見出し画像

ソロロードトリップを終えて

わたしのアメリカ移住は、海外転職のエージェントに今の勤務先を紹介してもらい、採用してもらったことから始まった。

日本からSkypeで面接を受けたとき、「ところで車の運転は問題ないですか? 車の運転が苦手だと、仕事ができないに等しいので」と聞かれて、「はい、大丈夫です」と即答したが、正直はったりであった。わたしが運転免許証を取ったのは30歳になってから。その後はほとんど運転したことがなかった。2012年2月に亡くなった夫と、彼が亡くなる1カ月前に箱根に旅行に出たが、行きは夫に運転してもらったくらいだった。夫の具合はよくなかったが、まさか1カ月後にお別れがくるほど悪いとは思っていなかった。ただし、帰りは夫が運転できる体調でなく、わたしは冷や汗をかきながら、7年ぶりくらいの車の運転をしたのであった。

夫が亡くなってから、彼の残した車は、早々に手放そうと思った。思い入れはあるが、保険代や車検代、駐車代などの維持費を考えたら、ほとんど使わない車を持っているのは効率の悪いことに思えた(しかもマニアックな車だったので保険が安くなかった)。ところが、夫のお父さん、わたしにとっての義理のお父さんが、思い出の車だから、しばらくは持っていたい、と言った。それで、お父さんがご自身の車を売って、亡夫の車はわたし名義のまま、しかし保険や車検やもろもろはお父さんが払ってくれることで話がまとまった。

しばらくして、お父さんが、「せっかく車があるし、あなたは免許も持っているから、練習しないともったいない」と言ってきた。わたしの友人には同年代でもまったく運転しないで暮らしている子がたくさんいたし、練習など正直乗り気ではなかった。ただ、お父さんの練習アイデアに惹かれて承諾した。

そのアイデアというのは、わたしが当時週に2、3日仕事に行っていた鎌倉のアロマショップまでの行き帰りを車でしたらどうか、というものだった。お父さんと犬に同乗してもらって、店に着いたら、お父さんが犬を連れて運転して帰る。帰路はお父さんが犬とともに車で店に来てくれ、わたしが運転して帰る。自転車や電車で通勤するよりずっと楽でいい。

ずいぶん経ってから聞いたのだが、お父さんはお父さんで、 息子が亡くなった後、嫁とコミュニケーションを取る時間と方法を模索していたらしい。週に2、3度、鵠沼から鎌倉までを往復する30分程度の時間は、確かに我々にとってよい時間だった。義理のお父さんとわたしはいまでも仲が良いのだけど、それは夫(お父さんにとっては息子)を自宅で看取ることと、大切な人を亡くしたその後のなんともいえない時代を共に支え合って生きたからだと思っている。

わたしは先日、一人で、アメリカで、片道6時間のロードトリップをした。アメリカのロードトリップは、運転が不安というよりも、オーバーヒートしたらどうしようとか、何もないところで立ち往生したらどうしようとか、そういう不安が尽きない。でも、無事に行って帰ってくることができて大きな自信になって、アメリカに来る前の自分だったら、とてもじゃないけどできなかったなとしみじみした。あのとき、お義父さんが、「車の運転、できないままじゃもったいないよ」と、練習に引っ張りだしてくれていなかったら、そもそもアメリカで暮らすことにチャレンジしていなかったかもしれない。さすがに人生で運転経験が数度だったら面接のとき、はったりでも「大丈夫です」とは言えなかったろうから。

練習に誘い出したときの、お義父さんの言葉を、いまも時々、思い出す。「車の運転ができると、行動範囲が広がって、世界が広がるよ」。

ソロ・ロードトリップを終えて、わたしは、ものすごく達成感に満ち満ちて、夫を亡くしたあのとき、今後の人生がどうなるか、どうしたいか、考えることなどまったくできなかったのに、それでも踏み出したひとつひとつの小さな行動が、いまここアメリカにいる自分に確かにつながっていったのだなと、一人大きく感動しているのであった。