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ロータス99T・ホンダ 中嶋悟のマシンと1987年の思い出

こんにちはハッピーサトです!

今日は1987年に中嶋悟さんが日本人初のF1フル参戦でドライブしたロータス99T・ホンダのミニカー紹介。

マシンについて

このミニカーは確か鈴鹿のF1日本GP観戦時に見つけて購入したもので、中嶋悟さんのデビュー戦となったブラジルGP仕様です。

マシンにはホンダV6ターボ・エンジンとアクティブ・サスペンションを搭載、そして中嶋さんの相方は音速の貴公子アイルトン・セナという最強のコンビ。

この年の最高成績は、中嶋悟さんがイギリスGPで4位、アイルトン・セナはモナコGPとアメリカGP(デトロイト)での優勝。

この頃のマシンは、サイドポンツーン・サイドにラジエターのメッシュがむき出しで見え、潜望鏡のような特徴的なエアインテイクもアクセントになっていた。

リアウイング翼端板も今のような縦の長方形ではなく横方向の台形みたいな感じ。

 

ミニカーで再現されている部分で面白いのはヘルメット右後方に装着されたシルバーのBOX。

これはオンボード映像を捉えるためのカメラ。

とても小型とは言えないサイズなうえ、ウィング状のフィンでもないので、空気抵抗を発生させ、リアウィングへ向かう気流を乱す厄介者状態。

当時は全車へのオンボードカメラ搭載はなかったので、約5キロともいわれたカメラ+バッテリー類を積めば単純にウェイトハンデ状態。

中嶋悟さんはオンボードカメラに関する契約があったため、確か全16戦で積まれていたハズです。

なのでこのマシンは本当に思い出深い1台です。

初めてF1を好きになった日

当時まだ自分は5歳だったのですが、当時住んでいたボロアパートの隣のおじさんが録画したF1のビデオテープを見せてくれたのが最初だったような気がします。

そうそうボロアパート、住んでいたのは2階でしたがアリとかワラジムシが部屋を散歩したり天井裏をネズミが走ってた。
それで、雨漏りするし台風の日は窓がガタガタなって当時は怖かったなあ。

でも、四畳半の寝床部屋の通気口にはスズメが住んでてそのさえずりで朝起きたりしたのも懐かしい。

それで、その穏やかで優しい隣の部屋のおじさんは黒いかっこいいバイクに乗ってて、家にお邪魔しては遊んでもらったりもした。

家には当時珍しかったパソコン(NECのPC-98?)があって、それで「サラダの国のトマト姫」って冒険っぽいゲームをやらせてもらったのを覚えてる。

 

おじさんが貸してくれたビデオテープで偶然目にしたF1、その自動車とはまるで見た目が違うタイヤむき出しの特殊な「クルマ」に一目ぼれ状態でした。

5歳当時ですから、好きとか興味に理由なんてなくて直感的なものだったんだと思います。

そして、自分と中嶋さんの名前が同じ「悟」というのもあり、F1の世界に一気に吸い込まれて周りが見えなくなるように中嶋さんと黄色いロータスに惹かれました。

 

当時は外国なんてものも良く分からなかったので、中嶋さんがレースに出る度に「知らない遠い場所で日本人として一人で戦っているんだ、すげえ」と思っていたと思います。

いい例えが無いのですが、僕にとっては中嶋悟さんは「ドラクエの勇者」のような存在で、私の憧れのヒーロー。

画面くぎ付けで全戦ビデオで応援していました。

リアルタイムで応援できた日本GPとオーストラリアGPはめちゃくちゃ興奮したのを覚えています。

深夜のF1中継と母親

全16戦ビデオデッキで録画して観戦していたのですが、自分はデッキ操作が分からないので母親に捜査して撮ってもらっていました。

そのころ自分は酷い我がままで「レース映像だけが見たいからCMは録画しないで!」って無茶苦茶なこと言って・・・それでも母は僕の要求を聞いてくれたんですよね。

CMスキップ機能なんて当時ないので、レースの日は深夜に母がTVの前で待機して中継が始まると「録画」し始めて、CMの時だけ録画を「一時停止」にし、レース中継に戻ったらまた「録画に戻す」って事をやってくれてました。

興味のないF1を眠いのにもかかわらず深夜に2時間くらい録画・CMスキップをしてくれていた母・・・。

そして朝自分が起きて幼稚園・小学校に行くまでの間に母が録画してくれたレースを観てました。

 

リアタイの日本GPとオーストラリアGPを除き年間14回そんな過酷な付きっきり深夜録画をやってくれていたので、母もF1はけっこう詳しくなってました。 

朝の母の表情を見て「あ・・・今回もしかして中嶋悟リタイアしたのかな・・・?」とか勘ぐるようにもなりました(苦笑)。

今思えば本当に親不孝だなって反省してますけど、息子の本当に好きな物だからって親心で怒りもせず何も言わずにやってくれてたんだろうなって・・・感謝しかないですよね。

今自分も父親になって「子供が好きなことはトコトン協力する」「子供の為なら何でもできる」っていうところが分かって、だからあの35年前の母親の気持ちが今の私の心とシンクロしたように感じます。

親子そろってF1への興味は深まって、中嶋悟さん、鈴木亜久里さん、アイルトン・セナ、ナイジェル・マンセルのレースぶりに注目していました。

なので、初めてF1を見た1987年から7年が経った1994年、セナがサンマリノで旅立ってしまった事を知った朝、僕も母は同じくらい大きい何かを失った気がしました。

あの朝の今まで経験したことのない時間が止まったような奇妙な空気感は忘れられないです。

それでもというか、だからこそ、F1から離れることなく今でも安全を祈りながらF1を見続けているのかな。

1987年、あなたは何歳でどんな一年だったでしょうか。

それではまた☆彡

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