手島サトコ

狭間と残余でうろうろ。 社会、文化、空間、認識とデザイン、言葉、…

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最近の記事

「Web会議ツールとの付き合い方」研究

Web会議の機会がめちゃくちゃ増えている現在。巷ではZoom飲み会を楽しむ流れもあるらしい。 ㅤㅤ 私はというと、対面に比べて異様に疲れてしまう問題が発生している。「これは一度仮眠しないと無理だな」と思ってタイマーをセットして寝ると2時間経っていた、なんてこともある。これは困った。 ㅤㅤㅤ そこで、オンラインコミュニケーション(というかWeb会議)との付き合い方について研究してみることにした。 ◆ 今のところ、以下のような感じだ。ちなみにだいたいZoomである。 ・1対

    • 映画『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』感想+α

      ※ネタバレ注意 ※事前知識ほぼなし、という状態で観ました。 三島由紀夫という人間映画の中の討論を聞いていて三島に感じたのは、「かなしい」ということだった。三島本人もその「かなしさ」を自覚していて、なんならそこに快楽もおぼえていたようだ。 けれども私には、もっと奥にあるものに触れるのを避けているように見えて、お節介ながらもどかしかった。全共闘側から「開き直り」という言葉が出てきたのにも頷けてしまう。 しかし同時に、そういうところも含めて魅力的な人間だと思ったのも事実だ。

      • 食い扶持と、「自分や社会にとって大事なこと」とをめぐる葛藤(雑記)

        東畑先生のこんなツイートが軽くバズっていた。 この「お金」と「素晴らしさ」の絡まり、なんだか分かるなあと思う。 おそらく色んな領域でそういったことが起こっていて、だからたくさん「いいね」がついているのだと想像する。 提供する価値や自分の食い扶持を一つに絞っていると、よりこの絡まりに捕らわれてしまうのかな、とも考える。 一方、引用RTで次のような意見もあって、なるほどそういう手もあるのか、とも思った。 ◆ 誰かにとって相対的に価値があるから値段がつく…というのにモヤモ

        • 分化の功罪と「あいだ」の可能性

          (※2019年6月に書いたレポートを加筆修正したもの。) 人間を分化する名称というのはたくさん存在する。引きこもり、不登校、発達障害、ニート等、様々なカテゴリーが作られてきた。 元々は、一定の人々に起きている現象を議論できるように名前が付けられたのだろうと想像する。 実際、名付けることで社会への問題提起になる、当事者が安心する、支援体制の構築が進む、同じカテゴリーの者同士が繋がりやすくなる、自己や他者を理解するためのフレームが増える等、分化・名付けの効能はそこそこあると

        「Web会議ツールとの付き合い方」研究

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        • 映画ドラマ感想
          4本

        記事

          映画『ロケットマン』感想

          『ロケットマン』、良い映画だなと思った。 けれど、皆さんの感想ツイートをバズっているものも含め見ていると、刺さったか刺さってないかで言えば、どうやら私にはいまいち刺さってないようだった。 「愛」や「自分とは」に関する感覚が、映画で描かれていたものと私とでおそらく違うのだと思う。 それから、「孤独や傷つきゆえに(?)明るく振る舞わざるを得ない」というのが、私がそういうキャラを背負わずに人生済んできたこともあって、ピンとこないのかもしれない。 この映画を見て、エルトン・ジョ

          映画『ロケットマン』感想

          『凪のお暇』第8話、と悶える私

          まずはじめに、わたしは、とある人との間に起こった「解せない経験」を分かるために、凪のお暇を見ている…(たぶん) --------------- うわあああ。凪と慎二は…表現形は全然違うけど…大元の…心の穴(?)の形が似てるんか…。見てるこっちまで個人的な記憶が思い出される~。 それはさておき、凪と慎二はアパート・バブルまわりの共同体に癒され解される必要がある。既になされてるけども!…ゆるい共同体、だいじ。 ◆ 慎二とゴンも、凪&慎二とは別の方向性で似ていると思う。

