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「みにくいアヒルの子」のみにくい僕を忘れない為の戦い。

 最近、ムック本の「恩田陸 白の劇場」を読んでいて、恩田陸が気になっています。
 電車の中などで、恩田陸の名前で検索してインタビューなどを読んでいると、BOOK SHORTSというサイトにて以下のような発言していたのを見かけました。

 ほとんど映画を観ていないけど、映画監督になりたいという人も多いようですね。いっとき、映像業界の方からそういうお話をよく聞きました。「監督になりたいのであって、映画を作りたいわけではない」という。小説の場合も同じで、「作家になりたいのであって、小説を書きたいわけではない」人がいるのかもしれません。でも、たくさん読んだり観たりしないと結局は長続きしないと思います。

 おっしゃる通りだな、と頷くと同時に身につまされる思いになります。僕は十代の終わりから小説を学ぶ学校に通っていたのですが、そこで過ごした二年間の間、僕は「作家」になりたいと思っていました。
 小説を書きたいというよりは、作家になりたかった。だからか、この二年間はそれほど小説を読んでいません。

 学校の先生の何人かは、読むことの大事さを授業などで語っていましたが、作品がなければ評価されないので、小説を書く必要がありました。
 当たり前ですが、小説を書いている時、小説を読むことはできません。

 また古川日出男が言っていたと記憶していますが、小説を書いている時に同世代の作家の小説を読むと影響を受けてしまうため、読まないとインタビューで答えていたのを覚えています。
 それと比べるのはおこがましいですが、僕も学校に通っていた頃に、伊坂幸太郎の「重力ピエロ」のはじまりが好きすぎて、冒頭を真似て書いた過去があります。
 学校の先生には「上手くやろうして、できていない」と言われました。

 小説を読むことが、その瞬間に小説を書くことに良い影響を与えるとは言えないのでしょう。
 そういえば、谷崎由依が「囚われの島」を出版した後のトークショーに参加したことがあります。そのトークショーの中で「囚われの島」を書いている最中は、同じテーマを扱っているアンソニー・ドーアの「すべての見えない光」は読めなかった、と語っていました。
囚われの島」を書き終えた後に「すべての見えない光」を読んで、素晴しかったとのことです。

 恩田陸は「たくさん読んだり観たりしないと結局は長続きしない」と言いますし、それは正しいのですが、今目の前にある作品を完成させるためには、「たくさん読んだり観たり」しない方が良い瞬間があるようです。
 とても単純に言えば、長期的な視点と短期的な視点の違いがあって、その二つのゴールはまったく異なります。

 恩田陸が言っているのは長期的な小説家の視点です。
 そして、僕はそういう言葉に刺激を受けるので、長期的な視点で小説を書きたいと思っているようです。もちろん、そうでない人が悪いとか、ダメと言っている訳ではなくて、単純に人それぞれゴールは違って然るべきです。

 では、僕はどういうゴールに向かっているのだろう?
 今回はそんなことについて書いてみたいと思います。

 僕は作家になりたい、というよりは死ぬまで小説を書いていたいと昔から思っていました。これは言い換えれば、僕はこの先も小説を書いているし、小説について考えている、そう実感することで過去と今と未来までを「小説」で繋ぎたかったのだと思います。

 僕が一番最初に、そう感じたのは小学生の低学年の頃でした。
 当時の僕は自分が変わって行くことを漠然と怖いと思っていて、「将来の夢」という作文に関しても考え中と書いたと記憶しています。
 将来の夢を何か書いて、いつか、その夢が叶った時、僕は「変わっていくことを怖い」と思っていた自分を忘れてしまうのだろう、と考えていました。
 そして、そうやって今の僕が無かったかのように振る舞っていくだろう未来の自分を裏切り者のように感じていました。

 我ながらややこしい考えに囚われているなと呆れるばかりです。人は変わって行くのは当然だし、過去の自分を無かったことにするのも当たり前です。あらゆることを、忘れて無かったことにしなければ、人は過去の自分に押し潰されてどこにも行けなくなってしまいます。

