み会でかなり遠くにいた時にどうすればいいだろうか。街コンみたいに「席替えタイム!」と言ってもいいんだが、基本的にはないことのが多い。

話したい人の隣の人がトイレに行ったところで滑り込むというのをよくやったことがある。それは手間だろう。飲みの席では常に何も考えないでいたい。

飲みのメンバーの関係性によっては滑り込むってのはあまりに失礼かもしれないし。会社とか。


それが、歩き飲みであれば歩く速度を変えるだけで話したい人のところへ行ける。
たくさんの人数で飲む時、とある1人に対面で相談ごとがある、なんてこと があっても大丈夫。

物理的距離を取ってしまえば、もはやそこは二人がけの個室席。

もちろん、他のメンツと距離をとっても「酔って足取り遅くなってるんだな、アハハ」程度にしか思われないであろう。深刻な顔をしてれば「深い話でもしてるんだろう、そっとしておいてあげよう」ともなる。 

そうなれば、もはや2人席は出来上がっている。とても柔軟性の高い飲み屋ではなかろうか。


まあ、参加者が3人とかだと一人仲間外れなので二人席をつくるのはあまり適さない。


山手線から見る人間観察

歩き飲みに欠かせないのが、通り過ぎる人間の観察。
土地の地価があって、それによって住む住人が変わり、
各地域に住む人たちが、その地域を代名する。そうして街並みが仕上がっていく。
立川周辺は競馬とかのおっちゃんで溢れ、田園都市線沿いはどこで降りても所得の高そうなセレブで溢れかえる。
そのように各エリアを各人間が体現する。

その様子を眺めること、これも飲み歩きの醍醐味だと思っている。

芸人でブレイク中の納言さんは、「街いじり」という、コントの冒頭で
鶯谷はしょんべんくさい街」
三茶の女は返事が小せえ」などいろいろな都内の街を dis るというお家芸が有名だが、これが結構本質を見抜いていて面白い。
基本的に偏見で構成されているのだが、住みたくない街ランキングと照らし合わせると意外と的を得ている。



東京 23 区内の様々な人間をたくさん乗せ、毎日せわしなく巡る山手線は、一駅降りる駅を変えるだけで目まぐるしく住人が変わり、人間の面白さをわかりやすく形容する。

回転覗き絵を見るような徐々な変化ではなく急激な変化が強いのでそこがまた面白い。

ためしに渋谷から青山一丁目に向けてまっすぐな道を歩き飲みをしてみよう。
歩き飲み に寛容な雰囲気であった渋谷を抜けると、客層が変わってだんだん歩き飲みがしづらくなってくるから。


withコロナ時代に当て付けるなら...


コロナウイルスの流行というたいへん居心地の悪い時代に私は生きてしまった…


昨今の飲食店ではコロナ対策として

・長居をさせない

・席に距離を置く

・換気

・対面する場合パーテーションを置く

・おつりの出にくい料金にしたり非接触型決済を導入

あたりが実行されているのを見たことがある。

なるべく実行したい



この記事を執筆中、いいタイミングで小池都知事が会食に関する「5つの小(こ)」を提唱。

小池知事は「会食は是非『少人数』。できれば『小一時間』。『小声」で楽しんで、料理は『小皿』に分けて、『小まめ』に換気や消毒をしていただく』。5つの小を合言葉にして、感染防止対策の徹底をお願いします」と呼び掛けた。

まあ、無理なく守れるルールだとは思う。


また、これの提唱以前からテラス席営業で三密を回避しようという試みがあるので、なんだかんだ屋外で人と会うことがいいとされていたりする。

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じゃあ、

密閉された居酒屋で語らうよりも、

歩き飲みで「歩く時間」「飲む量」が決まった状態で飲んだほうが安全だったりして?


対面のときより横並びの方が飛沫は飛ばないし、

最終地点に到着しだい解散になるので飲んでいる時間はだらだらと伸びない。


外の風も浴びられる故にそこそこクールダウンできて、飛沫が飛ぶほどの熱い会話にもならなさそう。


という説がぼんやり浮かんでいる。

しかし科学的知識もないので、これまで。


永遠に居酒屋には座ってられるけど、永遠に歩くと疲れちゃう。

そう言う点で歩き飲みは、実際立ち飲みみたいに長居しづらいところがあったり、立ち飲みの派生系かも?



