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バイリンガルのアタマのナカ

気がつけば、一年近く放置していたnote。と言っても、他人の投稿は読み漁っていたんですよ、だから放置というより沈黙期間が300日強ってことで、まずは言い訳、いってみよー!(ドリフ調で)

本当はですね、書きたいことは山ほどあるんですよ。もうnoteのタイトルだけなら、エッセイ集3冊くらい出せそうなほど。でもですね、その山ほどあるネタひとつひとつ、これでもかーってほど深く掘り起こしたいものだから、なかなか書き出せない、もしくは書き出しても気にいるオチまで到着できないの繰り返しで書く気力を失っていたわけです。だって、せっかく書くのに、せっかく読んでもらえるのに、どうでもいいこと書くのってもったいなくないですか?書いた本人でさえ読み返したくもないようなものを書くなんて、時間も労力も報われない。ましてやそれを平気で人様に読ませるなんて、そんな罪なこと私にはできません。

もちろん、幸せな日々をここに日記代わりに記録してますぅ❤️とか、ただのひとりごとですがコメント大歓迎ですぅ❤️って綿あめみたいにふわ〜っとしたスタンスだったり、毎日書くことが自己肯定感アップの命綱みたいになってて、書かない日があろうもんなら、その命綱が切れてもう『蜘蛛の糸』のごとく地獄へ真っ逆さま!なんて強迫観念を持って書いていたり、はたまたnoteが真っ当な(もしくは怪しい)商売道具だったり、そんな方たちも大勢いらっしゃるとは思うんです。ですが、私には自分の日記を人に読ませるなんて露出癖はありませんし、書く書かないが生死に関わるようなことも全くもってありません。noteが商売道具というのはなきにしもあらずですが、いや、だからこそ!適当なことは書けません。私にとって書くという行為は、読んでくれた人が思わずクスッとしたり、ホェ〜と目を丸くしたり、怒ったり、呆れたり、とにかくなにかしら感じてほしいという願望からきています。読んでくれた人に微生物レベルで影響を与えることができたら万々歳、なんて謙虚なようで壮大な野心を抱き、今もキーボードを叩いているのですよ。フフフ。

と、なんだか今から書くことが「読んだ人の人生を変える衝撃の◯◯!?」みたいなハードルあげあげの前置きになってしまいましたが、そんなことはございません。まぁ、お時間のある方、もう少しお付き合い願います。

それでは、本題へ。

ん?本題?

・・・ 「バイリンガルのアタマのナカ」

そうでした、そうでした。

娘、4歳半、フランス語と日本語のバイリンガル街道突っ走ってます。言語能力=思考を言語化する能力と考えると、この歳の思考レベルなんて知れてますから、現段階でバイリンガルを語るなんて100年早いのは承知の上ですが、それでも相手に合わせて当たり前のようにコロコロ言語を変える彼女のアタマのナカが気になるのは仕方がありません。そしてこのたび、私、見ちゃったんです。彼女のアタマのナカ。証拠の写真もありますよ。

ほら。

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バイリンガルのアタマのナカはクロワッサンでいっぱいなんです❤️

ではなくて。

この塗り絵の隅に、並んで(←コレ重要!)書かれている、まま PAPA の6文字を見つけたとき、これこそバイルンガルのアタマのナカだ!と私は確信しました。

パッと見て、「これって日本語とフランス語、ごちゃ混ぜじゃん」とか「書き方知っている方(簡単な方)で書いただけでしょ?」とか思いました?いやいや、奥さん。そんなことは断じてありませぬよ。娘のバイリンガルレベルなめてもらっちゃ困りますよ。

先に言ったように、「娘、バイリンガルです!」と声高に言うにはまだまだ成長段階ですが、今のところ、完全バイリンガルです。読む、書く、聞く、話す、全てにおいて、現地語であるフランス語はもちろん、なんなら日本語も日本にいる4歳児と同じかそれ以上だと思われます。親の贔屓目なし、日本語を教える人間の端くれとして断言します。

仮名の練習中や私宛ての手紙なら"ぱぱ"とか"パパ"とか書くんですよ。そしてフランス人の前で私について話す時も "mama (ママ)"ではなく "maman(マモン)"と言うんです。どちらかの言葉でしか知らない単語(地名などの名詞や初めて聞く動詞など)がある場合をのぞいて、日本語、フランス語が混ざることはまずありません。それなのに、無意識に書くと まま PAPA となる。これって、まさに彼女の思考(想い)が言語化されている証ではないでしょうか。

「(私がこの塗り絵やったのよ、見て見て )まま (見て見て) PAPA

彼女はそこに日本語、フランス語を書いたのではなく、伝えたい想い(思考)をただ文字に込めている、そんな気がしました。彼女にとって、私は まま という存在で、夫は PAPA という存在、ただそれだけのことなのです。

日本でバイリンガルといえば、やらせるべきかやらせないべきか、将来2倍話せる勝者になるかどちらも中途半端な敗者になるか、まるで教育ギャンブルのような扱いのようですが、言語能力なんて日本語しか話さない日本人でも個人差がありますよね。モノリンガルでもバイリンガルでもダブルリミテッドだって、伝えたい相手に気持ちを込めた言葉選びができればいいんじゃないでしょうか。

バイリンガル(娘)のアタマのナカを覗いてみて、言語より想い(愛)で溢れていたことを嬉しく思う母なのでした。

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