【小説】西日の中でワルツを踊れ27 俺より悪い奴が居て、俺より可哀相な奴がいる最高の世界。
――アイツを父親だと思っていた時期はあった。周りがそう言うから、片岡潤之助は俺の親父だった。けど、高校の時、アイツを訪ねた三日間で、俺は自分の勘違いに気づいた。
――父親だと思っていた人間に与えられたものは女と金。それだけだった。片岡潤之助を訪ねて行った俺は、アイツが取ったホテルに一人残された。そして、夜になると部屋の扉を女が叩いた。
――びっくりだよな。息子だろうと何だろうと、女とセックスをさせりゃあ、満足して帰るだろうと思っていた人間を、俺は父親だと思っていたんだから。片岡潤之助と別れる時、アイツは俺に金の入った封筒を差し出した。
――これじゃあ、俺は女と金欲しさに父親を訪ねに行っていたみてぇじゃねぇか。俺は言ったよ。「あんたがあてがった女は部屋に入れなかったし、金も受け取るつもりはない」
――片岡潤之助は軽蔑した目で「お前は甘い。ただ弱く、愚かだ」と言った。「いい人とはどうでもいい人のことを言い、お前はどうでもいい奴だ」とも。
――まるで呪いだった。
――他人にいい人だと思われようとすることは、どうでもいい奴だと思われることだ、と。なら、どうすれば良い?
――俺は甘く、弱く、愚かだとして。
――なら、俺はどうすれば良い?
――はっ。今なら分かるぜ。片岡潤之助ならきっと、こー言うんだろうよ。「他人に答えを求めている時点で、お前はダメなんだ」と。
――だから、俺は親父があてがった女を抱いて、金を貰って帰れば良かった、と?
――ふざけんな。
――そんな時だった。紗雪が俺を訪ねてきたのは。俺は自分に都合の悪いことは全部なかったことにして、片岡潤之助を悪にして、悲劇ぶって紗雪を抱いた。
――紗雪を可哀相な奴にして、勝手な優越感にさえ俺は浸った。
――最高だった。俺より悪い奴が居て、俺より可哀相な奴がいる世界。俺は悪くなくて、俺は誰かより優秀な世界。
――でも、そんな世界はあっけなく崩れ去った。きっかけは、片岡潤之助だった。
――紗雪には特別な力があった。それは、彼女が望んで得たものではなかった。でも、それがあるから片岡潤之助に認められ、誰かより価値のある人間だとされていた。
――全身の血液が燃えるほどの怒りと嫉妬が俺を埋め尽くした。俺が欲しいものを、紗雪は何の苦労もなく手に入れていた。
――紗雪が片岡潤之助と行ってしまった次の日に、彼女が俺を訪ねてきて事情の説明をしてくれた。俺を騙そうとしていた訳じゃない、と何度も言ってくれた。
――でも、俺には無理だった。俺の自意識が、それを許さなかった。紗雪から離れて、でも、まだどこかで自分は凄いヤツなんだと、いつか俺を馬鹿にした奴ら全員を見返すのだと考えていた。
――本当に幼稚で醜い自意識だ。けど、当時の俺は大真面目にそう思っていた。
――そんな俺の変化のきっかけは家のリフォーム、西野ナツキとの出会いだった。
――リフォームってすごいよな? 元の基盤は何も変わっていないはずの空間が、彼らの手によって、まったく別のモノになっちまうんだから。
――俺は俺のままだけど、リフォームみたいに中にあるものを変えるだけで、別の人間になれるんじゃないかと思った。
――実際、部屋が変わるだけで、俺の中にあるものが確実に変わったように感じたんだ。気のせいかも知れないけどな。
――だから、西野ナツキのところで仕事がしたいって思った。そうとしか思えないほど、当時の俺は切羽詰まっていた。
――西野ナツキは俺を快く雇ってくれた。ウェストフォームの社員も俺を本当に優しく迎えてくれた。俺は皆が大好きだったし、彼らの力になりたいと真剣に思っていた。
――その中でも、俺が夢中になったのは西野ナツキのデザイン力だった。彼の指示で色や物の位置を変えるだけで、その世界は一変した。その力は西野ナツキにしかないものだった。
――俺は西野ナツキを尊敬し、彼の為に働きたいと思った。
――そんな日々は以前の俺とは明らかに違っていた。世界の角度が変わっただけで、俺の中にある色んなものが上手く行くと、本気で思ったよ。
――だけど、そんな日々も長くは続かなかった。
川田元幸が煙草を咥え、ライターで火を点けた。やや俯いたまま彼は続ける。
――田宮由紀夫が西野ナツキを脅していると、俺は知った。それが日常の崩壊の一端だった。今考えれば、俺が知らないところで、すでに事は起きていた。
――どんな弱みを握られているのか、西野ナツキは教えてくれなかった。けど、脅されていることは確かだった。俺は彼が抱える問題をどうにかしたかった。過去の俺の中にあった行き詰まりを解消してくれた西野ナツキへの恩返しがしたかった。
――駄々をこねる子供みたいなもんだよな。俺がすごいと思った人は、間違いを犯さず、何も屈しないでほしいと本気で思っていたんだからな。
――それは俺が父親に対して抱きたかった幻想で、それを西野ナツキに押し付けていることに、多分俺は気づいていた。
――でも、気づいて無視した。
川田元幸が煙草を指で挟み、灰を地面に落とすと空間が一変した。
薄暗いバーのカウンターに田宮由紀夫と過去の川田元幸が隣り合って座り楽しげに酒を飲んでいた。
流石、心象世界。
指先一つで、世界が変わる。
――俺は田宮由紀夫に近付いた。仲間になるのは簡単だった。奴がいつも使っているバーで兄弟杯とか言って、酒を飲むだけで良かったんだから。
――話を聞けば、田宮由紀夫は調子よくベラベラ喋ってくれた。西野ナツキの殺人の事実。だとしても、田宮由紀夫が一人で、その事実を掴んでいるとは思えなかった。
――田宮由紀夫を好きに操っている人間がいる。俺はその人物を探した。それがヤガ・チャンだった。彼が西野ナツキのネタを掴んでいる。なら、ヤガ・チャンであれば、事件そのものを握りつぶしてくれるかも知れない。
――西野ナツキの殺人の証拠がなくなれば、俺の居心地の良い世界は守られる。何より、俺がすごいと思った西野ナツキを守れる、本気でそう思った。
――その後、川島疾風と田宮由紀夫の事故が起こり、それを利用してヤガ・チャンを引きずり出す為に、中谷優子の拉致を提案した。その辺は、お前の知るところだろうな。
――どうして俺が中谷優子を拉致るって提案したか?
――簡単だよ。他人だからだ。俺にとって西野ナツキの為なら誰が不幸になろうと構わなかった。どんな女が犯されようと、どんな男が怒り狂おうと関係がなかった。
――西野ナツキが作り出す空間デザインは彼にしか構成できない。唯一無二のもので、それを残す為なら、俺はどんな犠牲だって払うつもりでいた。
――だが、俺の計画は川島疾風が中谷優子の拉致に気づき、田宮由紀夫の車を追ったことによって破綻した。俺はそれでも、チャンが引っぱり出せる状況になるのなら、と追い駆けっこしている奴らを、一人追った。
世界が更に変化した。
夜の峠。左には崖があり、右にはガードレールが並び、その一部が破損していた。
丁度、車一台が突っ込んだくらいの幅だった。
つづく
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