誰かが羨ましいかもしれない
誰かが眩しい
テレビを見ていても、
どこかチクチクと、
自分に足りないものを持っている人たち
に写ってしまい、
チクチクチクと心が痛む。
単純に羨ましいわけではないけれど、
トーク番組で、
みんなが楽しそうな中、
なんとなく、今心を痛めているかも
しれないと思うゲストにシンクロしてもみる。
人の不幸に安心したりもする。
あ、私だけじゃないんだ。
あ、私より、大変かも。
じゃ、私はマシな方か。
誰かより優れていたい。
誰かよりも幸せでいたい。
スポーツでの勝ち負けは、清々しい。
将棋でもいいし、フィギアスケートでも、
感動がある。
だけれども、
幸せを競うと、なんだろう。苦しい。
そして、醜い自分がたくさん出てくる。
私たちは、昔より、
ずっと求められるスペックが、
偏って高度になっている気がしている。
人の目も厳しくなった。気がする。
私は自分が憧れる世界を、
どこかで否定している。
私は私が恥ずかしい。
自分の思っていることが恥ずかしい。
小さくて、くだらないことで
悩んでいる人みたいで、
真面目でそんな自分が恥ずかしい。
一生懸命、勉強して、
恥じないように、こっそり
頑張って見せない自分が、本当は、
弱々しい。
飄々としていると言われる。
そうかもしれない。
私は安心したいだけ。
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