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私のオフボーディング ~喪失感との過ごし方~

はじめに

先月会社都合での退社というものを初めて経験した。
とても良い会社で気に入って働いていたので、ショックだった。

リストラや失業は言うまでもなく、大きなストレスだ。強い人なら乗り越えていけるだろうが、なかなか簡単ではない。

会社に入るときは、オンボーディングといって、仕事や会社についてじっくり知って馴染んでいく期間がある。その逆、辞める時にオフボーディングをしてくれる会社はあるんだろうか。辞め方はいろいろで一概に言えないというのもあるけれど。
仕事や会社から離れていくためのプロセスが必要だと思った。日々の生活も、考えていくことも、人生設計もなにもかも変わるわけだし、自分を納得させて会社とお別れをして未来に目を向けるための、オフボーディングがあっていいんじゃないだろうか。

これは、私がわたしなりに自分でオフボーディングを行った記録である。
同じような状況は誰にでも起こりうると思うので参考になれば、と思う。

初日

私の働いていた会社はフルリモートだ。ある時リモート面談が設定され、契約社員だった私は契約解除となり来月一杯で終了ということが告げられた。

まだ同僚にも言えなかったので、いつものように仕事をしていた。しかし、ショックで現実味がなかった。

「しょうがない、私がポンコツだし」
「せっかくチームのみんなと仕事していくのが楽しくなってきたのに」
「また貧乏になってお金のことばかり考えるようになるのか」
「再就職?前々職の小売業は人手不足ですぐ働けるだろうけど、パートだし給料は半分以下だ…でも他に選択肢がなければ」
「せっかく覚えた専門知識が無駄になるな。資格取得もがんばって、次の資格も目指していたのに」
「いままで勤められただけでも奇跡だよね」

いろんな思いがグルグルと頭を駆け巡った。

家族や親しい友人には速攻、連絡した。

翌日、ふとんから出られなくなった

契約解除と言われた翌日、ものすごい気分の悪さに襲われた。
何も悪いことしていないのに罪悪感のような、飲み過ぎた翌日のような苦しさ。だるくてなにもかも嫌で、体と頭が重くて動かなくなった。
ふとんから出られず、体を起こしているのが辛い。仕事する時間だけなんとか起き、すぐ横にならなければならなかった。

実はこの一週間前にコロナに感染し、熱も下がって体調も良くなってきたので仕事には復帰していた。
しかし、この具合の悪さはコロナの時とまったく違った。

どうもこれはおかしい。
会社では産業医やカウンセラーへの相談が可能だったので、速攻、カウンセリングを申し込んだ。

ここ10年ほど、中年になってからメンタルの不調がすぐ体調に出るようになっていたから、これはメンタル由来だと思った。

同僚に退職のことを伝える

数日して、一緒に働いているチームメンバーにも契約解除のことが知られることになった。
リストラになったのは私だけではなく、メンバーが大幅に減ることになった。

残る人たちも大きな環境の変化に立ち向かわなければならないことになり、ショックを受けていた。そんな状況でも、同僚からは「少しでも今後の仕事に役に立つように残りの時間を使って」と言われてとてもありがたかった。
でも、今後の仕事などまったく考えられなかった。
50歳になる直前に、ハローワークや求人エージェントを利用して就活し全敗した経験がある。諦めて小売業のパートになるしかなかった。
そこから3年、年齢を重ねたので余計厳しいはず。
うちの会社に入れたのも奇跡のようなものだし…

カウンセリングを受けた

カウンセリングの日は契約解除宣告日の一週間後だった。
気分の悪さ、やる気のなさはずっと続いていて、ほんとうに長く辛かった。
カウンセリングでは自分に起きたことと、感じた気持ちや不安を、そのまま話した。

いくつかの対話を経て、カウンセラーの方がこう言った。
「今現在のsato_kawaさんの気持ちは、大事なものや人が失われたという精神状態に近い。今、必要なのはグリーフケアに似たもの」
「グリーフケア」これが、ものすごく腑に落ちる表現だった。
私はいま、会社を辞めなければいけなくなって、悲しい。
今後の生活への不安、経済的な不安、それよりも「喪失感」が大きいと見抜かれて、その通りだと思った。

「だから今はその悲しい気持ちを受け止める時期。
次の仕事は何をしよう、そのためにこういう勉強をしようとか、転職活動しようとか、先のことを考えるのはまだ、早い。
無理に動き出そうとするとかえってよくない」
心底、ほっとした。ありがたくて沁みる言葉だった。

カウンセラーさんとの対話の中で、自分でもがんばらなければ、なんとかしなければ、次にいかなければという焦りが強い状態だとわかった。

そしてストレスチェックの結果から、
「ストレスはすぐ受診が必要なレベルではないが、高いレベルにある。だから注意して、ゆっくり過ごして、状態が悪くなったらすぐ受診してください」
と言ってくれた。