都知事の発言は影響力あるけど、飲み屋でのCX(コロナエクスペリエンス、今考えました。CXってもともとあって被るけど)の向上って科学者とデザイナーが組んでもっとしっかりと考えていったほうがいいと思うんだな。

飲み屋で焼き鳥とか食べるなら、分け合うこと多いし、もう串っている?



歩き飲み枕草子


『枕草子』は、清少納言が日頃感じたことを軽い気持ちで書き記したもので、

諸説ありだがタイトルの”枕”には「枕元に置いておくようなメモ書き」という意味があるとされていて、

ならば私は納言のように歩き飲みで感じたことをたくさんまとめたメモ書きがスマホにありますよと、思った。

そこで私は「歩き飲み版・枕草子をぜひ書いてみよう」となったのでここで書いた。



春はやるべきことをさっさと終えて、なんとしても日中から飲んでいたい。
公園で敷物を広げ酒片手にお花見をしている者を横目に、
「これがツウの花見です。」といわんばかりの得意げな顔で酒を片手にゆっくり歩く。
川辺の水面のハイライトをぼんやり見つめたり、いろんなよそ見がしやすい、いい季節。
そういえば、会話に花を咲かせるという語句が昔からあるほどには、会話でおおきな花が咲くのだ。誰もが過ごしやすい季節に友人と語らいましょう。
夏は日が上がりきった時間からしっぽり歩き飲みを始めたい。
蒸し暑いわ酔いで体が火照るわで、当然汗がとまらないので、素直に電車で移動してしまおうかという葛藤にも襲われるんだけど、やっぱり自分の足で一歩ずつ場所に着くのが楽しいんだな。空調の聞いたコンビニに退避して、
「オアシスだー!」なんて言ったり。海辺にいってキャッキャする人々を眺めてもたのしい。

 

秋は日暮れ前。
夏だからこそできることって圧倒的に多くて、そんな時期にたくさん出歩いた思い出を微酔しながら整理する季節で、夏じゃないからこそゆったり外風を浴びて考え事するなら秋。
「日が短くなってきたなあ」としみじみ感じながら、
葉が落ち始めたのをみて、もう冬はそこまで来ているなと足の裏でも感じる。
冬になろうと、ストイックに夜にやりたい。
極寒の時期に日の当たらない時間に歩き飲みなんて、自らに修行を課しているみたいである。
きんきんに冷えたお酒を喉に流すと、
「喉のひんやりに比べりゃ冬の寒さなんて大したことないじゃないか」と一瞬感じるが気のせいであることに1秒後痛いほど気付く。
場によってはビル風にやられて凍え死にそうにもなるので、友人に強いてまでするものでもない。一人で孤独に。

序文だけであったが、四季ごとに楽しみ・深みがあることが少しわかるだろうか。


歩き飲みを好きになったきっかけ

歩き飲みはたまたま、私のさまざまな”好き”が寄せ集まってくっついたものであるから好きになったのだだと思っています。


親が街散策の面白みを教えてくれてた

私は人生の半分以上を神奈川で過ごしていますが、小2の時に父の名古屋への単身赴任があり毎週名古屋に会いに行く毎日、その翌年はさらに父の転勤で小6から大阪に住んでいました。

けっこう目まぐるしく環境の変わる5年間でしたが、未踏の地への不安に対して親が気を使ってくれていたのかはたまた両親自身がワクワクしていたのか、毎週名古屋・大阪のいろいろな場所に連れて行ってくれました。

父は長時間歩くのは嫌いだったのもあって車でマイナスイオンの感じられる自然の多い場所に出かけたり、それに対し父が土曜仕事でいない時は母が中心となって徒歩と電車で様々な地に連れて行ってくれました。10km弱歩いた日も。

おかげで転校による虚無感や、

どちらも楽しかったですが、自らの足で苦労して街を切り開く感覚がやけに楽しかったのを覚えていてそこではじめて街散策の魅力に取り込まれました。



街散策は冒険なんだ!