 けれど、当時の僕はどこにも行きたくなかったんだと思います。
 そんな頃、僕は「みにくいアヒルの子」というドラマの再放送を見ました。「みにくいアヒルの子」は1996年のドラマで、岸谷五朗が教師として、東京の小学校に赴任してくる、というものです。
 個人的に岸谷五朗の顔を見る度に僕は父親に似ているなぁ、と思っていて、今も改めて見ても似ている気がしています。当時、母にそれを言うと「え? 全然似てないよ」と返されました。
 うそー、ほんとに?

 僕の偏った感覚は良いとして、そんな「みにくいアヒルの子」は岸谷五朗が田舎(北海道)から東京へ来た感覚のズレた先生で、最初は生徒たちは鬱陶しく感じるけれど、その熱意や愛くるしさに気づいて、信頼して親しい関係を築いていく、というドラマなんですね。
 つまり、岸谷五朗は東京の小学校からすれば異物で、それ故に救い(ヒーロー)になり得る存在だった訳です。

 そんな岸谷五朗に影響を受けるのは生徒だけではなく、隣のクラスを担当している新任教師(河相我聞が演じてる)も回を重ねるごとに影響を受けて、岸谷五朗っぽい振る舞いを見ます。

 河相我聞は、岸谷五朗とは真逆の東京育ちで自分に自信のないキャラクターが割り振られています。
 僕が当時、引っかかっていたのは河相我聞が担任していたクラスにいた不登校の男の子で、彼は学校に行くと体調を崩してしまう為、学校に行けずにいました。
 そんな不登校の男の子が河相我聞に対して言う台詞が当時から印象に残っています。

僕は早くおじいちゃんになりたい。おじいちゃんになって、一日縁側で過ごすんだ

 うろ覚えですが、彼はそういうことを言っていました。
 確かに小学生の時って、やらなきゃいけないことが膨大にあって、そういう視点で見ると日々のんびり過ごしている(1996年)のおじいちゃんは憧れるのも頷ける存在です。

 そんな不登校だった彼も河相我聞のサポートがあって、ドラマ終盤では教室へ登校できるようになります。ラストの合唱祭のシーンはとても感動的です。
 おそらく、不登校だった彼はこれから色んなことができるようになっていくんでしょうし、それは素晴しいことです。

 けれど、じゃあ「早くおじいちゃんになりたい」って言ってた頃の彼は間違っていたのか、と当時の僕は首を傾げました。
 彼は切実に心から、おじいちゃんになって、一日なにもせず過ごしたいって思っていたのだとすれば、それは寂しいことかも知れないけれど、悪いことでは絶対になかった。

 そう結論づけてしまうのは、小学生の頃の僕自身が「早くおじいちゃんになりたい」に近い感覚を持っていたからなんでしょう。

 大人になった僕から見れば、その感覚は生きて行く上では何の役にも立たないし、捨てた方がずっと色んな物事が上手く行くのは、絶対にそうなんです。
 そして、当時の僕もそんなことは重々承知していたんです。

 それでも、僕は「早くおじいちゃんになりたい」と言っていた「みにくいアヒルの子」の不登校の男の子も、それに近い感覚を持っていた当時の僕も否定したくなかったんです。
 否定しないために、また、その感覚を覚えておくために僕は絵を描き始めて、物語に囚われて、今はこうして小説を書こうと試行錯誤しています。

 小説を、文字を書き続ければ、あの頃の僕をこうして存在させることができます。過去の僕に意味を持たせられます。
 これは小説を書き続けるから、できることだと信じています。

 と、書いて、これがゴールなのかな? と首を捻ってしまいました。分かりませんが、過去の自分に向けてだけ小説やエッセイが書ける訳でもありませんから、恩田陸が言う通り小説や映画を「たくさん読んだり観たり」して、納得のできる小説やエッセイを書いていきたいと思います。

サポートいただけたら、夢かな?と思うくらい嬉しいです。