          『凪のお暇』第8話、と悶える私

          映画『愛がなんだ』感想

          映画を見たあと、なにかの処理に時間がかかって脳が落ち着かないので、だいたいカフェに入る。 そういう頭の動きをスルーして日々の仕事に取りかかることもできなくはないけれど、それだとなんだかなあと思う。咀嚼しないまま放っておくのが不安なのだ。 今回も北千住のタリーズでぼーっと処理する。胃が弱いので、お供はコーヒーではない。 『愛がなんだ』は私にとって、分かりそうで分からなくて、もしかしたら分かりたくなくて、でも、ちょっと羨ましいと(ほんとにちょっとだけ)思ってしまう人々が出て

          映画『愛がなんだ』感想

          頭の中の言語

          「頭の中の言語」。これを分からないと思ったのはたぶん、初めてではない。 私は、頭の中で言語を使っている。家から最寄り駅まで歩いている時も、湯に浸かっている時も、布団の中で目を瞑っている時も、私の言語は休まない。けれど、言語「で」考えていると思ったことがなかった。 私にとって頭の中の言語は、Enterキーのようなものだ。とりあえず文字を入力してみて確定させる、あの感覚に似ている。何を確定させているのかと言うと、絵でもイメージでもない。頭の中にある「気配」だ。 絶対にそうだ

          頭の中の言語

          元虐待親へのバッシングについて思ったこと

          数年前の24時間テレビに、娘を虐待していた過去のある母親が出演していた。 インターネット上では、「(虐待までの経緯を)言い訳じゃん」「悪い男につかまるのが馬鹿」「ヘラヘラしてどの面下げて出てんの」といったバッシングがかなり見られた。中には中高生らしき人もいた。 当時の私はそれらを見てモヤモヤし、「親を経験したこともない人が言えることなのか」とツイートした。 しかし、当時の私のツイートは、間違いではないものの本質からズレていた。親を経験したことがあるかどうかは問題ではなかっ

          元虐待親へのバッシングについて思ったこと

          文章を書くのは難しいね、という話

          私は、話も文もよく拡散する。とっ散らかる。 そんな私は、先に骨子を定め、構成を考えてから書いたほうがいいのだ、きっと。 とはいえ、私の言いたいことの骨子など、ほとんど言い尽くされていそうである。ゆえに、「私が」それを言いたいのだということを節々に滲ませていきたいのだが、これがなかなかうまくいかない。 自分の書いた文を見て、「なんだか軽いな」とか「味がないな」としばしばがっかりする。口で述べたら重みが出ることでも、文にしてみたら思いのほか力が宿らないのだ。 やはり文には文の

          文章を書くのは難しいね、という話

          「認知の歪み」へのモヤモヤ

          「認知の歪み」という言葉がある。 この言葉は、主に心のケアや心理学の文脈でよく使われる。 認知とは、心のクセや思考パターンのことで、認知が歪んでいると憂鬱や不安定な感情を抱きがちになると言われている。例えば、小さなミスを一度しただけなのに「自分は駄目だ…」となる場合、0か100か思考に陥っていて「認知が歪み」があるね、となる。 私は、この「認知の歪み」という言葉に、苦しさをおぼえていた時期がある。 「あ、この認知だと必要以上に苦しいかもしれない。直そう。」といつも思うこ

          「認知の歪み」へのモヤモヤ

          倫理に則ることを選ぶ

          倫理にまつわる「なぜ」はたくさんある。 「なぜ人を殺してはいけないのか。」 「なぜゴミを道端に捨ててはいけないのか。」 「なぜ環境破壊をしてはいけないのか。」 それに対して、色々な答えが用意されている。 「人が悲しむから。」 「自分がやられたら嫌なことだから。」 「自分が痛い目に合うから。」 だが、それではきっと腑に落ちない人がいる。 なぜなら、 「なぜ人を悲しませたらいけないのか」 「なぜ自分がされて嫌な事を人にしてはいけないのか」 「なぜ痛い目に合ってはいけない

          倫理に則ることを選ぶ