小学生当時、ポケモンが好きでした。

周りの子となんら変わらない小学校生活で、4年では友達と漫画クラブにも入って、年中ポケモンの絵を描いていたような。

その中でも『ポケモン不思議のダンジョン』という作品は、

従来の「人間がポケモンを捕まえて戦わせる」ではなく

「ある日起きたら僕はポケモンになっていた!そんな僕は不安をグッとこらえながらもダンジョンを進むんだ」という、

「ポケモンになってしまった」不安感と「未踏の地をとにかく突き進む」冒険要素の特に強いものでした。

毎回地形の変わる山の中を突き進むという体験は10歳の探検家心をくすぐるもので、さらに画面上には通過したフロアマップが展開されるというインタフェースがほどこされる(進めば進むほどマップは広がるワクワク感)という、当時8歳であった小学生の私の心を大きく揺さぶるもので、

探検をするポケモンと街散策をする自分を重ねていたということがありました。

そのように、探検というワードにはとても敏感であったように今感じます。



そういう経験もあってか未知の領域を攻めるという楽しみを知りました。

そこで街散策に意欲的になり足が鍛えられて強靭になり、今やいくらでも歩ける体に。

未知というのは怖いことなんじゃなくてむしろ楽しいことなのだと、当時学んだ感じが。ふとした時迷子になっても、そんなにビビらず当然ガンガン突き進む小学生でした。


そんな私は足の強靭さには磨きがかかり、

7年目の仲になる親友と都内の展示を見に遊びに行ったりしますが、私はどこへでも歩こうとするので、どうも足の感覚だけは合わなくて「バカ足が」と言われます。

ひとまず、街散策が好きになった理由はこのゲームも起源です。



普通にお酒が好き

親が飲兵衛で、自分含めてお酒に強い血筋で、それもあって飲む習慣がついたりでお酒が好きになった、という事実があります。

これは単に血筋。


人と飲みに行く時は飲み放題でないとお金がかかって申し訳ないので飲み放題を選ぶ。そんな飲兵衛あるあるを提げていたり。


歩くことが好きだし飲むことが好きだし。

こういったように各要素、歩き飲みにたどり着くはずだよね、という暮らしであった。

好きと好きがくっついてるものはそりゃ大好きに決まっていて。

好きな小説の映画化に、好きな俳優が起用されたら嬉しいのと同じ。


こうして、歩き飲みスト佐藤は生まれた。


中野坂上を例にした” 歩き飲みやすい” 道のりについて

これまで様々なエリアを歩き飲みして回ったが、新宿ー中野坂上区間がとても歩きやすくて気に入っている。
中野坂上には行きつけのライブハウスがあってそこまで行く用事があるので、
当然回数は多いだけなんだが、とてもこの道が歩きやすい。

はじめは二駅分移動するだけに電車賃を使うのがなんだか嫌で、じゃあ電車賃浮かせよう!というつもりで歩いてたんだが、「お酒買うか、つまみも買うか」で気付いたら電車賃を超えていた。
飲み歩きしたら電車賃より高いことに気づいたのは坂上で飲み歩きを初めて半年後だった...。


この道のりは途中に西新宿駅があり、思い切りオフィス街。
日の明るいうちは歩きにくいのかもしれないが、今更慣れてしまった。

ここは地形的にまっすぐでゆるやかな登り坂でとても歩きやすい
急な坂だと、やはり疲労が凄いので。
まっすぐがいいのは、ナビを使わなくてもなんとなく歩いていけるということだ。

歩き飲みするなら、画面なんて見ないでいいなら見ないほうがいい。景色とふれあおう。


歩き飲みのつまみはスポーティーさが必要?

歩き飲みをするにあたって、食べ合わせは串焼きなどとにかく片手に持ちやすいものがふさわしいという、スポーティーさが求められる。

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片手にはお酒をもっているので片手でのツマミの操作が必要になる。 だからカバンもリュックや斜めがけバッグにして両手を開けたい。クラッチバッグなんかは絶対に向かない。

歩き飲みの醍醐味は移動なので、移動することに関してはコンパクト性の意味でスポーティーさが要求される。もちろん歩き飲みは荷物が軽いほうが動きやすくて良い。

袋入りの乾き物は分け合えるので複数人での歩き飲みには適していますね

乾き物を分け合えない関係と比べて、乾き物を分け合える関係はそれだけ仲が深まっているんだと思う。


今年になってローソンで出た、『グーボ』という春巻きみたいなホットスナックがとても緻密に”スポーティー”を構成していて良い。

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これはチョリソーとかめんたいチーズが入った、変わり種の春巻きみたいなもので、

片手で完全に持てるし、さらにはパッケージが自立するので、ふとした時ベンチとかにも置ける。もちろんショーケースの中でも自立するパッケージ。食べ進めていくうちにパッケージも一部剥いで下半分も食べやすくなったりと、歩き飲みするにしても超スポーティー。胸ポケットほどの幅もない細さなので良い。


ちょっと話の逸れたツマミの話になるが、適度に「かいつまんで」聞いて欲しい。(ここ、笑うところです。)


