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失恋から始めるわたしのはじめかた⑮~第二章

🌸第一章(①~⑬)
26歳恋愛依存の私は失恋して、心理学に出会う。もっと勉強したいと大学院へ進学すべく奮闘し、ついに6年間務めた検査技師の仕事を退職して、東京の大学院へ入学した。
🌸第二章(⑭~)
大学院へ入学して、そうそう、無職のしんどさを味わう。

前回の続きから↓

大学院が始まった。
教授たちは「二年間、本当にめちゃくちゃ忙しいし、きっとバイトもできないよ~頑張ってね!(笑)」と脅してきたが、正直言うと私は

全然へっちゃらだった

今大学院へ入るまで、最低でも週5で9時ー17時で休みなく働いてて、残業は1~2時間あって、その上日直当直もこなす毎日だったので、授業が一日三コマくらいでそのレポートがあるくらい、なんともなかった。

もともと調べ物も、パワポつくりも、感想文書くもの好きだし、パソコンに向かえば集中してあっという間に時間が過ぎるタイプなので、
え、、、これで本当にいいの、、、?
という気持ちだった。(学校によると思いますが・・・)

私は大学院は忙しいと聞いていたので、二年間最低バイトしなくても生きていけるくらいのお金をためて、それでもちょっと稼ぐ手段を見つけて行きていこうくらいの気持ちだったので拍子抜けしてしまった。

でも、実は暇だと思っているというともしかしたら教授が意地悪してくるかもしれないし、忙しいと言っている同期の前で、「いや、全然余裕でしょ。」というとさすがに嫌われそうなので、この気持ちは隠しておいた。(たまに話してたけど笑)

それでも、一年前期は暇でも後期、二年生となると忙しくなるかもしれないし、授業の関係で曜日指定できないので、なかなか長期の仕事をすることはできない。

検査技師で生活費稼ぐのが一番手っ取り早いので、派遣の検診業務のアルバイトを始めた。
他にも、結婚する方にインタビューしてまとめる仕事を知り合いから依頼されて、カウンセリングに役立つと思ってやったり、憧れのパン屋さんの早朝バイトをしてみたりしてみた。

同期に「よくそんなに働けるね」と驚かれていたが、何度も言うがへっちゃらだったのだ。

修論は、ちゃんとサイコドラマの研究ができる研究室に入れた。先生はすごい厳しい?怖い?人で、あまりつかみどころがなかったが、研究には熱い人のようだった。処世術が効かない人で、お土産を持っていっても笑顔もなく「どうも」くらいの反応しかされず、私は教授とどう距離を詰めればいいかわからなかったが、ゼミ生の仲間はかわいくて面白い人たちばかりだったので、緊張するけど嫌いではない時間だった。


そんな私には実は3月から付き合いだした名古屋の彼氏がいた。

多分、歴代の彼氏一、ビジュアルがいい。笑
彼は一緒の演劇養成所で芝居を学んでいた子で、陰のあるベビーフェイスが特徴的なかわいらしい子だった。
はじめての年下の彼氏だ。
決して私を否定することをせず、いつも私をすごい!すごい!と言ってくれる優しい子だった。

私は、前回の彼氏と別れた時、自分になにもなくなって、依存していたことに気が付き(①参照↓)、わたしは男がいるとダメだ!!2年は絶対に彼氏を作らない!!と心に決めていた。

あの、自分を変えるきっかけとなった失恋から二年きっかり立っていた。

そのタイミングで好きだと思える人に出会えたのは奇跡だと感じていた。
(すぐ運命とか奇跡だと思ってしまうのは私の悪い所です。)
でも、前回の失敗をかなり生かした素晴らしい彼氏選択だったと思う。

まず、自己肯定感が低い私が依存しないよう、年上の上から言ってくるタイプではない人を選んだ。年下でとにかく優しい!!
経済的にも依存しないよう、対等の立場でいられる人を選んだ。なるべく割り勘!!
あと、これが一番大事なのだが、私の好きなことを否定してこない人を選んだ。役者!!

そしてかわいい、かっこいい。完璧だ・・・!




今までの彼氏には「それ(芝居)やって何かかねこの将来に意味があるの?」と聞かれてしまったりしていた。それはただの質問だったのかもしれないけれど、そういわれると私の思考はストップし、なんだかすごく卑屈な感情にさせられた。
そして、芝居に自分が求められていないような気がして、「へへ、意味ないよね。」と自分の好きなことを否定していた。

自分にとって大切のもの好きなものを「意味ない」と自分で否定してしまうのは、心の中で純粋に好きなことをしたいという自分を殴り続けるようなものだ。すごく悲しい…自己制御能力だ。もうそれはやめたかった。

自分をはじめなおす、と決めたからには、純粋な自分を許したかった。自己虐待は避けなければ…。

私がもっと強かったらよかったのかもしれない。
「意味あるのかは私が決めることでしょ。」「好きなことやってるって、生きるためにすごく意味あることだよ。」って言えればよかったのかもしれない。でも、出来なかった…。

自我が育ってなかったんだ。


*~*~*~*~*~*~*~*~*~*
【ここでちょっと自我及び心の構造論を簡単に説明】
精神科医のフロイトは心にはイド、超自我、自我という3つの構造があると考えた。
イド:快楽主義。~したい、~ほしい、など欲求に基ずく心の機能。
超自我:培ってきた道徳的価値に基づきイドの開放を禁止・抑圧する役割
自我:イドと超自我の仲介役。バランスをとる。
↓これも分かりやすかったよ。

*~*~*~*~*~*~*~*~*~*

わたしの芝居に対するそれまでの状態を、フロイトの心の構造論で考えると以下のようになる。

イド(欲求のままの心):おしばいがすき!!
超自我(懲罰的な心):問答無用で殴る
自我(調整役):≪機能しておらず≫

超自我が強すぎて自我が育っておらず、自己(イド)虐待が心の中で起きる。それを止める方法はわからなかった。

当時の様子をかわいく書いてみた。


私の超自我がこれほど問答無用で私のイドをぶっ叩いていたのは、やはり親の要因が大きいと思う。

私は小さいころからお芝居が好きだったけど、何度言っても女優になることを許してもらえなかった。
私は親にダメと言われることにどうしても逆らえなかった。ダメなものはダメなのだ。
以前、それを話したら「そんなに好きだったら、親の反対を押し切ってでも役者になるけどね」と言われたことがある。
理論的にそうしてたら良かったというのはわかっている。
でも、それが本当にできないのだ。親に反抗する、ということが…。

*ここからちょっと、また幼少期のトラウマの話になるので、⑮はいったんこれで終わりにします。この後の話はもう書いてあるので、近日中にUPします(^_^)

≪⑯へ続く≫


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