寝込んでいいんだ、むしろ休まないと。
専門家にそう言ってもらえたので、安心した。
おかげで、以降の方針が決まった。

友人たちに会って会話する

「人と話して気分が晴れるのであれば、それもいいですよ」とカウンセラーさんも言ってくれたので、
「私に酒を奢れください」
ずうずうしくSNSで呼びかけると、たくさんの人たちが声をかけてくれて、週1くらいで人に会って飲んだ。
普段飲む時は一人なので、人とリアルにじっくり会って話すこと自体久しぶりだった。普段同じ会社の人とだけ接していたので、しばらくぶりに会う友人たちと近況報告だけでなくいろんな話をして、すこし視野が広がって気が楽になっていった。

みんな私を励ましてくれて、特に「難関の資格にチャレンジして取ったのがすごい」と言ってくれた。
この一年は自分が大きく成長できて誇るべき時間だった、という気持ちが徐々に生まれてきた。

ミーティングの一部欠席

会社では全社員参加の定例会や、今後のビジネスを考えるミーティングがあったのだが、そういったものに参加すると気分が落ち込み具合が悪くなった。
「こんな話、いなくなる自分が聞いてなんの意味があるんだろう」
「いいよな残る人は。未来があって」
と、どんどんネガティブになり、またそんなことを考えてしまう自分が嫌になった。

そこで数回、そのようなミーティングを免除してもらった。
カウンセラーさんに相談したこともチームメンバーには伝えて、休み休み勤務すると宣言した。メンタルの不調について理解のある会社(そしてメンバー)なのがありがたかった。

ちゃんと休んだ

仕事で集中して調べものなどしていると、余計なことを考えずに済むし達成感もあって良いのだけど、それで調子がよくなったと勘違いするといけないと思い、影響のない範囲で、休んだ。
そもそもが根が真面目過ぎると良く言われるので、意識的にがんばりすぎないようにした。

未来に希望を持てるようにと、いくつか楽しい好きなことをする予定をばんばん入れたが、これはあまり良くなかった。
のちに予定があることが重く憂鬱に感じてきた。

この頃、所有していた絲山秋子さんの本(絲的ココロエ 「気の持ちよう」では治せない 参考リンク参照)をなにげなく再読していて、それがとても役に立った。
冒頭に「決断は先延ばしするべきだ」とある。
体調が悪い時の判断はその人らしくないものになりがちで、後から後悔することになることも多いそうだ。
あ、まさにこれ、と思った。

しなければならないことが山のようにあるのだけど、まずは一切考えないようにした。
これは必要な時期だったと思う。

絲山秋子さんのこの本は体調不良時に何度もページを開き、本当に助けられた。

漢方薬を飲んだ

胸の詰まったような苦しい感じが続いてぼんやりしていて、現実味がない。そこで漢方薬を飲んだ。私は医薬品販売の資格もあるのでこのあたりの知識がある。(お薬の具体名は書きません、人によって適応が異なるので)
2週間分飲んでだいぶ気分がおちついたように思う。それが薬のお陰なのかどうかは、わからない。

落ち着いてきたのでオフボーディングリストを作った

自分でも自覚がなくて驚いたが、いつも空腹で食べるのが大好きな私が契約解除を宣告されてから2週間、空腹感を感じられなかった。
それがある日突然おなかが空いて、あ、私良くなってきたな、と思った。

聞くのが辛かったミーティングも出ようかなという気になってきた。まずは後で録画や議事録を見るだけにし、それで大丈夫だったのでその次は出席した。

意欲も出てきて、辞めるまでにやらなければならないことをやろう、という気持ちが出てきた。
そこでこの頃、「オフボーディング」というタスクリストを作った。

会社のPCを返却するにあたっての作業、会社のメールアドレスが無くなるに当たってのサービス解約、変更作業、クラウドの設定変更や定期スケジュールのオーナ変更など、こまごましたことが山のようにあり40項目ほどになった。

チームの同僚と雑談をした

カウンセラーの方に言われた「グリーフケア」という言葉が頭にあって、ちゃんと会社で一緒に仕事してきた人たちと雑談しつつお礼を言ってお別れすることが自分には必要だと考えた。
そこで、チームの人や交流のあった方に1人ずつ雑談の時間を取ってもらって、30分から1時間、話した。
うちの会社はありがたいことに雑談も業務時間とする文化があった。

内容は、これまでを振り返ってしんみりと会話というわけではなく、普段と変わらないなんとなく考えていることや仕事関係の話などをして、もちろんちゃんとこれまでのお礼は言った。なにげない時間だけど、少なくとも私にはとても大事な時間だった。

