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日記 2021年3月 「この先どうなるのか誰にも明言できない無味無臭の不安」の中で目に映るものを見る。

 3月某日

 自宅の本棚でふと、手に取ったのが山田詠美の「メイク・ミー・シック」だった。

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 その中で、イメージの欠如から来る嫌がらせや、バカにしてくる男性は「自分が、どんなに恥ずかしいことをしているかに気付かない」とある。
 どんなに恥ずかしいことをしているかに気付かないからこそ、軽口で他人を嫌がらせしたり、バカにできているって言うのはあって、そういうことをする男性って、嫌がらせやバカにした対象に聞かせる、というよりは仲間内で、ネタにしようとしている節がある。

 そして、そういう空気でネタにして笑う男性特有のホモソーシャルっぽい連帯が、僕は昔から好きじゃなかった。
 ちなみに、山田詠美のエッセイには「私が言いたいのは、自分のセルフイメージに美意識を持ちなさいってこと。何が格好良くて、何が格好悪いのかを、相対的ではなく絶対的な価値観で見極めなさいってことなのだ。」と書いてあって、難しい!となる。

 文庫本の後ろを確認すると、「メイク・ミー・シック」が刊行されたのは一九九一年四月だった。
 僕は生後二ヶ月くらいの頃のエッセイを読んで「自分のセルフイメージに美意識を持」とう!とかって、考えているのは不思議な気持ちになる。

 とはいえ、それが本の面白いところでもある気がする。

 3月某日

 倉木さとしの「顔のない獣 その② とどのつまりを知っている」をそろそろ完結させる為に本腰を入れるって言う連絡をいただく。

 カクヨム内で連載している倉木さとし作品の「あとがきにかえて」と「解説」を著者ではない僕が担当しているので、用意しておこうと思って内容を考える。
 その中で、僕の趣味みたいなもので、倉木さんや小説の学校に通っていた頃の同期などの人が「こういう作品を書いたら面白いなぁ」と時々想像する。

 最近は、noteやカクヨムで交流や一方的に作品を読んでいる方たちに対しても、そういう想像をするようになった。
 ただ、それを伝えるのはお節介というか、普通に迷惑だよなぁと思う。

 なんにしても、倉木さんの「あとがきにかえて」。「顔のない獣 その①」の時が「キャラクター小説(ラノベ)の主題について」だったので、今回は「現代のYA小説について」みたいな内容になりそうだ。
 ちなみにYA小説の定義は「十三歳から十九歳の世代の人たちで『若いおとな』という意味」。

 子供ではなくて、『若いおとな』って表現するのが個人的に好き。

 3月某日

 彩瀬まるの「暗い夜、星を数えて―3.11被災鉄道からの脱出―」を今、読んでいる。

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 副題から分かる通り、東日本大震災に関するルポタージュで、一年を通して三月くらいは3.11についてちゃんと向き合おうと思う。

 前回の多和田葉子「献灯使」も文庫本のあらすじに「震災後文学の頂点」という文字があった。
 ちなみに、「戦後最高の文学的達成」と言われているのが、安岡章太郎の「海辺の光景」で、「献灯使」を読む間、頭の中に二つを比べるような気持ちがあった。

海辺の光景」と「献灯使」はまったく異なったテイストなのだけれど、ただ海は常に「」を含んでいるんだな、とは思う。

暗い夜、星を数えて」の中で印象に残ったのは、震災後の福島でボランティアとして参加し、ある家の家屋の掃除しているシーンだった。
 そこで、彩瀬まるは「家というのは記憶の蓄積なのだ」と実感する。

 そう実感した後に、以下のようなシーンが描かれる。

 汚水を吸って黒くなった、びっしりと文字が書き込まれた介護ノートを神妙な心もちで燃えるゴミの袋に捨てる。なにもかも捨てた。クリーニングから返ってきたばかりのビニールのかかった布団も、麻の背広も、台所の保温ポットも、何膳もあった漆塗りの箸も、扇風機も、和紙に包まれた美しい着物も、封の切られていない足袋も、ふっくらとした上等の座布団も、介護用のベッドも、薬箱も、買い置きしてあった食材も、なにもかも。

 彩瀬まるの表現力は本当に凄まじくて、ただただ上手い。
 彼女が書く通り「家というのは記憶の蓄積」で、それが無造作にゴミ袋へと捨てられて行くのは、ちょっと見てられないくらい哀しい。

