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【本の感想】「粗食」のきほん

「粗食」のきほん|佐藤初女/幕内秀夫/冨田ただすけ|2013年初版

【読んで学んだこと、共感したこと、感じたことを書き留めます。
自分のためと読んでくれた誰かとつながったりできることを期待して。】

私が解釈したサマリーは以下の通り。
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・自然の摂理に沿って、食べ物から命をいただく、おいしくいただく、体の声に耳を傾けごはん、味噌汁のふつうの食事をとることが、こころも体も健康でいるためには必要だと考えているお二人の対談(佐藤さんと幕内さん/冨田さんはお料理レシピパート担当)
・栄養教育や情報多過(単品だけ食べるダイエット、糖質制限、マクロビなど)で迷子になってしまう方がいる。日本人の「ふつう」「当たり前」が奪われた
・漬物とか常備菜などはうまく活用できるとよくて、忙しいけど何ができるかを考える。まずはおいしいごはんを炊くこと。ごはんと味噌汁である程度は賄える
・料理は母や祖母から教わるのではなく見て覚えるもの。味も計測ではなく、舌で覚えて、体調などもふまえて調整していくもの。子どもにはしつけや言葉よりも前に、命の基本である食を通じて伝えられることがたくさんある
・「生物多様性」って言葉だけ聞くと難しいけど、糠味噌の床でそれを初女さんは理解した。社会は生物多様性で成り立っている
・食べ物から命をいただいているということは、調理は命と命をつなぐもの。いただいた命をおいしくいただくという意識でいる。だから味見をして味を調える
・今地球が抱えている問題さえも、身近な食を考えることで気づくことができる。ごはん、味噌汁、漬け物と、なんてことない日本の食事が、「食は命」を感じさせるものとなっている。身近なところから変えていけば、心も健康も取り戻せて、ゆくゆくは地球が変わっていく可能性がある
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この本を読んで私が考えたこと↓
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おばあちゃんもお母さんも大好きなことにあんまり理由はないと思っていたけど、食べることを通じて伝えてもらったものがあるからというのは、あえて理由を考えるならそういうことなのかもしれないとこの本を読んで思った。お母さんのごはんとおばあちゃんからもらう梅干しが私にとっては世界一おいしいと思うのは、それ自体がどうってことじゃなくて、そこに込められているものはとても普遍的で当たり前なんだけど、何よりもありがたいものだから。
独身でごはんを食べさせる人もいない私は、社畜みたいに働いててごはん作るなんて気持ちも時間も向けられないよと良く思ってたけど、にぼしで味噌汁だけでも作っていたのは、初女さんが何ができるか、どう手間をかけるかを考えるってことを自分にとって無理のない範囲で実践していたのだと理解しよう!(単純に自分で作ったにぼしの具をたくさん詰め込んだ味噌汁が好きなだけなんだけど笑) 。これからはもっと命をいただいているということを自覚して、何度も味見をしよう。火加減も食材があつっ!(高温でやるものはそれが適温なら熱めの温泉に入ってうほ!きもちい!みたいなイメージで、ダメなのは無駄に焦がすとかって意味)ってならないように丁寧に。できることを丁寧にやり続けよう。初女さんにお会いしてみたかった。
ずっと前に千晶さんのおうちで手料理を食べさせてもらったとき、千晶さんはいつも所作が丁寧なんだけど、料理にもそれが出ていて丁寧に心を込めて作ると出来上がるものはこうなるんだなぁと思った。それから特に人に食べてもらう時(自分が食べるだけの時もそうしたほうがいいと思うけど)は一つ一つ丁寧にやろうと思ったことを忘れないように。
家庭でご飯を食べることと、外でお金を払って食べること、同じ部分と違う部分がいろいろとある。一番の違いはその関係性なのかな。家族なのかお客さんなのか。その真ん中にあるのが子ども食堂?毎日のごはんは家庭で出てくるようなものがいいと私は思うけど、それを商売にしたとたんに本質が変わるってことなのかと最近思う。私は“食べる”ということがとても気になる。何かにつけてそれが一番大事だよなと思ってしまう。日常的にもらった愛情の多くが“食べること”を通じてだったからなんだと思う。楽しかったとかいうのも含めて。
季節のもの、土地のもの、今はそれがあると贅沢な気持ちになるけど、昔はそれが当たり前だったんだよね。発展してきたからこそ楽しませてもらっているもや便利になったもの、続けていくことに地球環境や社会への負荷が少ないものはそのままありがたく、そうじゃないものは自然にあらがわずねじれができるだけない方に昔の当たり前を復活させていきたい。この本で伝えたいことも、ヒッケルさんの「資本主義の次に来る世界」や藻谷先生の「里山資本主義」が示している向かう方向性は同じだよね。これまでの経済の成長主義を改めて、資本があるところにさらに資本がいく経済活動ではなく、コモンズを市民が平等に使えるようにして生産活動の考え方を交換価値に戻す。地域にある人や作物が地域で無駄にすることなく活用、循環することを前提に考える。そのうえで外とのつながりをつくっていく。そうすることで環境へ負荷をかけるのではなく自然の一部として生きる、人の生活も自然とともに営まれることで心身ともに元気でいられる。だいぶざっくりしてるけど。
今子どもの世代とかその子の子どもの世代とか、これ以上暑すぎる地球で生きていかないといけないと思うと、今の常識で考えると過酷すぎる。そして日本も食糧自給率をあげなきゃって気が付いてだいぶたつけどひどくなっている気さえするし、セントビンセントもザンビアも、食糧自給率をあげることが課題だと見聞きした。作ることといただくこと、についてこれからも考えていきたい。
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取り留めと脈絡がないけど、、発信していくことで書くことや理解力が向上することを目指してがんばろう!!



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