セブンのホットスナックの圧倒的種類の多さには感服する。

大学内のセブンとか、ホットスナック需要が高そうな店舗にあたると、もうそれはとんでもない種類があったりする。こりゃ小さな居酒屋かと。


でも実はデイリーヤマザキとミニストップのホットスナックが安くてうまくて逸材揃い。

デイリーヤマザキ のホットスナックは梅しそチーズチキンという、結構ニッチなものも販売している。

それにホットショーケースの中から自分で持ち出す形式で、店員側の手間も省けるのですぐ会計できて良い。人の出入りが多いところだと衛生面が心配だけど、激しく混まない店はこれでいいんじゃないか。


そしてミニストップでは、新大久保などでも爆発的に売れているチーズハットグを作っているということはあまり知られていない。

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ここは食べ歩きに関しての研究がすごいんだ。

ミニストップのホットスナックへの力の込め具合は「手間をかけてソフトクリームをその場で作って提供する」ことを継続しているほどの、「生モノをなるべく美味しい状態で提供することへの魂」のようなものがそこにも感じられる。


様々なコンビニを複数店舗巡ることになるので、

4、5番手のコンビニのブレない企業方針を見て各社の情熱をしみじみ感じるなど、その辺も歩き飲みの面白み。



あとはまれにあるニューデイズの唐揚げ棒がめちゃくちゃうまい。

衣でごまかさないボリューム感。




歩き飲みが歩行禅と似ている部分の話




禅と聞くと足組んで目を閉じてじーっとすること。 みたいな印象だがそれだけではない。

歩行禅というジャンルが実際にあり、それは歩きながら瞑想をし、その後座禅を組むこと である。背筋をピンと張り腹筋に力を入れ、鼻から息を深く吸い口で深く吐き出す。そういった ルーティンで10~15分程度の区間を歩く。あらゆることに懺悔した後は、あらゆることに 感謝をする。その後座禅を組んで、自分の置かれている状況について思いを巡らせる。このような流れで歩行禅は行われる。


このような状況は、歩き飲みでも近い状態を作れるのではないかと少し考えた。 風通しのいい外で行う深い深呼吸によってリラックス効果があるのであろう。それに加えてお酒で力を抜きながら歩く。
歩き疲れたらどこかのベンチに座って休憩して、黙って考え事もできる。 こういう時間を使って、「今日、アレ言い過ぎたかな...明日謝ろう」などの反省などで1日の自分を改められるのではないだろうか?

一人の歩き飲みで発言を反省するようなことは少なくともあった。

なんと言うか、より一部の五感が強まるように感じる。

外部の情報が純粋に洗い出されるような。


自分自身そのような状況になった際、行き詰まっていた課題制作の大きなヒントを得たことがある。

中間発表前日になにも浮かんでない状態で、泣きたい気持ちで浅草を三時間飲み歩いた。テーマが散歩であったからに、散歩を無理やり3時間したのであった。

それが幸して散歩自体の面白みに純粋に向き合うことができて、その中でヒントを得られて無事、翌日の発表でやや良い反応をもらうことができた、ということがある。

雑念を取り除く禅の過程にお酒を入れたらそもそも禅なのか?という疑問はありはするが。



それと、歩く際足元から脳に伝わる1Gの衝撃 でボケ防止にもなるのとか。

確かに私の親戚で足腰のしっかりしてるご老人はみんな応答がはっきりしていたかも。

『足は全身を司る』といわれるほどに足つぼなんてものもあるし、足先に刺激を与えることはいいことだろう。


わたしが歳をとって痴呆症か肝臓の病気どちらを先に食らうかと言われると...なにも言えないが。

きっと自分の結末は「歩き飲みによって肝臓だけ極端に悪いけど足腰の元気なおじいさん」だろう。

火葬された時、足の骨はきれいに残っている自信がある。



【歩き飲み歩行禅の実践】女々しい自分を断ち切りたいなら


2020年の7月9日、好きなアイドルが卒業発表。

とても受け止めきれないし、どうにでもなれ感じた。

でも事実に向き合わず現実逃避することはその人に対して失礼だなと感じた。

なのでその気持ちに向き合いたく、自宅から最寄り駅まで12分歩いてそこからかなり”長めの”歩き飲みを始めることを決めた。


推しメンに対して自分が抱いている感情をすべて掘り起こし、それに合う音楽を選びセットリストを組んで出発。

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そう、これが意外といい。

悲しみという感情に向き合う手段の一つとしてふさわしい音楽を集めてプレイリストをつくる。 これが完成してようやく家を出発することに。

まず家から駅に向かうまでに氷結ストロングのりんご350mlを一本。

この通り、悲壮にあふれている手をしている。

私は好きなアイドルのワンマンライブ前とか、気合入れるときはいつもりんご味なんですね。なんか初めてのワンマンの日にたまたまそれを買ってて、その日に飲んだお酒をよく覚えていてそれが偶然ルーティンになったというか。

