海外子育て マルチリンガルの道
前回に引き続き、レターへの回答です。
海外生活についてはひとつ前の記事で。
今日は後半、子供たちの言語の習得について。
この話は学習方法ではありません。あくまでもお母さんの立場で何をしてきたのか、どう考えたのか、と言う話です。
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私は子供4人いますので、たどった道のりは4通りあります。それぞれみんな違います。
4パターン全部書くととややこしいので、この記事では上の二人、長女と次女について書きます。
二人は小学校1年と3年でこちらに移住、現地の学校に入りました。
その学校は私立でインドネシア語で公立の学校と同じ教育+ネイティブによる英語教育を行っている学校でした。
とは言え、私の子供たちは、日本語しかできなくて、アルファベットも書いたことない状態でしたから、最初は何にも分からなくて困ったみたいです。
二番目の次女は、小学校1年生は勉強は基本の基本から始まりますし、小さい時から社交的な性格なので、すぐに慣れて一週間程度でお友達を家に連れてきたりしていました。
お友達との会話は基本インドネシア語でしたが、時々英語が混じってました。
いずれも直感的に意味を感じとっていたようです。辞書は一切使っていませんでした。
大人から見るとなんでコミュニケーションとれるのか不思議ですけど、小さい子供にはよくあります。英語教育は早く始めた方が良いというのはこういうことなんだなと納得。
3歳がいい、5歳からが最適、など色んな説がありますが、私の個人的肌感では7歳以下がいいのかな、と思います。直感で生きている年齢ですから。
もちろん個人差はあります。性格的なものも影響します。
それがまさに長女の場合。当時9歳でした。やはり次女よりもっと時間がかかりました。
小学校3年生だと勉強も少し難しくなってきますし、性格的に慎重でひとつひとつ丁寧に考えないと気が済まないタイプなので、どうしても時間が必要でした。
でも、長女はすごくお友達に恵まれまして、同じクラスに何かとサポートしてくれる子たちがいたので、学校が嫌になることもなく、少しずつコミュニケーション取れるようになったのが、半年後くらいでした。
当時のお友達には感謝しかありません。10年以上経っていますが今でも思い出してありがとう、と思うことが良くあります。またそういう素敵なお子さんを育てている親御さんたちは尊敬しかありません。
勉強面で追いつくのはさらに時間がかかりました。
一年目はボロボロ。0点とった日もありました。毎日頑張っていて、日々進歩しているんだけど周りにはまだまだ追いつかず、切ない日々が続きました。
次女に先を越されて、長女も辛かったと思います。
特に、「妹はできるのに、なんでお姉ちゃんはできないの?」って言われるのが一番辛かったようです。
家庭内ではお姉ちゃんだから、妹だから、という位置づけをしませんでした。兄弟姉妹みんなフラットに。「お姉ちゃん」と言う呼び方ではなくて、名前で呼び合います。今でもそうです。
年齢的にできないことがあればそれも含めてその子の個性としてとらえていたので、自分の概念にない比較のされ方をしたことに傷ついた日もあったようです。
しかし、3年目辺りから爆発的に伸びて、4年目には努力が報われて、現地人のお友達に逆に教えるてあげる程度になっていました。
この間、私は言語を教えるってことは一切しませんでした。
私がリードするのではなくて、最初は一緒に学ぶという姿勢でいました。
言語はネイティブが周りにいるならその人から教わるのが一番ですから、学校の先生と、おうちでの勉強は知り合いの現地人の方に手伝っていただいていました。
ここは、もし日本にいて、お子さんに外国語教育するって方は違うかもしれません。あくまで海外に住んでいる場合での話しです。
こちらに住んでいる先輩の日本人ママさんたちも口を揃えていうことなんですが、親が教えない方が良い。教えていいのは母国語だけです。
なぜかというと、あっという間に親を超えるから。
子供たちはみんな大人は到底かなわない素晴らしいセンスを持っているものです。センスオブワンダーですね。お母さんが先生になっちゃうと子供は窮屈に感じますしね。
この間私が何を考えていたか思い出してみると、とにかく、きっとできると信じていたんです。
がむしゃらに「頑張れ!」「これをやりなさい」ではなくて、「大丈夫、心配しなくてもちゃんとできるようになるよ」と安心の土台を整えることがお母さんとしての役割だと思っていましたから。
でも、日本にいる身内や知り合い、その他色んな人に色んな事言われてました。
英語もインドネシア語も同時にやるなんて、欲張りだ、無謀だとか、そんなの上手くいくわけない、きっと失敗する、子供たち可愛そうなどなど。
お決まりのドリームキラー的なセリフを一通り言われ続けましたけど、気にかけてくださるお気持ちだけ受け取って、その言葉自体は程よくスルーしました。
私にとっても試練でした。忍耐力を鍛えられましたね。
その時考え方のベースになっていたのは、ヨガの哲学的な教えです。身近に起こっている問題をそこに当てはめて考えると、多くの場面でやるべきことが見えてきます。お陰様でだいぶ心は丈夫になりました。
長女は歩みは遅いカメさんでしたけど、少しずつでも前に進んでいるならそれは、だんだん良くなっている証拠ですから、それを不安に思ったり、せかしたりは一切せず、とにかく一ミリも疑わず、信じることに専念していました。
きっとできるよね、というビジョンを未来に置くことで、全ての行動、言動がそこと繋がっていきました。
そして、私の意識が向いているところに子供たちも同調していったんだと思います。
その結果、長女も次女も小学校卒業時点ではインドネシア語が半ば母国語になって、英語、日本語は日常会話や基本的な読み書きが問題なくできるようになって、中学からはインターナショナルスクールで英語で学ぶベースができました。
この続きはまだまだありますが、キリがなくなるので今回はこの辺にしておきます。
また機会がありましたら続きを書くかもしれません。ここが気になる、ということがありましたらコメントでお待ちしております。
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最後までお読みいただき、ありがとうございます。
また次の記事でお会いしましょう。
Satokoでした。ナマステ。
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