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伝染する暴力を前にして、自分に同情せず冷静でいる方法について。

 舞城王太郎の短篇に「スクールアタック・シンドローム」というのがある。そこに、

 暴力は伝染する。それを伝えるのはムードやトーン、つまり空気の色や湿度と風の調子だ。でももう一つ暴力を伝達する方法がある。それは一発殴られたら一発殴り返す復讐の原理が人間性に歪められるがゆえの拡散だ。人間が人間らしくある以上、AがBを殴ったってBがAに殴り返すとは限らず、Cを殴ったり、あるいはAとCを殴ったり、あるいはAを殴り過ぎたり、さらにはAとCを殴り過ぎたりする。恐れと怒りだ。

 という一文がある。
 僕が「スクールアタック・シンドローム」を読んだのは二十二、三歳の頃だった。「暴力は伝染する」なんとなく、感触として分かるような気がした。
 2022年の終わり、僕は「暴力」について深く考える出来事に出会った。とても単純に僕は暴力に遭った。

 顔と腕と脇腹に痣ができて、指と唇と鼻のつけねから血が出てコートを汚し、持っていたハンカチは後から見ると血だらけになっていた。歯を噛みしめ過ぎたせいか、顎を動かすと痛みがあった。
 翌日、病院へ行くと熱があって、窓口で発熱外来へ行けと言われた。殴られたり、足蹴にされまくると人は熱が出る。当たり前のことだけれど、その時にはまったく思い至らなかった。
 発熱外来は年末ということもあって混んでいた。仕方なく、僕は一人暮らしの部屋に帰って新年を迎えることになった。

 その際、薬局とおにぎりと水と解熱剤と湿布を買った。おにぎりを冷たいまま食べると、痛んだ顎でちゃんと噛むことができなかった。
 部屋に帰る頃には夕方になっていて、年の瀬のスーパーは売り尽くす気で食材の殆どを半額で売っていた。安くなっていた鴨と白菜を買って、鴨鍋にした。
 テレビを流していたが、内容は頭に入って来なかった。

 新年を一人で迎えても仕方がないので、鍋を食べたらそのまま眠ってしまった。起きたのは深夜の三時か四時頃だったと思う。
 その時、僕の中にあったのは寂しさでも虚しさでもなかった。

 人はいつか憎むものになる。

 誰の言葉かまったく覚えていないけれど、高校生の頃から知っていた一節だった。僕に暴力を振るった人を、僕は憎んでいないし、恨んでもいなかった。
 ただ、厄介なのは事実として暴力の後には僕が被害者で、暴力を振るった人が加害者になってしまうことだ。これは当人と言うよりは周囲の人間の方が過剰に、そのような振る舞いをしてしまうんだな、と言うことが今回のことで分かった。
 僕は可能であれば、他人と対等な関係性でいたい。他人に人間扱いされたいし、他人をちゃんと人間扱いしたい。
 けれど、暴力という行為は対等な関係性を容易く無にしてしまう。

 人は人に暴力を振るうべきじゃない。
 改めて、僕はそう思う。
 被害者と加害者に人を分けてしまうと、結論はとても単純なものになってしまう。単純な答えで良い場合も当然あるし、暴力の前ではまず単純な答えを出すだけで良いとも言える。

 単純な答えを出すだけなら、今こうして文章にする意味はない。少なくとも僕は、そんな文章は書きたくない。
 けれど、じゃあ僕は今回の暴力を前にして、何を書くべきなのだろうか? 
 2023年1月1日の昼過ぎに僕は大真面目に、そんなことを考えていた。
 結論として、舞城王太郎の「スクールアタック・シンドローム」から始めようと思った。
 暴力は伝染する。
 伝染してきた暴力が僕の中にある。
 とはいえ、「一発殴られたら一発殴り返す復讐の原理」は僕の中になく、「恐れと怒り」も暴力を振るわれている当事者だった瞬間はあったにせよ、二日も経てば霧散する。
 あるのは、痛みと被害者意識だった。

 今回、暴力を振るわれて実感したことの一番にこの被害者意識がある。「ノルウェイの森」の永沢さんが「自分に同情するのは下劣な人間のやることだ」と言っていた。
 そこまで過剰ではないにしても、僕は理屈として自分に同情すべきじゃない、と思っている。ただ、暴力はその瞬間の体験が僕にしかなく、また身体の傷という分かりやすい記号で周囲が過剰に心配してくれる。
 冷静に色んなことを決めているつもりでも、「恐れと怒り」をもとに何かをうっかり決めかけてしまう。正直、暴力に遭った当日に僕が決めてしまったことの七割が間違っていた。

 暴力の後に何かを冷静に決めることは難しい。
 ここで強調して起きたいのは、当事者の僕もだけど、周囲の人間も伝染した暴力による「ムードやトーン、つまり空気の色や湿度と風の調子」によって、間違った決断をしてしまう。
 暴力に遭った人間を前にすると、過剰に可哀相な人間に見えてしまうのも、その一因なんだろう。実際、熱を出して病院をたらい回しにあって、結局は薬局で買える薬とおにぎりに行き着いているのだから、可哀相と言われると否定しづらい。

 何にしても、暴力というものは本当に厄介だ。僕が暴力の当事者になって実感したことは、その瞬間に「恐れと怒り」が少しでも燻っている時はすべてを保留にしていくべきだった、ということだ。
 で、なければ後日に決めてしまったことの撤回のために、またアレコレと動かざるおえなくなる。

 正直、一月の後半まで僕が望んだ訳ではない決断を覆す為に使われ、同時に職場なんかに暴力に遭いましたと言いづらく、身体の節々が痛い中で働く羽目に陥り、顎の痛みが一切引かないので病院に行って痛み止めをもらったり(初診だったので中々の値段になった)、と散々な一年の始まりとなった。
 とはいえ、撤回の為に動けて良かったとも思う。一生、その決定を背負って生きていくのは、僕の本意ではなかった。

 この書き方では何が決まり、何を覆す為に動いたのか伝わらないと思う。けれど、これも厄介な部分で、詳細に書こうとすると、それはそれで迷惑を被ってしまう人が出てきてしまう可能性がある。
 人に迷惑をかけたり、あるいは、傷ついてしまう可能性がある以上は曖昧で、結局なにが書きたいのか分からないと言われても、こういう書き方をする他ない。
 暴力で傷ついて改めて思ったけれど、人は人を安易に傷つけるべきじゃない。とても当たり前なこととして。

 今回の文章について、繰り返し何度も考えてきて、一番簡単な解決は何も書かないことだったと思う。それが一番平和だし、正直なところ、こんな文章を読んで楽しい気持ちになる人は少ないから、誰も徳をしないのも分かっている。
 ただ、それでも書いたのは、文章として残しておかないと、僕の中に変な被害者意識みたいなものが残りそうだな、と思ったからだった。

 この文章によって僕は色んな部分において冷静になれているのかはよく分からない。本当は被害者意識なんて、文章にしておかなくても僕の中に残らないのかも知れない。

 未来から見れば、今回の文章は無意味だったと思う可能性もあるけれど、これが僕の三十一歳最後の文章になる。
 三十一歳を振り返りたい気持ちもあったけれど、1の次は2が来るように、まずはこの暴力について書いておきたかった。今回のことが書けたから、この先はもっと馬鹿馬鹿しい内容の話をいっぱい書いて行けると思う。

 三十二歳の僕は底抜けに楽しいことをいっぱい書ける人間でありたい。

サポートいただけたら、夢かな?と思うくらい嬉しいです。