この日も私は「卒業をしっかり悲しむぞ」という意気込みで気合を入れてルーティン通り氷結ストロングりんごを買う。

またこれがワンマンライブや遠征ライブやら、推しメンと共に熱くなったたくさんの日々を想起させるんですね。

これはもしや音に色を感じたり味に色を感じたり、共感覚の仲間なのかな?味からTPOを思い出すので、感覚というとまた違うんだが。

結局、1時間半くらい歩き飲みを実行。

星野源の歌詞に泣けたり、どれだけ大切な存在であったかを知るなど。


女々しい自分は昨日の路上に置いてきて、歩きながら想いにふけることに集中した。画面もあまり見ない。


悲しかったけど、一週間後のイベントでちゃんと目を見て礼を言って、会場で姿を見送れたと思っている。


おそらく、これが歩き飲み歩行禅の実行。

対象にもよるが浄化するような性質は確かにあり。



余韻に浸りながら、ゆっくり現実に戻れる時間を

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去年の夏、桜木町で芝居を見た帰りの話。

初めて芝居というものに触れた日でとても興奮が冷めない帰り道で、

「これが芝居かなるほどなるほど」と感じながら歩いていた。


お目当てであった知人の初めての女優の姿を見て心打たれたり、

面白い舞台の形してたねとか、

舞台道具のコストはグッと抑えててもこれだけ伝わるんだなとか。

とても頭にものごとが入ってくる日だったように感じる。


知人に感動を伝え一緒に写真撮影をして胸いっぱいの私は会場を後にする。ぎりぎり小汗をかかないかくらいのそんなに暑くはない日だった。


会場を出て左、紅葉坂をぐーっと下って右に行くと桜木町駅につくという真っ直ぐで分かりやすい道を歩いたのだが、


いかん、もう着いてしまった。


10分かからずに駅に着いてしまうんだなあ。アクセスが良すぎるのも問題だ。


夜の9時手前でちょうど帰宅ラッシュは過ぎた時間だったけど、電車に素直に乗ると、現実に一気に引き戻されるようでとても乱暴。

湯船に飛び込んだらまさかの水風呂で心臓に悪い!みたいな、そんな乱暴さ。


人はとても繊細で、夢から覚めてぼんやり余韻に浸ってたはずが、ほんの小さなことでも現実に引き戻されてしまう。

定刻通りに来る電車、電光掲示板の時計、臭くて汚いトイレ、疲れ切ってぐでっとするスーツの男性から仕事などを思い出して「ああ…」となったり。

社会では分単位で物事が進んでいるんだなあ、またそこに戻るんだ…

電車内の光は適切だけど、さっきまで公演中の照明が真っ暗だった私には眩しくて…

電車内だとそういう要素が多すぎる。


だいいち、今日の情報を10分ちょっとでまとめ切れるはずがなくて……


そういうことを考えていたら、気づくと自分のつま先は駅と真反対を向いており、歩き始めてしまった。


ちょっくら1本開けてほっつき回ってみようか。となり、

5分ほど歩いて、ナチュラルローソンでバドワイザービールを買う。

ビールは歩き飲みするときはなんとなく特別な日にしか飲まなくて、その日はそんな日。

家とは逆方向の元町中華街へずんずんと向かい、おそらく1時間近く歩いた。


JRの路線沿いに歩くのと、みなとみらい線沿いに歩くのとではだいぶ雰囲気が変わる。みなとみらい線の方で静かに歩くのがゆっくりと余韻に浸れてよかった感じ。



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中華街はやや賑わってたので、そこも通った。

これはまさにその時の写真で、華金はまだ人が多くて、静かな場ばかりではなくて飽きなかった。

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1年前のことなので自信がないが、記憶ではツィンタオビールも追加で飲んでウキウキの横浜気分。