印象的な言葉をたくさんもらって、今でも思い出し自分の支えになっている。
同じく契約終了になった社内の同僚と雑談した時、
「もう絶対、小売業なんかやっちゃダメだよ!」
と言われ、吹き出してしまった。「やりませんよ、あんなブラックな仕事」と即座に言ったが、かすかにその可能性を考えていたのを見透かされたみたいだった。
「私はsato_kawaさんのことは全然心配していないよ。見つかると思う。今までよりも良い待遇で。そこに至るまで、何度も断られると思うけど、私たちはそれは必ず通る道だと既に知っているから」
まさか、そんなことない。と言いたくなったけど、こうもはっきり言われるとなんだか大丈夫な気がした。

有志による相談窓口を利用した

私がカウンセラーさんへの相談を予約してほどなく、社内で有志による相談窓口が立ち上がった。主にキャリアに関する内容ということだったが、たんなる雑談でもよければ、と問い合わせたところOKしてもらったので2回ほど会話させてもらった。
利用できるものはなんでも利用して少しでも楽になりたいと思った。
在職中のスキルの棚卸を手伝ってもらった。自分がこれまでどんな仕事をしてきたか、対話しながらメモしていくうちに、あー自分ってがんばってきたんだな、というのがわかった。
相談担当の方に「いろいろできるじゃないですか!すごいです!」と言われて、自分の今後についてふわっとした自信がついた。

そして退社

最初は「もう就職なんて無理、未来はない」という心理でいたのが、最終日には「せっかくだから雇用保険をもらいつつ、まあのんびり焦らず就活やりますか」という気持ちになった。
最終出勤日にはまた悲しくなって、気分が悪くなるかもしれない、と思ったが大丈夫だった。

まとめ

私が行ったことをまとめると

  • カウンセリングを受ける

  • 友人たちと週一で飲む

  • ストレスを感じるミーティングを免除してもらう

  • 休み休み勤務する

  • 漢方薬を飲む

  • ミーティングに復帰

  • オフボーディングリストを作る

  • オフボーディングリストに従ってタスクをこなす

  • チームメンバー他全員と一人ずつ雑談

  • 社内の有志ボランティアと雑談、キャリアの棚卸

自分は心理学専攻出身で、メンタルヘルスの問題にも興味があって以前から情報収集していた。精神的不調は自分ひとりでなんとかできるもんじゃないと知っていたので、「あ、たぶんこれ一人でかかえちゃだめなやつだ」と気付いて「人に頼る」方針にしたのが幸いした。

私は、元々あまり人に頼るのが上手ではないし、できれば喋らず永久に黙っていたい人だった。
だが人といっぱい会話してやっていく、に慣れたのはこの会社に入ったおかげで、オフボーディングでもそれが生きた。って、なんだか結局未練があるような書き方だけど。

退職までの一ヶ月の時期に会話してたくさんの言葉をくれた同僚、友人たち、家族には心から感謝している。

さいごに

リストラは悲しいことだったが貴重な体験だった。

当時、私はたしかにストレスがたまりやすい弱い状態だったと思う。
コロナ罹患の一週間後という最悪のタイミングだったし、暑さと体力低下で気分転換のジョギングができなくなっていた。
また高齢で認知症の兆しもある実家の母の問題もあった。心配なので2,3週間に一回帰省している。具合が悪い時に帰省して母の話を繰り返し聞いたり家事を行ったりしなければならず、辛かった。
それに中高年の女性特有の状態もあったと思う。
要するに私はメンタル的にハイリスクだったわけだ。

現在私は何をしているかというと、いままでしたことがないことをしたり行きたかったところに旅行したりして、遊び惚けてあっというまに退職後一ヶ月が経った。
先日、退職が決まった後に奢ってくれた友人のひとりから「顔が明るくなりましたね!よかったです」と言われた。
直後は「どよーんと落ち込んでいて暗い表情で心配だった」そうだ。そういう顔をしていた自覚はなかったのに。

少し前、ようやく雇用保険受給(かつての失業手当)の申請をした。雇用保険受給申請をしたということは就活をしなければならない。まあ、のんびりやっていこうと思っている。

「遊び惚ける」というのは反感を買いそうなので「さすらう」という表現にして、さすらいの記録をこのnoteにも書いていきたい。

https://youtu.be/pdbSLpBgQ2I?si=mhQzOuoPXYF7rbWK

参考文献・リンク

『絲的ココロエ 「気の持ちよう」では治せない』

双極性障害についての内容が主だが、各所に楽に生きるためのライフハック的なものがあって、とても参考になる。

kagshun先生のvoicy

宮城の精神科医のkagushun先生のvoicy。

メンタルヘルスの情報収集に。小売業や家庭で辛い時に聴き始め、とても心が救われた。著書もある。

『ザッソウ 結果を出すチームの習慣 ホウレンソウに代わる「雑談+相談」』

雑談が当たり前の職場って、通常は異質かもしれない。しょっちゅうザッソウがあった職場で良かったなぁと思う。
余談ですが、この本は入社前にイベント参加者プレゼントで当選し送っていただいた。久しぶりにこの本を引っ張り出したら、熱心に読んで付箋だらけになっていた。真面目だなぁ、私。

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