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頭の中の言語

「頭の中の言語」。これを分からないと思ったのはたぶん、初めてではない。

私は、頭の中で言語を使っている。家から最寄り駅まで歩いている時も、湯に浸かっている時も、布団の中で目を瞑っている時も、私の言語は休まない。けれど、言語「で」考えていると思ったことがなかった。

私にとって頭の中の言語は、Enterキーのようなものだ。とりあえず文字を入力してみて確定させる、あの感覚に似ている。何を確定させているのかと言うと、絵でもイメージでもない。頭の中にある「気配」だ。

絶対にそうだという確信はなく、気のせいかもしれないとも思う。けれど私は「気配」の時点ですでに考えている気がしてならない。「気配」の中から思考が吸い出される過程と、言語化の動きとを、とても近くに感じている。

その際に、吸い出されやすいノリというのがある。
頭の中で文末までちゃんと聞こえるのは文語の「だ・である」調だが、文字入力や発言といった形で「気配」から直接出していく時は違うノリが良いらしい。私のSNSや日記を振り返って見れば、語りかけるような「です・ます」調や煽るような口語の疑問文、エセ関西弁やべらんめえ口調まで、きっとめちゃくちゃだろう。
「気配」から吸い出しているのは同じなのに、「頭の中の言語」と実際に文字や声にするのとでは違う言葉が出てくるのだから不思議だ。


「頭の中の言語」でもう一つ、思い出したことがある。

私は小学生のころ、国語の記述問題が苦手だった。
苦手な理由として、「変なことを答えてしまったらどうしよう、塾の先生に答案を見られたくない」というのがあった。けれど、それだけではない。
当時の記憶はもうあやふやなのだが、そのころ起きていたことの一部は、「頭の中に漂うものの輪郭が浮かび上がらない」という現象だった気がしている。

そういう状態は、多少の進歩はあれど二十歳ごろまで続いたと思う。何もかもそうだったわけではないが、自分が何を感じているのかが時々分からなかった。

私は、幼少期を外国で過ごした。家では日本語を話していたが、教育面では途中から現地の幼稚園・学校に行くようになった。つまり、当時の私は2つの言語を同程度使っていた。

そのことがかつての自分の鈍さにどう関係するのか、科学的な根拠はよく知らない。ずっと日本にいても同じだったかもしれないし、そもそも属してきた輪の中で相対的に鈍かっただけで、実は人並みだったのかもしれない。「鈍い」という表現も本当は良くなくて、ずっと前の日本では「自分」を言語化しなくても人々はうまくやっていたのかもしれない。

それでも、大学受験生の時に塾の先生から聞いた、「幼少期から複数言語にさらされると脳内言語が安定せず、思考できない子になる」という話を、私は今も持て余している。



※この記事は「東京でつくるということ エッセイ集」の一部と同内容です。

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