1時間近く歩き回って、石川町駅を最終地点に電車に乗った。


駅も数駅わざわざ遠くに行って、なんなら1時間余計に遅く帰る。

もう慣れちゃったのでそこまで無意味だと思わないが、いかに無駄を楽しむかという、よく考えてみると時間をふんだんに使った、かなり贅沢な遊びなのだと少し感じる。



悪いことをする自分

飲み歩きはここがいいぞ楽しいぞ、というテーマで押し進めてきたが、逆の視座で考えてみる。

「ちょっと悪いことしちゃおう!」と自分を試す、そんな形で始めてみてもいいかもしれない。

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まじめに暮らす自分は日頃のストレスを発散したいが、発散する時間や場所がない。そういう時に歩き飲みをしてみようということ。


そういえばテレビ東京『昼のセント酒』というドラマがやっていて、

業績が万年最下位な営業マン・内海が飛び込み営業の仕事中なのに、ついつい誘惑に駆られて今日も銭湯に浸かり、ビールを一杯やってしまう…しっかりと事務所にノーリターンの連絡を入れて…

というドラマで、

主人公は営業成績が悪いくせに仕事中にたるんだことをするあたりが視聴者に共感を得られずあまり流行らなかったという社会の現実があったが、これも副教材としてみてみると、「昼の飲酒の背徳感」がわかる。

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休みの日のお昼から、缶ビールをコンビニで買って道中で思い切り開けるのだ。どうだ悪いだろう。

平日休みだと、さらに悪いことしてる感が高まっていい。

「昼から飲んでしまって、今も働いている人に申し訳ない!」

『昼のセント酒』の内海も言っていた。


ここでやるのは、「悪いことしちゃうぞ」という意気込みで飲んでしまうこと。

本人の宣言があくまで重要。


『ジキルとハイド』じゃないんだけど、

ちょっと多重人格の悪い方が出ちゃったかも!そいつが飲酒しちゃったんだ、すまん!

みたいな感じ。


それで少し気分が良くなって、毒吐き終了。

どうだろうか。



Waaaaay!!!を使った歩き飲み


Waaaaay!!!という地図アプリがある。

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これはここ数年で姿を現したひとつのナビアプリで、

従来のように「ここで右折、ここから○○m直進」という的確な指示は出さず、目的地の方角とそこまでの直線距離だけを表示するだけという、方向音痴による方向音痴のための地図アプリである。

自分は方向音痴では無いので方向音痴として体験することができないのは残念な話だが、

多くの方向音痴さんが感動しているのはレビューで見て取れる。とにかく革命的らしい。


これを使って歩き飲みをしたら、

歩き飲み本来の面白みであった冒険心・スリルが高まって、普段通るような慣れた道でも未知の領域を探索できるのではないか?と考えている。


自分の最寄りから家までは13分ほどかかる。住宅の多い街なので、知らない(というかわざわざ通るまでもないほどに興味がない)地域が多かった。だからこそ大きな車道沿いの道を通る習慣が身についていたし、裏道を通る気すらなかった。

しかしこのアプリは、裏道を通る確率も高く、どこで曲がるかも自分の気分次第というかなり気まぐれなアプリゆえに、自分は知らない道を知ることができた。 「この家かわいい!」と思うような一軒家を見つけたり、「ここでこの 道に出るんだな」など、地元を深く知るきっかけになった。
父の単身赴任で4年の空白はあるものの、今住んでいる相模原に2歳から住んで今年で 20年経とうとしている。そんな深い仲である相模原にもいまだに知らない道があったという。


もちろんこれを実行するにあたって地元である必要もない。自分が知り尽くしたと思っている地域も、未だ知らぬ顔があるかもしれない。そこをお酒の力を借りて気まぐれに歩いてみてはどうだろうか。



最近は友達の家で飲んだあと、Waaaaay!!!は使わないけど家の方角だけを目指して歩き飲んでたら徒歩15分の帰り道に2時間かかった。

どこいってるんや。




到着駅-(マイナス)1駅のところで降りてみよう


たくさんの路線が乗り合わせてたり、特急が確実に止まる駅、

いわゆる「キーステーション」って、普通に生きていれば位置とか、電車での行き方をそれとなく覚えますよね。

新宿、渋谷、池袋、横浜、東京…ここは1軍として。

その次が品川、、上野、秋葉原、蒲田、川崎、町田、八王子、みたいな。私のニュアンスですが。


突然ですが、神泉駅ってどこかわかりますか?路線ナビなしで今から行けますか?