 3.11について考えると、底のない哀しみに殆ど絶望的な気持ちになる。そして、言葉を失う。

 3月某日

 最近、気づいたこと。
ジャンプの漫画学校講義録⑥ 作家編 松井優征先生「防御力をつければ勝率も上がる」なるものを読む。


 僕にとって松井優征と言えば「暗殺教室」で、最終巻とその一巻前を読んでいる時はずっと泣いていた記憶がある。
 この「ジャンプの漫画学校講義録⑥」の中で、漫画の構図について言及していて、これが物凄く分かり易い。
 また、読者に対する誠意や気遣いとは何か、という点が「おっしゃる通りです!」と頷く他ない内容になっている。

 最近、気づいたこと。
憂国のモリアーティ」というアニメを見る。

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 シャーロック・ホームズの宿敵、モリアーティ教授を主役に据えた物語で、こういうアプローチの仕方があったのか、と思う。
 アーサー・コナン・ドイルの「シャーロック・ホームズ」を僕は読んでいないから、楽しめるかな? と最初は心配していたけれど、全然楽しめた。
 逆にシャーロック・ホームズを知っている人からすれば、イメージが崩れると言われるのかも知れないな、と後半のホームズ登場のあたりで思った。

 最近、気づいたこと。
 戯曲デジタルアーカイブから、面白かったものを一つ。
村田さん

 クリスマスイブ。東京郊外の住宅地。会社の窓際社員だった村田さんの通夜の受付。弔問客があまりに少なく総務課の社員たちも戸惑っている。長男は親父の人望がなかったからですね、と嘆く。そこへ妙齢の美しき弔問客が訪れる。村田さんの愛人か・・まさか・・。人生の豊かさってなんだろう?市井のドラマを笑いとペーソスたっぷりに描いた短篇戯曲。

 本当に文字通りの「愛する人という意味」の愛人の話で、こういう関係性も、あるのか、いや、あるよなと思う。

 最近、気づいたこと。
僕のヒーローアカデミア」のTVアニメ第5期が3月27日から放送開始される、ということで僕の中でふつふつとテンションが上がっている。
 個人的に最初の方は普通の少年漫画だったのだけれど、「平和の象徴オールマイト」が引退した辺りから面白くなった。

 は、台詞付きで何となく流れが分かるオススメのMAD。

 最近、気づいたこと。
 youtube繋がりで現在、評論家の佐々木敦がはじめて書いた小説「半睡」が女優の高山玲子によって朗読されている動画がアップされている。
 耳で文学作品を聞く、という体験がはじめてで新鮮で楽しい。
 他の小説も朗読で聞くことで印象が変わってきそうだと思う。

 3月某日

 職場の後輩の女の子が、とあるゲームにハマっていて、もう四年近くそのゲームにハマっているのだと言っていた。
「例えば、そのゲームで集めたキャラクターを彼氏に捨てられたら、どうする?」
 という話題になったところ、「家出します。私の財産ですから」とのことだった。

 財産!
 え、なになに? そのゲームがもし何十年って続いたとして(そして、多分続く)、財産分与ってなったら、子供とかにそのアカウントを分配するのかな?

 と思ったけど、同期の女の子が話を拾ったので、僕は変に口は挟まなかった。

 そんな話題から、ふと思い出したのが、イスラエル人のエトガル・ケレットが何かの雑誌で、トランプが大統領になった際に発表した掌編だった。

 その掌編は、ポケモンGOのような位置情報アプリで貴重なモンスターが戦地に行くとゲットできる、ということから若者が兵士として戦争に参加する話で、主人公は恋人に手紙で貴重なモンスターをゲットしたが、命を上官に救われたから、貴重なモンスターは上官に渡したいんだ、と手紙で伝えている、というもの。

 2020年アメリカ合衆国大統領選挙の際に、目に見えない陰謀論が火山から噴火したかのごとく蔓延して、トランプが大統領を務めた2016年から2020年の間で、こんなにも目に見えないものに振り回される世界になったんだ、と思った。

 エトガル・ケレットが書いたような戦争参加ってことも、この先では起こり得るのかも知れないなぁ、と暗澹たる気持ちになる。

 それから職場の三人で依存しているものってなに? という話になり、後輩の女の子が「ゲーム」で、僕が「本、あるいは酒」で、同期の女の子が「ギャンブル」だった。

 見事なキャラ分けがなされているなぁ。


サポートいただけたら、夢かな?と思うくらい嬉しいです。