神泉駅は渋谷駅の西側にあります。京王井の頭線で渋谷から1駅で行けます。渋谷から歩いても15分以内でいけるはず。



じゃあ稲荷町駅は?上野駅の東。銀座線が通っています。

反町駅は横浜駅の北で、いい銭湯があって…とかも皆さんは知るまい。


よく乗り換えたり降りたりするキーステーションや有名スポットの隣って降りる機会は隣と比べて極端に少ないので、何という駅かすらも知らないことが割とあったり。

地元とか職場に近かったり、ピンポイントでいく用事がないかぎり、あまり位置関係に詳しくなれないです。

私は学生であるかたわら、アルバイトで現場仕事をしていて様々な場所が職場になるので土地に強くはありましたが。


しかしその”なんともない余程の用事じゃない限り行かない”を探索するのが一番楽しくて。

目標駅より1駅手前で降りることで、二つの駅と駅に大きなつながりができる。

これの継続で、地図を見るのが以前よりとても楽しくなります。


「ああ、ここ(この駅)、降りたよ。コレコレコレがあってさ」

って語れるのはツウっぽくて私はかっこいいと思うんですが。


建設系の現場職の人は、自分が建設に携わったビルを差して、

「俺、アレ ”やったよ” 」って誇らしげに言います。

伝わるかわからないけど、そんな感じ。


「もうあそこは俺の庭だから。」みたいなものです。



ちゃんと迷わないようにナビをつけて、自分は今どこへ北上しているんだ、南下しているんだということを理解しながら歩く。それによってようやく駅と駅がつながる。


路線図だって見やすく直線状にしてるもので本当の距離感はでたらめですし、自分の足で区間の距離感をつかむことこそ、面白いと思っています。

ぜひ、そんな感覚でやってみたらいいと思っています。。


そういえば私は手帳の路線図のページに、自分の足で歩いたことのある駅を全部チェックをつけています。自分のツバつけた道が埋まっていくようなたのしみ。




ゴミの廃棄について


まず路上へのポイ捨ては普通にありえないとして、

『家庭ゴミお断り』とあるコンビニのゴミ箱の尺度がわからず困った。

どうやら、「家庭ゴミでないもの」とは店を出てすぐに出たごみのことだそう。そのコンビニで買っても家に持ち帰って食べ終えて、捨てに行ったらもう家庭ゴミ。
いやいやその店で発生して、すぐ捨てられるゴミとはいかに…。500mlのジュースを一気飲みしてその場に捨てるっていうシーンも想像つかずだしイマイチさっぱりしない。そもそもあのサイズ感だったらサイズ感に甘えて他コンビニのゴミ捨てちゃうよね。

個人店舗ならまだしも、チェーン店のコンビニであれば同じチェーン店で出たゴミくらい許してもらえないものかと感じる。「ライバル会社のゴミをなんで私たちが処分しないといかんのだ」はきもちわかる。

でもコンビニ経営の構造上オーナーがゴミ代出してたりして。


ただ、「ちょっとならいいですよ」的なお店も多いみたいであまり言われることがないので、

みんなが「ちょっとならいいよ」と言ってると信じて、コンビニで出たゴミはどこかしらコンビニで捨てる。

申し訳程度にローソンのゴミはローソン、ファミマのゴミはファミマで捨てることを心がけたり、割とよく使うご贔屓のコンビニで捨てて「俺の顔に免じてゆるして頂戴」と罪滅ぼしかわからない罪滅ぼしをしている。


ただきっとまじめに守る人も比率的にはきっと少ないのだろう。

あらゆる外のゴミ箱はだいたい同じ形だから公衆衛生として国が用意したものみたいなツラをしてるし、あまり領土という領土が分かれて見えないのでどこで捨てても関係ないと思っちゃうけどな。


「ローソン全店舗のゴミだけ捨てていいですよ」的な表記だけでもありがたいし、何が良くて何がダメなのかをしっかり明示しているラベルづくりとか、その辺の線引きをはっきりしてくれるとありがたいなと感じる。

自販機横の腰高のゴミ箱はゴミ箱じゃなくて「自販機専用リサイクルボックス」であり、飲料容器は投棄できるらしい。ただこれ、中身洗うの?中身も乾燥させるの?はっきり明記してくれと。


ゴミの基本的なムーブについて少し考える。

あるところで飲食物が購入され、中身が消費される。

中身がいずれ無くなって少しずれたところで完全なゴミとなって、また少しずれた場所で投棄され得るものだから、

ゴミを同じ場所で捨てろというのは本来の流れ的にどうなの…?と感じる部分はたびたびある。


解決し得ないところだ。



あえてこの手段を楽しんでいるということ 『これは良いから良いんです』


いくつか話をしてみたが、自分は歩き飲みというこの手段を”自ら好き好んで”選択しているということを知っていて欲しいと感じる。


「家で飲めばいいじゃん」「家で飲めよ」と酸っぱくいわれるこの行為だが、歩き飲みのコラムを書いていくうちにコミュニケーションの違い、自由さ、リラックス効果、様々な面白みを再認識できた。


それらの分析をオープンにすることで、

日頃一辺倒に印象を抱いているものも、決して一辺倒なものではなかったということも伝えたかったのですが…。



収入の高低、育ちの良し悪し以前の話で、

この世の物事はそういった身分の高い低いで全て棲み分けられるほど、単純なものではないと感じます。


お金には不自由していない人も記憶を遡ってみれば、過去にうまい・楽しいと感じたものが全て金のかかるものだとは限らないでしょう。


マックはうまいし、ブタメンは時々食べたい。

さくら大根は主食にしたいしポリバルーンで遊びたい。


きっと、良いものは良いから良い。


快い体験は、全てがすべて高尚な場所で行われないということで、

この歩き飲みも低俗だけど、でも楽しいからやるんです。


ある程度の倫理観は持った上で、変に合理性だけでものごとを否認しないほうがいい気が。


別に歩き飲みはしなくても良いんだけど、

なんかそういう低俗さも味わってこそ、暮らしに深みができて楽しいと思いました。



その人の感度次第で、各々の見える歩き飲みは違うという点


歩き飲みは、

温度や湿度、人の発する賑やかな音、風の匂い、ほろよいの目に滲んで入ってくる街灯の光、足で感じとるアスファルトの硬さや土の柔らかさ、衣服を突き抜ける冬の風の凍てつく感じ、キンキンに冷えた缶を持つキンキンに冷えた片手、店の話、すれ違う人の格好の話、車の話…

本当に本当にたくさんの万物に向き合える面白いレクリエーションです。

一つのものをみるだけでも
自分だから気付かない、彼だから気付く、彼女にだけわかる
そのような多様性に包まれています。

きっと友人を歩き飲みに誘ったら少し違う画角で景色が見えているんだろうなと思います。


マックでバイトする彼と歩くとマックの前を通ると新メニューの話するし、

ドラえもん好きな彼と歩くとハイブランドな服屋のショーケースの前で「通り抜けフープで全部持ち帰りたいよね」とか、

僅かながら口から出てくる言葉が変わります。


これまでの記述は、歩き飲みの面白みを「酒飲み」で「街ブラ好き」の20代男子大学生の私が感じたことを話しただけであって、

登山家が歩き飲み考現学を書いてもまた違う言葉が出るでしょう。
下戸の女性が歩き飲み考現学を書いてもまた違うでしょう。

神羅万象のどんな面白い部分をいかに切り取り対話をしたのかが人によって異なる

ということが、歩き飲みの大変未知数で面白いものだとおもいます。


私は歩き飲み研究の第一人者になる勢いでこのコラムを書きましたが、これは教科書ではなく実は事例なのだと感じて、改めて見ていただきたいと思います。





おわりに

歩き飲みはとても深い味わいのある楽しみであるということは少しは伝わっただろうか?

店での会食と比べると、コミュニケーションの密度や自由度に大きな違いが出ていることがわかったり、

街散策に関してどのような探究心をもって私が歩き飲みに取り組んでいるかが伝わっただろうか。


もちろん公共の歩道を歩くことで行われるものなので、

道を拡がって歩くことや、空き缶を道に捨てるなど他人の歩行のさまたげになることは当然ありえないことだが、日頃守るべきルールなので難しいことはない。

ただししっかり酒の席で自制のできないひとに、おすすめはできない。


そしてそもそもお酒を交わすことを中心にお話は進めているが、

「歩き飲み」の『飲み』という言葉自体はお酒だけを含む言葉ではないし、弱い人はわざわざお酒を飲みながら歩く必要もないのかもしれない。
なので、そんな人にとっても「こういう深みがあるんだな」程度に部分的に楽しみが伝わってくれていると嬉しいなと思う。


だからぜひ、最低限のルールは遵守して、地元でもどこでもやりやすい場所でおこなってみて欲しい。


そしてここから興味を持って歩き飲みをしてみた人がもしいるなら、
やってみて感じたことの意見交換会をしたりしてみたいですね。


コメントで書いていただくとか、それでもいいですし記事を書いていただいたら喜んで見に行きます。

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